1960年代のスーパーカー
text&photo: Kazuhide Ueno(上野和秀)日本のクルマ好きのあいだで別格の日本車として認められているのがトヨタ2000GTだ。
トヨタとヤマハ発動機のジョイント・プロジェクトで開発され、スタイリング的にも、メカニズム的にも、世界的に見ても、トップレベルのGTカーに仕上がっていた。
1967年からトヨタ2000GTはMF10型として生産を開始。フロントノーズには、クラウン用のM型エンジンをもとに、ヤマハ発動機が開発したDOHCヘッドを備える3M型DOHC直列6気筒エンジンが搭載された。
最高出力は当時の日本車としては画期的といえる高性能で、ヨーロッパのスポーツカーにも劣らない150HPを6600rpmで発生。
シャシーはX型バックボーンフレームに前後ともダブルウィッシュボーン式サスペンション、4輪ディスクブレーキなど、当時の先進メカニズムを採用。最高速度は220km/hを誇った。
当時の販売価格は238万円で、現在の物価に置き換えると1878万円以上に相当する夢のスーパーカー。そのため誰にでも買える代物ではなく、合計337台が送り出されたにとどまり、当時からまず目にすることのできない憧れのクルマであり続けている。
試作に終わったトヨタ2300GT
こうして生産が始ったトヨタ2000GTだが、キャラクターとしてマニュアル・ギアボックスを駆使してパワーを使い切るヨーロッパ的な考えで開発されていた。そこで、アメリカ市場に向けて試作されたのがMF12型だった。
最大の特徴は、扱い易くするためとメンテナンス性を高めるためにエンジンをSOHC化し、トルクアップのために排気量を2300ccに拡大したこと。
エンジンは当時北米輸出仕様のクラウンが使用していた「2M型」がベース。各部にチューニングを行い、ソレックス製ツインチョーク・キャブレターを3基備えた「2M-B型」が搭載された。最高出力は140HPを5800rpmで発生する。
しかしトヨタ2000GTは製作コストが極めて高く、採算を度外視した価格設定だったこともあり終焉を迎えることになってしまう。MF12型も9台といわれる試作車を製作だけで表舞台から姿を消すことになる。
MF12型は市販されなかった「幻の2000GT」として、世界中の2000GTマニアの間でも特別な存在として認識されている。このMF12型の車体に付くバッジは「TOYOTA2000GT」のままだが、マニアの間では敬意を込めてトヨタ2300GTと呼ばれることがあるのだ。
シャシーナンバー MF12-000001
9月8日に東京で開かれたBH東京オークションにトヨタ2000GTが姿を現した。
一見すると左ハンドルのMF10後期型に見えたが、実は幻のMF12型だったのである。そして見逃せないのがシャシーナンバーMF12-000001を持つ「MF12L」の試作第1号車であること。
もともと市販されていないタイプがオークションに登場するのは驚きといえる出来事だ。
この試作第1号車は日本のコレクターが所有していた個体で、外装色はオリジナルのソーラーレッドからペガサスホワイトに塗り替えられているが、ボディやメカニカル部分を含めて良好なコンディションに保たれている。
また9台作られた試作車の中で2台のみといわれる3速AT仕様であることも見逃せないポイントといえる。
落札額 どう評価する?
予想落札額は6500~8000万円と発表されていたが、オークションが始まると激しい応札が続き、最終的に8800万円で決着がついた。
2013年4月に開かれたアメリカのRMドン・デイビス・オークションで、MF10が1億1319万円を記録し、2015年頃までは1億円超えで落札されていた。
2016年3月のRMサザビーズ・アメリアアイランド・オークションでは9092万円と下落傾向に。相場のバブルが崩壊した後の2018年12月に行われたRMサザビース・ペーターセン・オークションでは経済の先行き不透明感から5775万円まで落ちている。
この流れを考えれば、今回MF12型が8800万円で落札されたのは正当に評価された証しであり、このあとオークションに姿を現す可能性が極めて低い希少性を考えれば安かったかもしれない。
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