日産 のみんなの質問

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プリンススカイラインの全幅は149センチと軽自動車とほとんど変わらなかったそうですが、

昔はそんな幅の狭い車が高級車でかつポルシェを追い抜くようなスポーツカーであったのでしょうか!?

いかがでしょうか!?

補足

ーー初代パブリカが1415mm、 初代カローラが1485mm、マークⅡが1610mm いま町で見かける軽自動車の全幅は147センチ、 60年代プリンススカイラインは全福が149センチ 昔のクルマは車幅はすごくコンパクトだった ーークラウン、セドリックなど5ナンバーでも前席ベンチシートは3名乗れて大きく高級車 GTRエンジン=R380が日本グランプリで優勝して、 盛り上がった!? ーープリンス・スカイラインがポルシェ904を抜いたのは第2回日本グランプリ 904は瞬発力を生かしてトップに立つ。そして7周目、大事件が ホームストレートに戻ってきた生沢のスカイラインGTが、後ろにポルシェ904を従えていたのだ 国産車が世界最先端のスポーツカーを抜いたという光景を目の当たりにし、グランドスタンドの観客は総立ちとなった 次の周で式場は生沢を抜き返し、最終的には大差をつけて優勝した それでも、一瞬でもスカイラインがポルシェを抜いたという事実は観客の脳裏に焼き付けられ、伝説となって語り継がれていく あの頃の車は小さかった。 ブルーバード、キャロル、ベレット、コルトなど本当に小さかった。

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ベストアンサーに選ばれた回答

その頃の軽自動車は、全幅1300mm(1295mmが多かったです)以下だったはず。
今の軽自動車は、規格が何度か変わり、どんどん拡大していましたので、単純に比較できることではありません。

また、3ナンバーになると自動車税も2倍くらいに跳ね上がる税制でしたから、クラウンやセドリックでも全幅は1700mm以下(1695mmが多かったです)


そこから車格に合わせて、少しづつ小さくしていったはずで、
トヨタだと、初代パブリカが1415mm、初代カローラが1485mm、マークⅡが1610mmという感じでした。

スカイラインは、GTが登場したり、日産に変わってから少し車格が上がりましたけど、元々は1500ccのファミリーカーでした。
ノーズを伸ばしてGTが登場しても、幅までは広げられなかったんじゃないのかな?

質問者からのお礼コメント

2023.9.9 05:49

プリンス・スカイラインがポルシェ904を抜いたのは第2回日本グランプリ
ホームストレートに戻ってきた生沢のスカイラインGTが、後ろにポルシェ904を従えていたのだ
国産車が世界最先端のスポーツカーを抜いたという光景を目の当たりにし、グランドスタンドの観客は総立ちとなった

当時の車は小さかった。
ブルーバード、キャロル、ベレット、コルトなど本当に小さかった。

皆様貴重なご回答有難うございました。

その他の回答 (9件)

  • 一番最初に乗った車がスカイラインGT、ゲランドツーリングBの箱型でした。
    給料が月3万時代、友人から20万で譲ってもらいました。
    友人は、二代目スカイライン83万で買ったそうです。府中の3億円事件の頃です。
    ホンダの犬コロがよく横転した事故の頃です。
    箱型ですから四角ぽっい黄色い車でした。
    一日遠乗りすると、給油をしないと走れません。リッター6kmがやっとこだし4人乗ると底をこする時がありました。
    あの頃の車は小さかった。
    ブルーバード、キャロル、ベレット、コルトなど本当に小さかった。

  • 60年近く前ですから今と比べたらポルシェも小さくて非力でしたからね。

    ただ形はレーシングカーらしい流線型でした。そのポルシェを一瞬でも抜いたスカイラインは羊の皮を被った狼と呼ばれました。

    スカイライン 開発者1人、桜井眞一郎氏いわく
    「ポルシェはまるでエイみたいでしたねー、それに比べてうちのスカイラインはダックスフンドみたいだなと、、、、。」

  • 第1回日本グランプリに出場し、一番時計を出した方がご存命で、知り合いです。
    第2回では生沢とはクラスが違いますが、ポディウムに登っています。
    当時の裏話等、生き証人的なお話で大変面白いものが有ります。

