マツダのレース活動を支えた「マツダスピード」発展史
日本のメーカーとして初めてル・マン24時間レースを制したマツダですが、その活動を担ったのはディーラーのスポーツコーナーから誕生し、発展していったマツダスピードでした。すでに解散し、またマツダのハイパフォーマンスモデルのブランドとしても姿を消してしまったマツダスピードの歴史を振り返ってみましょう。
ル・マン優勝車「マツダ 787B」 伝説の4ローターユニットは市販エンジンの延長線だった
はじまりはディーラーのスポーツコーナー
マツダのモータースポーツ実戦部隊として、またル・マン24時間レースなどでのワークス活動を展開したレーススペシャリストとして知られたマツダスピードですが、その前身である「マツダオート東京」のスポーツコーナーが誕生したのは1968年のことでした。当初はマツダ(当時は東洋工業)で開発した、ファミリア・ロータリークーペ用のスポーツキットを販売装着することが主な業務で、結果的にレースに対してはツーリングカーを手掛ける程度でした。
そんな状況に転機が訪れたのは1973年のことでした。この年のル・マン24時間レースに参戦した「シグマ・オートモーティブ」(現在、SUPER GTなどで活躍するSARDの母体)がレース用にチューニングしたロータリーエンジンを使用することになり、そのメンテナンスをマツダオート東京のスポーツコーナーが担当することになったのです。そしてここから、それまでのツーリングカーレースに加えてスポーツカーレースにも関わるようになり、翌1974年にはシグマ・オートモーティブと共同でル・マン24時間に参戦しています。
マツダスピードの歴史はル・マン挑戦の歴史
マツダオート東京のスポーツコーナーが単独でル・マン24時間に初めて参戦したのは1979年のこと。この年からマツダスピードを名乗るようになっていましたが、「MMS(マツダ・モーター・スポーツ)」を名乗るワークスとはまだまだ技術力に大きな差がありました。
それでもグループ5仕様に仕立てた「RX-7 252i」での初参戦を皮切りに、81年には「RX-7 253」、82年には「RX-7 254」と着実にマシンも進化し日本車として初めて完走を果たして総合14位に食い込んでいます。
翌83年には東洋工業本社(マツダ)からのバックアップも得て法人化され、「株式会社マツダスピード」が誕生。同年のル・マン24時間にはそれまでのグループ5から1ランクステップアップしたグループCジュニアの「マツダ717C」を投入し、見事クラス優勝を果たしその実力をアピールします。じつはこの頃から、東洋工業本社からマツダスピードに対して技術者の出向などサポートが強化されていました。
1986年には参加カテゴリーをIMSA-GTPに変更して「757」を投入。以後も88年の「767」、89年の「767B」、90年の「787」とマシンも着々と進化を続けていきました。
そして車両規則の変更によってロータリーエンジンの参戦が最後となる91年にはあの「787B」を投入し、悲願のル・マン24時間レース総合優勝を果たしました。
ハイパフォーマンスモデルのネーミングに
ル・マン優勝を果たした後も、マツダスピードのレース活動は続きますが、その一方で世界ラリー選手権(WRC)に参戦するグループA仕様のファミリアのプロジェクトも担当するなど、まさにマツダのモータースポーツを統括する実働部隊として八面六臂の活躍を続けていきました。
そんな背景もあり、マツダのハイパフォーマンスモデルにマツダスピードのネーミングが使用されるようになりました。その第一弾となったのが、92年に発売された「AZ-1」に、93年の1月に登場した50台限定の特別仕様車で、その名もズバリ「MAZDA SPEED」。
そして好評だったことから同年10月には100台限定の「MAZDA SPEED VERSION」もリリースされ、さらに94年にはやはり100台限定の通称“バージョンlll”も登場しています。ボンネットやフロントのバンパースポイラー、リアの大型ウィングなどのマツダスピード製のパーツが組付けられていました。
レース活動からの撤退と解散
ル・マン24時間レースを頂点としたレース活動と、ロードゴーイングのハイパフォーマンスモデルや、市販モデル用のパーツ開発を続けてきたマツダスピードでしたが、マツダ本社の経営不振からレース活動の休止が求められることになります。そして実際に、ル・マン24時間レースについても本社のサポートなしに、プライベート体制で参戦を続けてきたマツダスピードでしたが、97年を限りに参戦を休止することになりました。99年にはマツダ本社に吸収される格好でマツダスピードが解散し、20年の歴史に終止符が打たれたのです。
