アルファロメオを駆った女性たち
アルファロメオとモータースポーツの結びつきは強い。1910年から現在まで、F1グランプリをはじめ、あらゆるレースシーンで数多くの軌跡を残してきたアルファロメオは、才能あふれる優秀なドライバーをきら星のごとく輩出してきたことでも知られている。
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そしてその中には、女性の姿も決して少なくなかった。国連が国際女性デーとして定めた3月8日を迎え、アルファロメオのレース史に名を刻んだ女性ドライバーたちの勇姿を振り返ってみたい。
パイロットとジャーナリストの顔をもつレーサー
まず名前を挙げるべきは、マリア・アントニエッタ・ダヴァンツォ(Maria Antonietta d’Avanzo)。パイロット、そしてジャーナリストとしての顔をもっていたダヴァンツォは、イタリアの女性ドライバーのパイオニアともいえる存在である。彼女がアルファロメオからモータースポーツデビューを果たしたのは、第一次世界大戦が終わって間もなくのこと。1921年には、ブレシアのサーキットで開催されたレースでアルファロメオ G1をドライブし、見事3位を獲得している。
当時のモータースポーツ業界でしのぎを削りあっていた優秀なレーサー勢のライバルとして勇敢に戦ったダヴァンツォ。その中には、エンツォ・フェラーリの姿も含まれている。その後も世界各地で様々なレースに参加したダヴァンツォの挑戦は、1940年代まで続いた。
エンツォ・フェラーリから購入したマシンが相棒
アルファロメオの草創期には、スクーデリア フェラーリが大きな役割を果たしている。“跳ね馬”を駆った多くのドライバーの中に、コモ生まれのアンナ・マリア・ペドゥツィ(Anna Maria Peduzzi)はいた。モロッカン(モロッコ人)の愛称で呼ばれたフランコ・コモッティの妻であった彼女は、自身で所有していた6C 1500 スーパースポーツでレースデビュー。同マシンは、エンツォ・フェラーリから彼女が直接購入したものだったという。
ときに夫と連れ立つこともあったが、ほとんどのレースは孤軍奮闘、自分の身ひとつで挑戦を続けた。1934年のミッレミリアでは1500クラスで優勝。戦後には1900 スプリント、ジュリエッタを相棒にレースへ挑んでいる。
不屈の闘志と社交性を兼備したニース
モデル、スタントウーマン、ダンサーと多彩な表情をもつエレ・ニース(Helle Nice)。エレ・ニースはいわば芸名であり、出生名はマリエッテ・エレーヌ・ドゥラングル(Mariette Helene Delangle)といった。社交的な性格であった彼女は、ロスチャイルド家やブガッティ家とも交流があったという。ヨーロッパ、アメリカを拠点にレースへ挑戦したニースは、車体にスポンサーのロゴを掲げるという手法をいち早く試みたドライバーのひとりであったとも言われている。
1933年、ニースは自身の8C 2300 モンツァでイタリアGP(ジュゼッペ・カンパリやバコーニン・ボルザッキーニ、スタニスワフ・チャイコフスキーという3人の命を奪った悲劇のレース)に参戦。1936年には、モンテカルロで開催されたレディースカップで勝利している。同年、ブラジルのサンパウロGPにも挑むものの、甚大なアクシデントに見舞われてしまう。しかし3日間の昏睡を経て、奇跡的に復活。その翌年にはフランスで行われた女性向け耐久レースに参戦している。
ル・マンで総合4位につけた優雅なパリジェンヌ
1930年代、アルファロメオはモータースポーツ界の主役として確固たる存在感を放っていた。マシンの性能は言うまでもないが、なによりタツィオ・ヌヴォラーリやアキッレ・ヴァルツィ、ルドルフ・カラツィオラ、レイモン・ソメールといった伝説的ドライバーがその輝かしい舞台を盛り上げていた。そのソメールが8C 2300で勝利を勝ち取った1932年のル・マンで、6C 1750 SSを駆って総合4位、2.0リッタークラス優勝を飾ったのがオデット・シコ(Odette Siko)だ。
若きパリジェンヌのシコは一躍サーキットのスターとなり、レースでのパフォーマンスはもちろん、パドックでの優雅な振る舞いも注目を浴びるようになった。シコとともに、同時代のアルファロメオのレースシーンでスポットライトを浴びたフランス人ドライバーが、前述のエレ・ニースである。
「サヨナラ」をライバルに見せつけたパーチェ
1950年代になると、トリノ出身のアダ・パーチェ(Ada Pace)がアルファロメオ製のマシンで活躍。10年に及ぶキャリアを通して、パーチェは国内のスプリントレースで11度の優勝を獲得している。うち6回はツーリング、5回はスポーツクラスでの勝利であった。
彼女はレースに出場する際、車体後部のライセンスプレートに「Sayonara」の文字を掲げており(抜き去ったライバルに対するウィットに富んだメッセージといえるだろう)、エントリー名にもその愛称を使用していた。彼女はジュリエッタ スプリント ヴェローチェとジュリエッタ SZで最も輝かしい戦績を記録しており、1958年のトリエステ-オピチナ ヒルクライムレースでは総合優勝を飾っている。
