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ニューモデル 2019.6.22

デザイナー、イアン・カラム ジャガー新時代の立役者 惜別の独占インタビュー

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もくじ

ー 突然の退任 奇妙な偶然
ー ひとりのデザイナーとして
ー 数々の伝説 夢を実現
ー 素晴らしい功績 常に前進
ー 番外編1:すべてはここから
ー 番外編2:カラムが救ったアストン
ー 番外編3:カラムが選ぶ ジャガーのスター

    イアン・カラム、ジャガーのデザイン・ディレクター辞任 初代エリーゼのデザイナー後任

突然の退任 奇妙な偶然

ジャガーのデザイン責任者、イアン・カラムが午後の休憩を楽しんでいるのは予定外の行動だった。

2000年代初め、もっともそれが必要とされていた時期に、ジャガーに新たな方向性を与え、さらには、まったく新しいスタイリングを持つモデルレンジを創り出すことに成功したカラムだが、もともとのスケジュールでは、午前11時からフェン・エンドにあるジャガー・ランドローバー(JLR)のテストコースで、写真撮影を行うことになっていた。

そのため、彼は重要なエンジニアリングに関するミーティングを抜け出してきたのであり、撮影が終われば、同じようなミーティングへと戻ることになっていたはずだ。

だが、撮影が開始された途端、まるで壊れた目覚まし時計のように、次々とカラムの携帯電話がけたたましく鳴り始め、それはわたしも同じだった。

おそらく、64歳のカラムが1年間考え続け、昨年のクリスマスには決断をしたものの、その後5カ月にわたり、誰にも打ち明けることのなかった、今年6月末でジャガーのデザイン責任者を辞め、新たな挑戦を始めるという情報が、メディアに伝わったに違いなかった。


報道のとおり、カラムの後任は18年間ともに仕事をしてきた友人のジュリアン・トムソンであり、現在、ジャガーでクリエイティブデザインディレクターを務め、革新的なコンセプトを持つ彼は、カラム同様、ジャガーの歴史と価値に新たな風を吹き込んだ人物でもある。

実は英国版Autocarでは、ジャガー内部筋からの情報によって、数週間前にはカラム退任のニュースを掴んでおり、だからこそ、彼の写真撮影にあたっては、20年前にカラムと彼のデザインチームがウィットレーにあるジャガーのデザイン本部に着任して以降に登場し、大きな反響を呼んだ、特別な11台を用意することにしたのだ。

奇妙な偶然だったが、コベントリーにほど近いフェン・エンドにあるプルービンググラウンドの、いまでは使われていない誘導路の真ん中に、カラムが11台の車両とJLRのスタッフ、そして英国版Autocarのクルーとともに立った瞬間、彼の退任のニュースが明らかとなった。

ひとりのデザイナーとして

予定では、車両撮影のあと、カラムに自らのキャリアと彼がデザインしたモデルについて、インタビューをすることにしていたのだが、カラムは即座に「彼の」クルマではないと言う。つまり、偉大なモデルを創り出すには、チーム全員の力が必要だということを忘れてはならないということだ。

カラムは今月末で退任するが、まさにその直後、待望のデザインスタジオがオープンする予定であり、彼はオープニングを飾るゲストとして招かれることになるだろう。

だが、カラムは完全にJLRから離れるわけではなく、JLRトップのラルフ・スペッツ博士と、もちろん、トムソンからの要望を受け、デザインコンサルタントとしてその関係は続く。

なによりも、カラムはふたたびひとりのデザイナーに戻ることを強く望んでおり(「みなさんが毎日取り組んでいるような仕事をやりたいのです」と、退任のニュースが明らかとなったタイミングで、彼は総勢500人のデザインチームに語りかけている)、自動車以外の分野でもその手腕を発揮したいと考えているようだ。


おそらく、その対象となるのは、時計やボート、旅行用グッズといったものになるだろう。さらに、ごく少数の志を同じくするひとびととともに、小規模なデザインビジネスを立ち上げることも視野に入れており、英国における「才能の宝庫」と考えられている、ミッドランズを拠点にするつもりのようだ。

そうしたビジネスが創り出すのは、4年前、カラムがクラシック・モーター・カーズとともに製作したジャガーMk2のようなカスタムモデルとなるだろう。

カラムは、アルミニウム製ボディを持つX350世代のXJサルーンをベースに、チョップドボディのXJクーペを生み出したいと考えており、彼が所有する程よくカスタマイズが施された1970年代製XJCに匹敵する、美しいモデルになるだろうと話している。

数々の伝説 夢を実現

カラムにまつわる伝説は多い。そのなかのひとつが、祖父に連れられて訪れたグラスゴーにあるディーラーで、ショールームに置かれていたEタイプに釘付けになったことが、彼が初めてジャガーを意識したキッカケだったというものだ。

