メルセデス・ベンツ のみんなの質問

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メルセデス・ベンツの創始者であるカール・ベンツさんが開発した自動車の性能を証明する為、妻であるベルタ・ベンツ夫人が100km以上のテスト走行に挑んだエピソードに大変感動致しました。

このような内助の功で世に認められた偉人や成功者のエピソードがあったら、教えてください。

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回答一覧 (2件)

  • >エピソードに大変感動致しました。

    ・・・感動しているところ、水を差す様な話で申し訳ありませんが。

    ※ベルタ・ベンツは元々、カール・ベンツの会社『ライン川ガスエンジン工場』に投資する投資家の一人でした。
    その投資家が後にカールと結婚したわけで、結婚後は当然会社経営のビジネスパートナーとなりました。本田宗一郎に対する藤沢武夫の様なものです。

    ※ベルタは、完成したクルマを宣伝して広く売り込む責任を負っていて、カールに無断でクルマを走らせ100㎞離れたプフォルツハイムの母親に会いに行ったのは、彼女の『画期的な広報活動』でした。

    ※ベルタは後に大胆な経営手腕が評価され、自動車会社経営のパイオニアとして米国の自動車殿堂入りを果たします。カールとベルタ、夫婦で自動車殿堂入りしたのは、現在のところベンツ夫妻だけです。

    ・・・っという話で何を申し上げたいか?というと、ベルタが『内助の功』などでは無く、19世紀末の、強い性差別が当然だったあの時代に『驚くほどの先見の明と行動力を持ったビジネス・ウーマン』だったということです。
    『内助の功』などという奥ゆかしい(?)イメージでベルタが評価されるのは間違っていると思い、コメントさせて頂きました。

    世界初の実用的自動車(但し蒸気エンジン)を作ったリチャード・トレヴィシックや、世界初のガソリン自動車を発明したジークフリート・マルクスなどを差し置いて、今日カール・ベンツが『ガソリン自動車の父』の様に言われるのは、自動車メーカーとしてクルマやエンジン単体を顧客に売ったからであって、そのビジネスが実現出来たのは、ベルタがビジネスパートナーだったから、です。(ベンツが3輪ガソリン車を作った1885年、早くもマルクスはクルマの量産に乗り出しますが、しかし数台しか売れず、会社は存続出来ませんでした。残念ながらマルクスには、ベルタや藤沢武夫の様なビジネスパートナーがいなかったということです。)

  • 非常に地味な話ですが・・・

    本田宗一郎が、後に副社長となりホンダの経営面を一手に引き受けた藤沢武夫と初めて会ったとき、戦後まもなくの物資不足の中、宗一郎の妻さち夫人は裏庭の畑で育てた小麦で手打ちうどんを大量に作って、大きなザルに盛って藤沢に振る舞ったそうです。

    藤沢はこれに感動し、もしうどんが小さなザルに少しだけ盛られていたら、自分は本田宗一郎と手を結ばなかったかもしれないと述懐しています。

    後に、いよいよ死期の近づいてきた本田宗一郎は、病室でさち夫人に「おんぶして部屋を回ってくれ」と頼んだそうです。夫人が言われたとおりにすると、宗一郎は「満足だ」と言ったんだそうです。愛する人の背中におんぶされているような温かい乗り物が、本田宗一郎の理想とする乗り物だったのかもしれません。

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