日産 のみんなの質問

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なぜ、日産はトヨタに負けたのですか。

日窒コンチェルンですから、もともとはアンモニアとか肥料の関係から来ているのでしょうか。

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回答一覧 (4件)

  • マーケティングがくそ下手な会社で、体質が公務員だったからですね

    コストを抑えるどころが不景気になっても同じままで販売数が落ち続けて利益がなくなったのが要因です

    トヨタは元々利益至上主義なのでカンバン方式や下請け泣かせで最低限の利益を確保してきました

    結果的に日産は車種を絞る選択しかなくなりコアなファンが離れてファミリー層主体のメーカーになりました

    トヨタも同じ路線をいきましたが、その中でも細分化して今の地位にいます
    それが車種の多さにあります

    商用向けの車も多く、いち早く燃費重視の車を作った功績も大きいですね

    日産もゴーン氏になってから無駄を省き、路線変更してきましたが、高級路線を排除したことで利益率が少なくなり、noteやセレナだけのメーカーに成り下がっています

    全方向に勝負をかけるトヨタと一部分だけで勝負する日産では、圧倒的にトヨタの方に分があります

    その結果今に至りますね

  • たぶんトヨタ自動車は、自動車メーカー間の公正な競争では日産に敵わない為、自民党にヤミ献金と非常識な陳情を行なう等して、政治的に自社の販売シェアを膨張させただけだからでは?と思います

  • 日産の源流を辿ると戸畑の鋳物工場に行き当たります。この経営権を握っていたのは政商と呼ばれた鮎川義介で、政府や軍部とつるんで事業を拡大していきました。この鮎川の財閥が、他社を買収したり米国メーカーのパテントを買い取って出来上がったのが日産自動車です。

    このため、日産自動車は伝統的に官需に強く民需に弱い体質で、ある意味では親方日の丸体質だったりもして危機意識が弱く、代々の社長もサラリーマン社長だったので責任の所在が曖昧で、権力闘争で経営者が変わるもんだから、経営ビジョンも一貫性を持てず、長期的な戦略を作るのがヘタクソでした。

    トヨタは織機会社の社内ベンチャーみたいなもんが源流でした。織機というのは一度納入されたものが百年以上使い続けられたりするので、早晩行き詰まるビジネスなので、トヨタには危機感を持って新しいビジネスに進出する姿勢が骨身に染み付いています。しかも、自動車メーカーとして独立した後に倒産しかけた際、政府からの要求で大リストラを断行させられた経験もあるので、官需に頼りすぎないスタンスを通しており、更になんだかんだ創業家のカリスマ的な存在感が強いので経営ビジョンに一貫性があり、極めて長期的な戦略をとっています。

    なので、日産が一時的にトヨタに迫ることがあっても、追い越すことができなかったのは必然なんでしょう。

  • 私も詳しくはないのですが、社内がずっとゴタゴタしていた、権力闘争に明け暮れていたからだという話はあります。
    https://gendai.media/articles/-/60091?imp=0
    https://www.youtube.com/watch?v=YqcmHtwXfGg

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