アルファロメオ のみんなの質問

回答受付終了
回答数:
3
3
閲覧数:
135
0

1970年代後期にF1に復帰参加し始めたアルファロメオ〜
その際、やはり一勝もできなかったのでしょうか?

質問の画像
「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

回答一覧 (3件)

  • 詳しくはWikiから。(アルファロメオ・F-1への復帰)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%82%AA#F1%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%BE%A9%E5%B8%B0

    アルファロメオ・ワークスは優勝できませんでした。

    変遷表がありますが、1979年から1985年がご質問の時期に当たります。質問の写真は179ですね、何でこんなにノーズが丸いのか。
    azwさんお書きのとおり、優勝無し、2位2回(1983年、183T、デ・チェザリス)、3位3回。
    自然吸気時代は3ℓのフラットまたは60°Vの12気筒、1.5ℓターボは90°V8を使いましたが、ターボ時代では最もシリンダー数が多いエンジンだったと思います。

    最後のシーズンに投入した185Tはあまりにも出来が悪くドライバーのパトレーゼが絶望してレースを辞めようと思ったほど、途中で前年の184Tに戻すことに。この有様でF-1から撤退。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/アルファロメオ・185T


    この前の1976年から1979年に掛けてブラバムにエンジン供給していましたが、アルファロメオ自身がワークス活動を再開したためにブラバムはエンジン供給契約を打ち切ります。カスタマー・チーム扱いされたく無かったとのこと。1979年の終盤2戦でアルファからDFVにスイッチしますが、エースだったニキ・ラウダはDFVのパワーの無さに、発作的に引退してしまいました。それまではフェラーリとアルファの12気筒に慣れていたから。
    ブラバムへのエンジン供給では2勝。ガラスのケバケバさんの書いたとおり、BT-46とニキ・ラウダの組み合わせ。BT-46Bファンカー(サカーカー)がスウェーデンGPで、普通のBT-46が運命のイタリアGPで優勝しています。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラバム・BT46

  • エンジンだけを供給していた時代ですが、1978年に2勝しました。

    1978年シーズンの新型マシン、有名な『表面冷却』のブラバムBT46↓
    https://cdn-8.motorsport.com/images/mgl/YKEWXBk0/s1200/brabham-bt46-the-brainchild-of-1.webp
    ・・・ラジエタを廃して空気抵抗を極端に減じた、おもしろマシン。
    コイツが叩き台となり、有名なBT46Bになります。

    1978年に2勝した、BT46の改良型。更に有名な『サッカーカー』のBT46B↓
    https://f1-gate.com/media/img2022/20221227-f1-fancar.jpg
    ・・・床下の空気を吸い出して路面に張りつく、おもしろマシン。
    『レース史上最大の発明』グラウンドエフェクトのロータス79を倒した唯一のマシン。『ファンカー』『逆ホバークラフト』『走る掃除機』などとも呼ばれました。

  • その際、やはり一勝もできなかったのでしょうか?
    優勝・0
    2位・2回
    3位・3回

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の
「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

ログイン

中古車探しをもっと便利に

  • 中古車お気に入り管理
  • おすすめ中古車の表示

アルファロメオのみんなの質問ランキング

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離