さらに、幼い日、将来ジャガー製モデルをデザインすることを決意した彼は、ジャガーにデザインのアドバイスを記した手紙を書いており、いまでも、ジャガーの伝説的デザイナー、ビル・ヘインズに送った数々のスケッチの束とともに、ジャガー公式用紙に、デザインを学ぶことでカラムの夢を叶えることが出来るだろうと記した、ヘインズからの心温まる正式な返信まで保管している。

カラムは最初、スコットランドでデザインを学び、その後コベントリー大学へ移ると、ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アートで研究生をした後、フォードでの11年間にわたるデザイナーとしてのキャリアをスタートさせている。

フォードの後、はるかに規模では劣るものの、より強いプレッシャーにさらされた、いまは亡きトム・ウォーキンショーのTWRモータースポーツで、9年間にわたり自動車デザインに関わっているが、ここでの彼の数々の功績のひとつが、アストン マーティンを救い、いまに続く影響力を持ったDB7を生み出したことだろう。


このクルマは、アストン史上最大のヒットとなり、10年もの長寿を誇っているが、カラムは後継モデルのDB9でも主導的な役割を果たすとともに、発売とともにDB7の記録を塗り替えることになる、より小型のV8ヴァンテージも手掛けている。

1999年、当時ジャガーでデザイン責任者を務めていたジェフ・ローソンの急逝を受け、カラムは最高の適任者として、ウォーキンショーの暖かい送り出しを受けて、ジャガーへと移籍しているが、だからと言って、カラムが夢を叶え、その後すべてが上手く進んだというわけではない。

当時、ジャガーを保有していたのはフォードであり、英国へと派遣されていた経営陣は、創造性というものをまったく理解していなかったにもかかわらず、デザインの方向性に干渉するとともに、モンデオベースのXタイプや、替わり映えのしない(それでも、新たに採用されたアルミニウム製ボディの中味には、コストを掛けた改良が施されていた)XJサルーンといったモデルにも対応する必要があった。

ジャガーにサー・ウィリアム・ライオンズが生み出した気品とスポーティさを引き継いだ、現代的なルックスが必要であることは、カラムには当初から分かっていたものの、そのためには、2世代を一気に飛び越すような新たなデザインが求められていたのだ。

素晴らしい功績 常に前進

2004年のフランクフルトモーターショーに向けて創り出された、アルミニウム製ボディを持つXKクーペが、ジャガーにおけるカラム初の作品だったが、大きな飛躍がもたらされたのは、新たなルックスで登場したサルーンのXFによってであり、このクルマは、ジャガーの方向性を示すとともに、その後、カラムがデザインしたすべてのジャガー製モデルに影響を与えている。

その後も、既存のラインナップを刷新するまったく新しいデザインを纏った数々のモデルが登場している。この新デザインのもとで、XF、XE、XJとXKのモデルレンジを創り出し、Fタイプ、FペイスやEペイスといった小規模モデルを誕生させ、コンセプトモデルとして、誰もが量産を期待したスーパーカーのC-X75を生み、IペイスというプレミアムEVによって、ドイツのライバル勢を蹴散らしたからこそ、カラムはさらに先へ進むことを決断したのだ。

彼は、「Iペイスの発売日として選んだのが、まさに50年前、ビル・ヘインズからの手紙を受け取った日だったことに突如気が付きましたが、このことは今回の決断にも多少は影響しています。このクルマがわたしが手掛ける最後のジャガーになるだろうと、なんとなく分かっていたのです」と話す。

カラムは、1950年代から70年代にかけて、デザイナーとはエンジニアリングを理解していない、「単にボディをデザインするだけの」下請けに過ぎないと思われていた時代から、現在の、すべての素晴らしいアイデアを生み出す、中心的な存在だと見なされるようになるまでの時代を生きてきた。


撮影を終え、その素晴らしいキャリアを称賛する大量のeメールに目を通すカラムの様子を眺めていた。仕事として多くのひとびとと会い、90秒でさえ、人前で自信を持って答えるのに戸惑うような人間には、注目されるなか、45分間ものスピーチをこなすカラムには脱帽するしかない。

「感傷的になっているわけではありません」と、彼は言う。「多くの素晴らしい経験と、沢山の機会を与えて頂きました。確かに、フィエスタほどのサイズのスモールジャガーをデザインする機会があればとは思いますが、それはジャガーのビジネスではありません」

「もっとも思い出深いのはアストン マーティンDB7の発売です。わたしにとって、重要な意味を持つ最初のモデルでした。そしてXFも忘れることは出来ません。このクルマからすべてが始まったのです」

「C-X75を量産することが出来なかったことはいまでも心残りですが、FタイプとIペイスという素晴らしいモデルを発売できたことは大いなる喜びでした。こうしたモデルは常に前進することの意義を教えてくれるからこそ、重要な存在なのです」

番外編1:すべてはここから

当時14歳だったイアン・カラム少年が書いたこれらのデザインスケッチは、1960年代にジャガーのビル・ヘインズへと届けられたものだ。カラムの母親が保管していたスケッチのなかには、Mk10といったサルーンのスタイリングの特徴を、多く見て取ることができる。


