三菱 のみんなの質問

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軽乗用車で最初に販売されたのは、1953年にオートサンダルと言う車が名古屋から発売されたんでしょうか?
エンジンは三菱自動車の汎用350cc強制空冷単気筒でパタパタと言う排気音でしたか?

同時期にNJ号とかフライングフェザーとか3輪でホープスターと言うのも、有りましたが中小のメーカーのため消えましたか?
ポープで計画した4輪駆動車をスズキが引き継いでジムニーに成ったんでしょうか?はい不可、いいえ不可

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ベストアンサーに選ばれた回答

オートサンダル以前にも軽自動車としての規格は存在しましたが、市販されたのは1953年の同車が初でした。

エンジンは三菱自動車ではなく三菱重工の子会社が製造するポンプや農機具用の汎用単気筒350ccエンジンで、4サイクルエンジンでしたので、その排気音は「パタパタ…」というよりは「トトトト…」に近かったのではないかと。
その辺りは表現の差かもしれませんが。

ちなみに製造・販売した名古屋の「日本オートサンダル自動車」ですが、同車の販売不振もあって、同車発売の翌年には経営破綻しています。

また、フライングフェザーを製造した住江製作所やホープスターを製造したホープ自動車などは、たしかに小規模組織だったために自動車製造業からは早々に撤退していますが、業態や社名変更を経て長く存在した会社も少なくありません。

ホープ自動車といえば、ホープスターON360の発想がジムニー誕生に繋がったという意味では仰るとおりですが、実際は、ホープ自動車はON360の製造を開始したものの、販売が奮わず、製造を継続できないと判断した同社は、そのON360の製造権をまず三菱自動車に売りに行ったそうです。

ところが既にジープをライセンス生産していた三菱自動車が全く相手にしなかったため、次にスズキにON360の製造権を売りに行くのですが、その行き先が浜松の鈴木自動車工業本社ではなく、スズキ自販東京だったのです。
そして、それがその当時スズキ自販東京の社長だった鈴木修氏(昨年までスズキ自動車㈱会長)の目に止まり、ON360の製造権の買取りを即断したのだとか。

余談ですが、当時の鈴木自動車工業本社も独自に四輪駆動車の設計を進めていたそうですが、軽自動車規格ではなく普通車の予定だったところ、このON360の製造権取得をきっかけに、その計画を一旦白紙に戻し、LJ10の開発に着手したのが今に繋がるジムニーの歴史の始まりだそうです。

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