1960年代から富士スピードウェイでレース・アナウンサーを務めたケン田島(本名・漆原一郎)さんが、去る4月27日に肝細胞がんで亡くなった。90歳だった。
ケン田島さんは1930年イギリス生まれ、41年に帰国した。戦後、連合軍総司令部(GHQ)、在日米国大使館に勤務した後、70年代後半からラジオのDJを務めた。本業は同時通訳者で、国際会議やモーターショウでも通訳をした。
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その傍ら、1966年の日本グランプリから富士スピードウェイでレースアナウンサーとして活躍、数多くのレースで得意の喋りを聞かせ、我が国のレースアナウンサーの草分けと言われた。得意の英語を駆使して海外からのドライバーとも交流を図った。
思い出に残るのは1976、77年の2回富士スピードウェイで行なわれたF1。76年には3位に入ってチャンピオンに輝いたジェームス・ハントが表彰式をすっぽかして帰国したレースだ。日本人ドライバーも出場したが上位には入れず、少し寂しかったと振り返った。
現代のレースアナウンサーの第一人者とも言えるピエール北川氏は、ケン田島さんの死去に際して、次のように語った。
「一度JAFスポーツで対談をさせていただいたことがあります。日本のレースの黎明期ともいえる時代から、日本語と英語を使ってレースの模様を語る技には尊敬しかありません。今はテレビモニターなどで情報収集ができますが、当時は何もなかったわけですから、大変な苦労をされたはずです。ケン田島さんの前には誰もこの仕事はやっていなかったわけで、その意味では本当のパイオニアです。時代を切り開いた、と言うことですね。大先輩として、本当に尊敬しかないです。今は、安らかにお休みください」
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