3度のスーパーフォーミュラチャンピオンである山本尚貴が、2024年シーズンをもって同選手権から引退した。スーパーGT・GT500クラスとのダブルタイトルも2度達成しており、名実共にホンダ陣営のエースとして君臨してきた山本。今後はスーパーGTでは現役を続行する予定と見られており、その勇姿を引き続き目にすることができるだろう。
とはいえ、自らが愛してきたフォーミュラカーレースの国内最高峰の舞台から身を引くということは、山本にとっても大きな喪失感があるという。曰く、「3分の2くらい、ぽっかりと穴が空いた」感覚であり、一時はレーシングドライバーとして完全に引退することすら考えたほどだ。
■山本尚貴が明かす、スーパーフォーミュラ引退を決断した背景。怪我に苦しむ中、中嶋悟総監督からの親心に「背中を押してもらった」
そんな山本がこれまで10年以上に渡り、国内の両トップカテゴリーでホンダ陣営を引っ張ってきたのは紛れもない事実だろう。そこには外野からは計り知れないほどのプレッシャーもあったはず。その中で彼が持っていた『強いレーシングドライバー像』はどんなものだったのか──。SFラストレースを終えた山本に聞いてみると、彼は自身が慕う先輩ドライバー、伊沢拓也の影を投影していることを明かした。
山本の4学年上である伊沢は、2008年から国内トップカテゴリーに参戦。その2年後に同じくステップアップしてきた山本と、スーパーGTのTEAM KUNIMITSUで計6シーズンチームメイトとなり、共に戦った。昨年からは伊沢がスーパーフォーミュラのNAKAJIMA RACINGで監督に就任したため、形は違えどふたりの“共闘”が再び始まっていた。
スーパーGTでの6年間では1勝にとどまり、タイトルは獲得できなかった伊沢・山本ペアだが、山本は伊沢に対して非常に大きな恩を感じており、「頭が上がらない」という。それは、チームを引っ張る姿勢を学ばせてもらったという恩と、後輩である自分のスピードを活かすために、色々と我慢や妥協をしてくれたという恩だという。
「その(強いレーシングドライバーとしての)背中を見せてくれたのはやっぱり伊沢さんかなと思います」
「僕は2010年に伊沢さんのチームメイトとしてスーパーGTにデビューしましたが、開発のメンバーだったり、チームの皆さんとどういう風にコミュニケーションをとって、どういう風に引っ張っていくのかという姿を間近で見せてもらいました」
「その中で2013年にスーパーフォーミュラでチャンピオンを獲りましたが、やっぱりチャンピオンを獲ると自信もつきますし、責任感も出てきます。そこに伊沢さんの背中を見て育ってきたというノウハウをミックスさせて、自分なりにアレンジしたのが2014年以降かなと思います」
「GTでは一緒に1回しか勝てなかったですが、伊沢さんとしても僕のために色々と我慢しながら、妥協してくれたところがありました。彼の能力を考えれば、もっと勝ってチャンピオンも獲れる選手だと思います。僕に色々と譲ってくれたことで、自分はこれだけ地位を確立することができました。ですから伊沢さんには頭が上がらないです」
そう語った山本。スーパーフォーミュラ引退レースを終えて「悔いはない」と晴れやかな顔でインタビューに応えていたが、監督である伊沢に勝利を届けられなかったことは心残りだという。だからこそ、今後は違った形で共に勝利を目指したいと語った。
「中嶋さん(中嶋悟総監督)と優勝し、チャンピオンを獲ることを目標にNAKAJIMA RACINGに戻ったのですが、この2年間に関しては形は違えどまた伊沢さんと優勝したいという思いを持って頑張ってきました」
「ただそれは達成することができませんでした。(3位表彰台を獲得した)開幕戦でも『優勝しないと俺は泣けない』と言われたので、優勝して泣かせたいと思っていたんですけど、それが叶わなかったことだけが唯一の悔いだなとは思います」
「またこれから先、どんなお仕事で伊沢さんと一緒にやれるかは分かりませんが、また違った形で伊沢さんと優勝して泣けたらと思います」
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