マクラーレン のみんなの質問

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なぜF1のロータスとかブラバムは完全消滅して。
ティレルとかミナルディは生き残ったのですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1987年の日本でのF1元年。

当時はロータスはセナとホンダとキャメルを推したトップチーム。
ブラバムは没落しかけていましたが81年と83年のチャンピオンチーム。
よく分からないのですが。
当時のティレルとミナルディて貧乏チームだったと思うのですが。
ですがティレルは今はメルセデスAMGですが。
ミナルディも今はRBとして生き残っていますが。
なぜロータスとブラバムは完全消滅して。
ティレルとミナルディは生き残ったのですか。

と質問したら。
世渡りが上手かったから。
という回答がありそうですが。

ケン・ティレルとジャンカルロ・ミナルディて世渡りが上手い人には見えないのですが。

それはそれとして。
当時はトップチームだったロータスとブラバムが完全消滅して。
なぜ貧乏チームだったティレルとミナルディは生き残ったのですか。

余談ですが。
アローズやラルースやレイトンハウスもなぜ生き残れなかったのですか。
お金がないないないと言っても一時期は日本のバブルマネーで潤っていたのでは。
ティレルとミナルディはもっとお金のない貧乏チームだったと思うのですが。

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ベストアンサーに選ばれた回答

オーナーがただ同然で売ったから生き残った。
お金を儲けようとうと高額な価格設定したら誰も買わなくて消滅した。

その他の回答 (2件)

  • 推測になりますが。
    ロータスとブラバムは借金が巨額で、お金を借りていた相手が裁判所に差し押さえの申し立てを行ったため、借金を返さなければレースにお金を使うことができなくなったから。
    F-1チームを引き継ぐには数十億円〜百億円程度の資金が必要だったのでは、と考えます。

    ロータス、ブラバムともに80年代半ばまでチャンピオン争いの候補になるチームでしたから、お金を使う規模が大きく、シブチンのティレルやミナルディとは状況が違ったのだと思います。

    ○ロータスの場合
    長年アクティブサスペンションの開発を続けていて、資金を浪費した様子。
    ロータスは81年にツインシャシーの88を開発したものの可動空力装置の扱いで禁止され、その後はグランドエフェクトを最大限に発揮する機構としてプランBのアクティブサスペンションの開発に邁進します。ロータスが目指したのはあらゆる条件で最適なライドバイトを得るフル・アクティブサスペンションで87年の99Tや93年の107Bで実戦投入されたものの、当時の車載CPUの演算能力では完全な動作を実現できず。
    一方ウィリアムズはレースコースの地点ごとにライドハイトをプログラムするという簡易手法でアクティブサスペンションをものにし、92年のFW14Bと93年のFW15Cでタイトルを独占しました。
    94年にはアクティブサスペンションが禁止され、ロータスが注ぎ込んだ資金と労力は無駄に終わりました。

    トドメを刺したのは92, 93年の107に搭載したフォードHBで、コスワースから使用料として数十億円請求されたもののツケにしていて、郷を煮やしたコスワースが94年、裁判所に差し押さえの申し立てを行い、支払いができずにチーム活動のトドメを刺されました。
    94年、ひょっとしたらホンダがロータスを買収する可能性もあったそうですが、ロータスは結果を出せず差し押さえで全てが終わった様子。

    ○ブラバムの場合
    バーニー・エクレストンがチーム運営から興味を失ったらしく、89年には新興実業家ヨアヒム・ルーティの手に渡りグランプリ参戦を再開。しかしルーティが投資家から120億円を横領した容疑で逮捕され、チームは90年にミドルブリッジ・レーシング中内康児さんの元に。中内さんはチームを買収するために数十億円の借金をしたのでは、と思います。チームに大きなスポンサーが付かず、92年途中に差し押さえを受けてチーム活動終了。


    ティレルやミナルディは貧乏で知られたものの、お金が無い状況でのチーム運営をし、訴えられること無く乗り切ったのだと思います。

  • たまたまとしか言いようがないですね。

    ただ、アロウズもラルースもレイトンハウスもジャパンマネーで
    「ファクトリーやR&D施設を建て替えた」という話はまず聞きませんね。
    これらのチームってすでに技術面では末期症状で、「日本のバブルマネーが」
    といっても別に潤っていたわけではないということで良いと思います。
    日本人のチームオーナーにファクトリーやR&D施設の建て替えを打診しても
    同意など得られるわけなく、チームオーナーの俺が出したジャパンマネーだ、
    パドックにレースクィーンや有名人を呼んだりするためにしか使わせない、
    みたいな方針だったのでしょう。

    ティレルはミナルディと並べてはいけないほどの名門チームでしたが
    (コンストラクターズチャンピオン1回、ドライバーズ2回、23勝)
    BATが買収した際にティレルの人材こそ一部残ったもののファクトリーや
    外注企業などのリソースはほぼ引き継がれていないため、ティレルとの
    関係はここで切れてしまっており、生き残ったとは到底言えないです。

    ミナルディが1990年代初頭に拡張したファエンツァ市のファクトリーを
    トロロッソなど後身がいまだに使用してオペレーションしている(はず)ので
    まだ名残がある方ですね。堅実に「使える」工場を建てたのでしょう。
    しかし1990年代後半にはすでにジャンカルロ・ミナルディは14.5%の
    株主でしかないお飾り育成ディレクターとしてしか機能しておらず、
    身売りするずいぶん前から他人のものです。結局3年計画でトップチーム
    入りを目指し、このファクトリーの拡張を推し進めた張本人である
    佐々木正チームマネージャーは90年代前半のうちにミナルディを離脱。
    チーフデザイナーだったアルド・コスタも移籍し、フェラーリとメルセデス
    2つのチームで在籍中のコンストラクターズ6連覇に貢献しました。

    https://www.youtube.com/watch?v=z1JB-qPvW6M

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