    生沢の54スカイラインがポルシェを抜いた話は全く歯が立たなかった国産勢にとっては「世界に近づいた日」だった訳ですが、
    生沢は3位で、抜いたはずの式場壮吉(1位)には30秒の差を付けられた完敗でした。
    第3回では第2回で2位だった砂子がR380 でポルシェを抜いて1位になりました。

  • ➀S54スカイラインGT-A 全幅1495mm 長さ4235mm 高さ1410mm
    2000cc6気筒 シングルキャブレーター装着

    ②S54スカイラインGT-B 全幅1510mm 長さ4235mm 高さ1405mm
    2000cc6気筒 ウエーバー製トリプルキャブレター装着

    ③軽自動車 全幅1300mm未満 長さ3000mm未満 2000mm未満(多くの乗用車系は高さ1300mm~1400mm前後)

    ※昭和40年代初頭の国産車の大きさを把握しないと誤った回答が導き出されてしまいます。
    因みに、GT以外のスカイラインセダン(1500cc)は、全幅1495mm 長さ4100mm 高さ1425mm

    当時のプリンス自動車は、現在のスバルと同様に、中島飛行機をルーツにもつ(荻窪工場は、中島飛行機の飛行機エンジン工場)企業(全てでは無くたま自動車も含む)で、最も優れたエンジニア集団(製造コストがかかり過ぎ)で有ったそうです。
    亡くなった自動車評論家の徳大寺有恒氏は、日本初プレミアムブランドカーはレクサスでは無く、プリンスと言っていました。
    添付画像は、
    上皇上皇后両陛下の皇太子 妃殿下時代の愛車
    グランドグロリア2500(一般人も購入可能)

    回答の画像
  • プリンス、他の国産車とは違っていたそうですよ。東名高速ができた時、100km/hで走り続けられるのは国産車ではプリンスくらい、との記述している書籍がありました。

  • ポルシェも小さくショボかったのだと思います

  • 友達の家にS54aがありました。子供の頃の記憶ですが小さく感じませんでしたが高級車のイメージはなかったですね。当時の軽自動車は360ccで幅は1.3m以下だったので今の軽自動車よりも随分小さくてフロンテクーペなんか子供でも運転できそうだと思ってました。当時の道路事情や何やらでの規格なのでしょうが1.7m以下のクラウン、セドリックなど5ナンバーでも前席ベンチシートは3名乗れるようになってて大きく高級車と感じてました。あとになって知ったのですが「羊の皮を被った狼」は54bで友達の家の54aは「狼の威をかる羊」ってところでしょうかw

  • プリンス時代のスカイラインは高級路線で売りをかけていたのは確かですが
    市場がそれに同意してたのかは微妙なのと
    ポルシェと比較されたのはその車では無いです。

    当時911なんて日本にはほとんど存在せず雲の上の車です。

    1968年頃から北米で売られていたS30 240Zが911の半値で
    走りは遜色ないという話が広がりました。

    当時北米仕様の911は2.0から2.2Lで150ps止まりだったので
    カタログスペックだけ見てもS30 Zはいい勝負してます。

    その辺りの話からC10スカイラインGT-Rは911を千切れる
    という話になっていったと思います。
    雑誌とかでもそういう記事を書いたんだと思いますが
    1970年頃は911は相当珍しい車で雑誌の企画でもないことには
    911持ち出して走り比べなんてできなかったはずです。

    当時は911も車幅は1600+くらい。 S30ZもC10スカイラインも1600前後で
    オーバーフェンダーが流行ってた時期でもありましたから
    オーバーフェンダー化した日産車はナロー911より車幅も広かったです。

    911は当時別に高級でもハイパワーでもないヨーロピアンスポーツカー
    だったわけですが、日産車にケツをつつかれまくったために
    生き残りのためにハイパワー、高級化の道を進むことになりました。
    同じ土俵での勝負を避けたことが、今では911=ハイパワー
    ハイパフォーマンスカーということになりました。

  • 当時のポルシェも遅いから。(笑)

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