それでも、カラム少年はLスタイルのような、自身のデザインも創り出していたのであり、その領域はジャガーのデザインスタイルを見事に理解していたことを示すインテリアにまで及んでいる。

この少年の想いを受け取ったヘインズは、2枚の手紙を若きイアンに送り、デザインの勉強をするように促したのだ。そして、まさにそれが始まりだった・・・

番外編2:カラムが救ったアストン

1994年発売のアストン マーティンDB7こそが、イアン・カラムにとって、初めてプレミアムなスポーツカーのデザインで自身の才能を発揮することに成功したモデルだ。

TWRの極めて少ない予算のもとでデザインされたDB7だったが、アストンの経営陣が驚くほど多くのドライバーを魅了し、ブランド終焉の淵にあったこの伝統のスポーツカーメーカー復活の立役者となった。


「TWRのボス、トム・ウォーキンショーからは非常に多くを学びました」と、カラムは言う。「彼が、このクルマをデザインするためのスペースと自信を与えてくれたお陰で、DB7は誕生したのです」

DB7は10年ものあいだ現役を続け、いまに続くアストンのデザインを定義することとなった。

番外編3:カラムが選ぶ ジャガーのスター

2006年 XK


「フロントエンドを引き上げ、引き締まったボディラインを与えることが重要だったために、エッジを用いたデザインを採用しています。経営陣と米国のディーラーからは酷評されましたが、いまでも謝罪されることがあります。わたしにとってはジャガー初のモデルであり、ジャガーの役員からも注目されていたので、ナーバスになっていました。それでも、なんとか上手くいったようです」

2008年 XF


カラムの大いなる革新であり、このSタイプの後継モデルは、ライオンズ時代からの使い古されたデザインを刷新することとなった。2世代分の飛躍を遂げつつ、スポーティなキャラクターを維持することを意図したデザイン(「高さのあるデザインでは実現できなかったので、クーペ風のシェイプを採用しています」)であり、華やかさを失った2015年登場の2代目モデルは、初代ほどの人気を博すことはできなかった。

2010年 XJ


先代のアルミニウム製ボディを持つXJは大人しすぎたと感じたカラムは、彼が「反抗的なエッジ」と呼ぶデザインをこのモデルに与えている。XJでもっとも議論を呼んだのは、その縦型テールライトかも知れないが、その他、多くのデザイン要素(例えば巨大なグリルのようなものだ)でも、大きな飛躍を遂げている。

このクルマには、リーバ・フープと呼ばれるレイヤー状のダッシュボードが室内を取り囲んだ、美しいインテリアが組み合わされていた。

2012年 C-X75


ジャガー設立75周年を記念して、「進歩し続けるアート作品」として誕生したモデルであり、そのパワープラントには、ハイブリッドタービンが採用されていたが、すぐに高出力を誇る1.6ℓ4気筒エンジンと電気モーターの組み合わせに変更されている。

非常に好評を博し、量産化も検討されたが、結局その計画が実現することはなかった。

それでも、2015年公開の007映画「スペクター」用として、ごく少数が生産されている。

2014年 Fタイプ


タタ傘下となった直後、スポーツカーのアイデアを気に入ったタタ会長、ラタン・タタの後押しを受け、この2シーターモデルは登場している。コンバーチブルボディから導入されたのは、マーケティング部門の「コンバーチブルのほうが人気が高い」との助言を受けてのものだったが、1年後にクーペが登場すると、こちらのほうが人気モデルとなっている。

いま、カラムはエンジン搭載位置をより低く、さらに後退させることは出来ないだろうかと考えているようだ。

2015年 XE


BMW 3シリーズのライバルとなるべく、この美しいスモールジャガーは登場しているが、その見事なメカニカルスペックと均整のとれたプロポーションにもかかわらず、大成功したとは言い難い。

XFといった、他のジャガー製モデルを小さくしたようなスタイリングを批判されたことで、いまではカラムもこのアプローチを採用したことを後悔しており、最新のXEにはより独自性を発揮するルックスが与えられている。

2016年 Fペイス


SUVだったが故に、カラムが「デザインするとは想像もしていなかったモデル」として知られているFペイスは、力強い面構成と、そのネコ科の動物を思わせるリア廻り、そして他のジャガーとの共通性を感じさせるデザインを実現することの難しさを証明した存在だが、それでも、何度もアイデアを練り直すことで、最後には見事なスタイリングを実現している。

「もっと早くデビューさせることができたはずだと言うひともいますが、ジャガー初のSUVとして、Fタイプのようなモデルにする必要があったと信じています」と、カラムは話している。

2018年 Iペイス


気品がありながらも張りのあるラインと、独特なスタイリング(「単に完全なEVだからという理由ではありません」)によって、カラムが「特別な1台」と呼ぶモデルだ。

カラムにとっては、ジャガー最後の作品であり、他のデザイン同様、既存のコンポーネントに縛られることなく、新たな時代の幕開けを告げるモデルだと言う。

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(AUTOCAR JAPAN 編集部)

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