その一方で、マツダスピードの名を冠したハイパフォーマンスモデルは、その後もいくつも登場しています。2001年の5月にはファミリアとロードスターに「MAZDA SPEED」を名乗る限定車が登場しています。先に紹介したAZ-1と大きく違っていたのはエンジンやシャシーなど機能部品にまで手が入れられていたことです。
当のマツダは「マツダスピードブランドによる仕様の変更などにより走行性能を向上させ…」とし、マツダスピードに関しても「モータースポーツ向け部品を含めたチューニングパーツおよびアクセサリーをマツダスピードブランドとして企画・開発している」と注釈しています。そう、レースの実戦部隊としてのマツダスピードはなくなりましたが、マツダのハイパフォーマンスモデルを示すブランドとして。マツダスピードは新たな一歩を踏み出していたのです。
それはその後もファミリアやアクセラ(現マツダ3)、アテンザ(同マツダ6)など、マツダの主力モデルに「MAZDA SPEED」を名乗るハイパフォーマンスカーが設定されていることからも明らかです。ル・マン24時間レースを制したマツダスピードは、市販車の分野においてもブランドを確立することができました。
現在は一部の純正アクセサリーに「MAZDA SPEED」のブランド名が使われているのみですが、ファンとしてはハイパフォーマンスモデルの復活、さらにはレース活動への復帰(マツダUSAはアメリカ国内のレースに参戦中)を期待するところです。
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
“生産版”「“R36”GT-R」公開に反響絶大! 日産の「旧車デザイン」採用&4.1リッター「V6」搭載で「借金しても欲しい」の声! 1000馬力超えもあるArtisan「“和製”なスーパーカー」が話題に
トヨタ新型「ミニアルファード」登場は? 「手頃なアルファードが欲しい」期待する声も!? 過去に"1代で"姿消した「ミドル高級ミニバン」があった!? 今後、復活はあるのか
「黄信号だ。止まろう」ドカーーーン!!! 追突されて「運転ヘタクソが!」と怒鳴られた…投稿に大反響!?「黄信号は止まるの当たり前だろ」の声も…実際の「黄信号の意味」ってどうなの?
「中古車を買いに来たら『支払総額表示』で売ってくれませんでした、詐欺ですよね?」 「別途費用が必要」と言われることも…! 苦情絶えないトラブル、どんな内容?
“650馬力”の爆速「コンパクトカー」がスゴイ! 全長4.2mボディに「W12ツインターボ」搭載! ド派手“ワイドボディ”がカッコいい史上最強の「ゴルフ」とは?
「とりあえず増税ね」で50年!? 「世界一高い」自動車諸税&ガソリン税“見直し”正念場 “年収の壁”の向こうの璧
「黄信号だ。止まろう」ドカーーーン!!! 追突されて「運転ヘタクソが!」と怒鳴られた…投稿に大反響!?「黄信号は止まるの当たり前だろ」の声も…実際の「黄信号の意味」ってどうなの?
“生産版”「“R36”GT-R」公開に反響絶大! 日産の「旧車デザイン」採用&4.1リッター「V6」搭載で「借金しても欲しい」の声! 1000馬力超えもあるArtisan「“和製”なスーパーカー」が話題に
「緊急車両が来て道を譲らないとどうなりますか」 理由に「『聞こえんかった』は通用するのですか」 譲るのはマナー?義務? 具体的にどう譲ればいいのですか。
「子供が熱を出したので障害者用スペースに停めたら、老夫婦に怒鳴られました。私が100%悪いですか?」質問に回答殺到!?「当たり前」「子供がいたら許されるの?」の声も…実際どちらが悪いのか
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント
マツダとマツダスピードの関係は、どちらかと言えば「部下の手柄は上司の手柄。上司の失態は部下の責任。」の「半沢直樹」的です。
マツダスピードの努力と苦悩が生んだ素晴らしい結果はマツダの手柄。マツダスピードの育てた「MAZDA SPEED」ブランドはマツダの物。そして、マツダ本社の経営が傾いた時、真っ先に容赦なく切り捨てられたのはマツダスピードでした。