ラリーはクルマの信頼性を証明する手段
今から50年ほど前は、過酷なラリーがクルマの信頼性を証明する手段の1つだった。なかでも、デイリー・ミラー紙が1970年に主催したロンドン・シドニー・マラソンラリー、「ワールドカップ・ラリー」は、トップクラスに厳しい試練だったに違いない。
【画像】ロンドン・シドニー・マラソンラリー イベント参加マシン 復刻版エスコートMk1とMk2も 全71枚
約100台のマシンがスタートしたものの、ゴールできたのは23台。完走率は4分の1程度で、その難関ぶりを証明していた。
ちなみに、かつてジュール・リメ杯世界選手権大会とも呼ばれていたサッカー・ワールドカップは、1966年の開催都市がロンドンで、1970年がメキシコだった。それにちなんで、このイベントもワールドカップ・ラリーと呼ばれたようだ。
もちろん、ラリーマシンが挑んだのは整備された芝のピッチではなく、総長2万5000kmにも及ぶ広大な大地だ。ロンドンを出発し、欧州各国を横断。海を渡って南米大陸へ上陸し、チリから北上してゴールのメキシコシティを目指した。
ワークスチーム体制で挑んだのは、フォードやブリティッシュ・レイランドのほか、当時はソ連と呼ばれていたロシアのモスクビッチなど。シトロエンも非公式ながらバックアップ体制を用意した。プライベーターも参加し、多彩なクルマが参戦している。
多彩なオリジナル・ラリーマシンが集合
このラリーで優勝を掴んだのが、ラリードライバーのハンヌ・ミッコラ氏と、コ・ドライバーのグンナー・パーム氏というペア。フォード・エスコート Mk1をラリーの伝説的マシンへ祭り上げる、きっかけにもなった。
英国のクルマ好きが集まったヒストリック・マラソンラリー・グループは、1968年のロンドン・シドニー・マラソンラリーなど、往年の大陸横断ラリーを記念するイベントを定期的に開いている。だが、COVID-19の影響で最近は実施が見送られていたという。
今回、英国編集部は2年遅れで開催された、ロンドン・シドニー・マラソンラリーの50周年イベントへお邪魔させていただいた。フォードやトライアンフ、オースチン、ヒルマン、ミニ、MG、シトロエンなど、多彩なオリジナル・ラリーマシンが集っていた。
開催場所は、英国ゲイドンの英国自動車博物館。今回はその参加車両の中から8台をご紹介したいと思う。
モーリス1800(1968年)
オーナー:マーティン・ジョーンズ氏
フォードは1970年のロンドン・メキシコ・マラソンラリーでの耐久性証明するため、様々な対策を講じたエスコートを投入した。ボディシェルへの強化も施すほど。
同じく参戦を決めたブリティッシュ・レイランド(BL)は、ランドクラブという愛称の付いたモーリス1800で挑んだ。堅牢な設計を信じて。
アレック・イシゴニス氏が設計を手掛けた、それ以前のモノコックボディには、補強を兼ねてサブフレームが採用されていた。だが、やや過剰といえる設計が施された1800には、それが不要だった。
マーティン・ジョーンズ氏が所有するモーリス1800は、ブリティッシュ・レイランドのコンペティション部門で用意されたマシンの1台。しかし、ワークスチームで戦うことなく、ボブ・イーブス氏というドライバーへ売却されている。
「話によれば、サファリラリーのサポート車両だったようです。でも、証拠はないんですよ」。とジョーンズが苦笑いする。それでも、1968年と1970年の2つのマラソンラリーへ実際に出場した貴重なマシンだ。
ロンドン・シドニーは36位で完走。ロンドン・メキシコではクラッシュに巻き込まれ、リタイアしている。
イーブスによる参戦を終えたモーリス1800は、別のオーナーの元へ渡り、ヒストリックラリー・イベントも走った。2004年のラリー・モンテカルロ・ヒストリックでは、見事勝利を掴んでいる。
ジョーンズが購入したのは10年前。ボディの傷跡が生々しいが、1800が過ごした歴史の証拠として残されている。
フォード・エスコート Mk1(1969年)
オーナー:フォード・ヘリテイジ(スチュアート・ブラック氏、デヴィッド・ギルモア氏、イアン・ダンボビン氏)
この記念イベントに欠くことができないマシンが、ハンヌ・ミッコラ氏とグンナー・パーム氏のペアで優勝した、フォード・エスコート Mk1に他ならない。英国フォードによって維持管理され、オリジナル状態が保たれている。
「クラッシュした過去すらありません」。と説明するのは、フォード・ヘリテイジ部門のスチュアート・ブラック氏。「ラリーの後にリビルドされているはずです」。と、同僚のデヴィッド・ギルモア氏が続ける。
フォードは堅牢なマラソンラリー・マシンの開発に当たり、ボディシェルの剛性を高めた。追加の溶接だけでなく、フェンダーからルーフへ伸びる太いバーも、その1つだった。
「テスト走行で何度もジャンプを繰り返しました。その結果、Aピラーの付け根付近でボディがねじれると判明したんです。このバーは強化対策として、ストラットマウントの上部とロールケージを結んでいます」。とブラックが話す。
サスペンションも強固なアーム類が組まれている。ブレーキは、フロントがコルティナ Mk2用で、リアがロータス・エラン用のディスクを装備する。
1968年のロンドン・シドニー・マラソンラリーへも、フォードはロータス・コルティナで参戦している。だがラリー仕様のツインカム・エンジンは耐久性に問題があり、1970年のロンドン・メキシコでは、1850ccのケント・エンジンが採用された。
「エンジンへの負荷が低く、品質の悪いガソリンでも問題なく走行可能でした」。とブラック。FEV 1Hのナンバーで登録されたエスコート Mk1は、グッドウッド・フェスティバルなどのイベントへも定期的に姿を見せている。
トライアンフ2.5 PI(1970年)
オーナー:パトリック・ウォーカー氏
ロンドン・シドニー・マラソンラリーを、ヒルマン・ハンターで優勝したラリードライバーのアンドリュー・コーワン。パトリック・ウォーカー氏が所有しているトライアンフ2.5 PIは、コーワンがロンドンからメキシコを目指したクルマ、そのものだ。
そのロンドン・メキシコ・マラソンラリーでは、ブリティッシュ・レイランド傘下にあったトライアンフが活躍。2位と4位という成績を残している。だが、コーワンは先行するオースチン・マキシの砂埃に視界が奪われ、アンデス山脈でリタイアに終わった。
ラリーを終えた1970年、ブリティッシュ・レイランドはワークスチームを解散。トライアンフは、すぐに売却されてしまった。
そのクルマをブライアン・イングルフィールド氏というドライバーが、予備のボディシェルと一緒に購入。準備を手早く終わらせ、同じ年の英国RACラリー参戦を果たした。
ヒルマン・ハンターやオースチン・マキシ、オースチン1800なども所有する、マラソンラリー・マニアのウォーカーは、2005年にトライアンフ2.5 PIを購入したという。
「これは興味深い過去を持つクルマで、1番のお気に入り。標高に合わせて、車内から燃料の混合気を調整できるユニットが付いています。標高4800mという高地も走りましたからね」。ウォーカーが笑顔で説明する。
「始動時に使うチョークとは、逆の機能のようなものです。知っている限りでは、ちゃんと残っているのはこのクルマだけですね」
この続きは後編にて。
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