ロニー・ピーターソンに勝ったスージー
スザンナ“スージー”ラガネッリ(Susanna ‘Susy’ Raganelli)は、四輪レースで世界チャンピオンを勝ち取った唯一の女性ドライバーと言っていいだろう。ローマ出身のスージーは、1966年に100ccのカートを駆って世界選手権を制している。そのときのライバル勢の中には、なんとロニー・ピーターソンの姿もあったのである。
スージーとアルファロメオの繋がりは深く、自身のキャリアの最後を飾るレースでもGTAに乗っていた。さらに、たった12台しか生産されなかった伝説のクルマ、1967年製33ストラダーレを、イタリアで初めて購入したオーナーでもあった。
じゃじゃ馬の使い手、ベッカーズ
1960年代のレースシーンでは、ジュリア スプリント GTAが華々しく活躍した。しかし、スーパーチャージャーを搭載したGTA-SAのことはあまり知られていないかもしれない。グループ5向けに10台のみ生産されたGTA-SAは、油圧駆動の遠心式コンプレッサーを2基装着し、最高出力は220hpを発生。最高速度は149mph(約240km/h)に達していた。
目を見張る性能を実現したものの、当時アウトデルタでテストドライバーを務めていたテオドロ・ゼコッリはこう語っている。「何の前触れもなく突然ブーストがかかってパワーが爆発するので、カーブで御しづらく、コントロールが難しい予測不可能なマシンだった」
このじゃじゃ馬を、誰より巧く操ったのが若いベルギー人ドライバーのクリスティン・ベッカーズ(Christine Beckers)だった。1968年にベルギーのウイエで開催されたレースで優勝した彼女は、翌年のコンドロス、エルブモン、ザントフォールトでも素晴らしい戦績を記録。また、ベッカーズと同じ時期、オランダ出身のリアン・エンゲマン(Liane Engeman)もトワン・ヘゼマンのチームで1300 GTA ジュニアを駆り、スピードのある女性ドライバーとして名を残した。
F1でポイントを獲得した唯一の女性レーサー
F1史上初の女性ドライバーとして1950年代に活躍したマリア・テレーザ・デ・フィリッピスに続き、2人目のイタリア人F1ドライバーとなったのがマリア・グラツィア“レラ”ロンバルディ(Maria Grazia Lombardi )。彼女は最高峰のF1レースへ13戦出場した記録を持つ。
1982年~1984年には、GTV6 2.5に乗り欧州ツーリングカー選手権に参戦。アンナ・カンビアギ(Anna Cambiaghi)、ジャンカルロ・ナッデオ、ジョルジオ・フランシア、リナルド・ドロヴァンディとともに、アルファロメオへ数々のタイトルをもたらした。ロンバルディは現時点で、F1でポイントを獲得した唯一のイタリア人女性ドライバーでもある。
黄色の155で闘ったワークスドライバー
アルファロメオが新たに設立したレース部門、アルファ コルセのワークスドライバーとして活躍したのがタマラ・ヴィダリ(Tamara Vidali)。彼女は1992年のイタリア・ツーリングカー選手権のグループNで、33 1.7 クアドリフォリオ ヴェルデに乗って勝利。1994年のイタリアン・スーパーツーリズモ選手権に出場した際の、鮮やかな黄色の155はとりわけ印象的だった。
アルファF1のテストドライバーを務めるカルデロン
2017年にザウバーF1チームの開発ドライバーとなったタチアナ・カルデロン(Tatiana Calderon)は、1993年にコロンビアの首都ボゴタで生まれた。2005年に国内のプレジュニア向けカート選手権で勝利。
その3年後には、アメリカ東部地区でのジュニア向けカート選手権で女性初のクラス優勝を記録した。2018年、カルデロンはアルファロメオレーシングF1チームのテストドライバーへと昇進している。
女性と男性が同じ土俵で闘えるのがモータースポーツ
カルデロンは、かつて報道関係者向けのインタビューで「女性の身体は男性に比べて筋肉量が30%くらい少ない。だから多くのトレーニングが必要だし、そもそもマシン自体が男性向けに作られているからセットアップも適応させていかなければなりません」と語っている。そして、次のように続けた。
「モータースポーツは、女性と男性が同じ土俵で競い合うことのできる限られたスポーツ。マシンを介在し、男性であろうと女性であろうと、互いにベストを尽くして闘うことができるスポーツだと思っています」
同じコロンビア出身のフアン・パブロ・モントーヤに憧れるカルデロンは、いまもF1ドライバーになる日を夢見て日々鍛錬を重ねている。多くの女性たちが築き上げてきた歴史に、まったく新しい1ページが加わる日も遠くないのかもしれない。
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