1994年5月1日に、稀代のF1スターであるアイルトン・セナがこの世を去ってからちょうど30年。その30年の間に、F1は安全性が増しただけでなく、当時とは比べ物にならないほど世界中からの注目が高まることになった。
そのセナと切っても切れない関係にあるのが、ホンダの存在である。セナはロータスに在籍していた1987年に初めてホンダエンジンが搭載されたマシンに乗り、以後1992年まで、一貫してホンダエンジン搭載マシンでF1を戦い続けた。当時の日本では、セナとホンダF1はいわば同一視され、大ブームを牽引するひと役を担った。
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ただホンダが1992年限りでF1を撤退すると、翌1993年にはフォードエンジン搭載のマクラーレンで奮闘。しかしこの年限りでマクラーレンを離れ、ウイリアムズへと移籍……そしてイモラで帰らぬ人となった。
実際にセナがウイリアムズに加入したのは1994年だったが、そもそも1992年の段階でウイリアムズ入りしていた可能性もあったという。そう語るのは、セナのマネージャーを務めていたジュリアン・ジャコビである。ジャコビは、セナとホンダの絆が強かったからこそ、1992年もマクラーレンに残ったのだと明かす。
マクラーレン・ホンダに所属したセナは、1991年に自身3度目のチャンピオンを獲得したが、この年の終わりに契約が満了となるため、移籍も含めて選択肢を検討していた。その移籍先の候補のひとつだったのが、ウイリアムズであった。
ジャコビによれば、セナは1991年のベルギーGPを前に、ウイリアムズとマクラーレン、双方と契約を結ぶ準備ができている状態にあり、1992年にウイリアムズに移籍する可能性も十分にあったという。
「アイルトンはウイリアムズに行きたがっていたが、彼はホンダに対して誠実だった」と、ジャコビはF1のポッドキャストでかつてそう語った。
「彼は本能ではウイリアムズ行きを望んでいたが、彼は当時ホンダの社長だった川本信彦に対して、特に義理を感じていたんだ」
「アイルトンは彼と非常に親しかった。なぜならホンダはアイルトンと共に、1988年にマクラーレンに加わり、3度のチャンピオンを獲得したからだ」
「彼は1991年に3度目のチャンピオンを獲得したが、直感的にホンダの将来を心配していたんだ」
ジャコビは、スパでのレースに先立ち、セナがウイリアムズへの移籍契約にサインすると考えていたようだ。しかし、セナが川本社長と電話をしたことで、状況が変わったという。
「私はスパに、ふたつの契約書を持って行ったことを覚えている。ひとつはマクラーレンで、もうひとつはウイリアムズだ。私が思うに、アイルトンはウイリアムズに行くべきだと分かっていたと思う」
「どちらの契約もサインする準備はできていた。そして日曜日の朝、彼はウイリアムズとの契約にサインするつもりだと私は思っていたんだ」
「しかし彼は、日本にいる川本社長と一晩中話をした。日曜日の朝に私のところに来て、『もう1年残るつもりだ』と言ってマクラーレンと契約を延長したんだ」
1992年は、ウイリアムズの『FW14B』が席巻したシーズンとなった。リ・アクティブサスペンションを搭載したハイテクマシンを操ったナイジェル・マンセルが、16レース中9勝、14ポールポジションを記録。対してセナはわずか3勝、最終的なランキングは4位となった。
ジャコビは、セナが1992年にウイリアムズに移籍していたら、マンセルはおそらくチームにいなかっただろうと述べた。
「アイルトンは1992年の時点でウイリアムズに行くことができた。そうなればおそらく、ナイジェルはそこにいなかっただろう」
「その年は、ナイジェルがチャンピオンシップを勝った年だ。しかしアイルトンが引いたので、マンセルが残ったんだ。川本社長がアイルトンをマクラーレンに残るよう説得し、ホンダもコミットし続けると約束した」
「それは本当に難しい決断だった。そして最終的に、その決断はアイルトン次第だった。我々にできることは、両方の選択肢を提示することだけだった。結局、彼は”忠誠”を選んだんだ」
しかしホンダは、1992年のシーズン終了をもってF1から撤退。セナは、アラン・プロストが1992年にやったように、1993年を休息に充てることを考えた。
「ホンダは撤退を決定し、彼らがロン(デニス/当時のチーム代表)に撤退を伝える3ヵ月前に、アイルトンにそれを話していたと思う。そして、彼は酷く打ちのめされた」
「それから、我々は1993年の契約先を見つけなくてはいけなかった。アイルトンが1年間ドライブしない可能性はどれだけあったか? その答えはかなり高かったと言える」
なお2024年のF1は、ホンダ製のパワーユニットを使うレッドブルが圧倒的な強さを発揮している。ホンダは、セナ亡き後度々F1に挑んできたが、当時のような好結果をなかなか残すことができなかった。当時と同じようにマクラーレンと組んだこともあったが、これも表彰台すら獲得できずに終了という形になった。
ただ今は、前述のようにホンダ製のPUが猛威を振るい、他を圧倒している。しかし厳密には、現在ホンダはF1を撤退している状態であり、子会社のホンダ・レーシング(HRC)がレッドブル・パワートレインズに技術サポートを提供しているという状況である。
そして2026年、新レギュレーションが施行されるのと同時に、ホンダは正式にF1にカムバック。アストンマーティンを新たなパートナーとしてワークス参戦する予定だ。
”セナ時代”と同じような大成功を収めることができるのか、注目が集まる。
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みんなのコメント
プロフェッサーの愛称だったプロストは
そのイメージとかけ離れた人だったと
当時のホンダ関係者は言う
セナのエンジンだけスペシャルじゃないのか
とイチャモンをつけられて
じゃあ君がランダムに選んでくれていい
やましい事は一切してないから
と返したエピソードは今でも覚えてる
いや、プロストを批判してるんじゃなくて
F1なんてそのくらいの勢いでないと
生き残れないよね
ある意味セナは良い人すぎたのかも知れない
ポルコロッソのセリフを借りるなら
良いヤツはみんな死んだ、だ