新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第38回目は、GT500クラスに参戦するTGR TEAM au TOM'S/TGR TEAM KeePer TOM'Sだ。
■TGR TEAM au TOM'S
マシン:au TOM'S GR Supra
ドライバー:関口雄飛/サッシャ・フェネストラズ
カーナンバー:36
監督:伊藤大輔
タイヤ:ブリヂストン
開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:NILZZ Racing
■TGR TEAM KeePer TOM'S
マシン:KeePer TOM'S GR Supra
ドライバー:平川亮/ニック・キャシディ
カーナンバー:37
監督:山田淳
タイヤ:ブリヂストン
1973年、オイルショックの影響でモータースポーツ界は大打撃を受け、トヨタワークスは解散を強いられた。ワークスドライバーの一員だった舘信秀が一念発起し、モータースポーツを手がける会社を設立する。そこでドライバーとして活躍し、その後技術職に転じた大岩湛矣(湛の字は『氵』さんずいではなく『冫』にすい」)とともに1974年に立ち上げたのがトムス。チューニングショップとして活動をスタートさせ、その後東京都西多摩郡に最初のファクトリーが作られた。
チーム立ち上げの際に、大岩が名付けたチーム名称が『TOM'S』だが、これは舘の『T』、大岩の『O』、モータースポーツの『M』と『S』の語呂合わせでつけられた。チューニングでの収入をもとにサーキットでの活動をスタートさせると、マイナーツーリングにスターレットを投入し大活躍。さらにマカオGPのギアレースでは連覇を飾り、舘は“マカオの虎”の異名をとる。
1979年からは、その後シリーズの主役として活躍することになる全日本F3選手権参戦を開始。さらに1982年からはグループC活動をスタートさせる。また、全日本ツーリングカー選手権でも活動。トップチームとして君臨しはじめた。80年代から90年代、街中で多くのトヨタ車に『TOM'S』のステッカーが貼られはじめた。
また、トムスの“凄さ”はレーシングチームとしてだけではない。チューニングブランドとしても高い評価を得ているほか、シャシーコンストラクター、エンジンコンストラクターとしても確固たる地位を築いている。また、トムスチューンのF3エンジンはヨーロッパでも数々の多くのタイトルを獲得し、イギリスにトムスGBが設立された。1990年代はじめには、このトムスGBを舞台にF1参戦計画も存在した。
そんなトムスの栄光の歴史は、マカオ制覇やグループAでの王座、ル・マン24時間での活躍など枚挙に暇がない。また、トムスで育ち国内トップカテゴリーで王座を獲得したドライバー、F1に参戦したドライバー、ワールドチャンピオンを獲得したドライバーも数多い。さらに現在国内トップチームで活躍するメカニックやエンジニアにもトムス出身は数多くいる。
2020年はスーパーフォーミュラ・ライツ、そしてスーパーフォーミュラ、スーパーGT GT500クラスに参戦するほか、FIA-F4ではTOM'S YOUTHを結成する。スーパーフォーミュラでは数多くのチャンピオンを獲得してきたが、実は国内トップフォーミュラでは、1993年に1年だけ関谷正徳を擁し参戦したのが初。2006年に復帰してからはシリーズのトップチームとして活躍している。
スーパーGTでは、前身のJGTC全日本GT選手権の2年目にあたる1995年から参戦。1997年からカストロールカラーの36号車、37号車の2台体制となり、97年にはミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ組が初めての王座を獲得。1999年~2000年には3台体制を敷いた。2005年までは2台体制での参戦となり、1台体制となった2006年には脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー組が王座を獲得。2009年には同コンビがふたたび戴冠。2013年からふたたび2台体制となり、2017年には平川/キャシディ組がチャンピオンを獲得した。
さて、トムスのカーナンバーといえば、過去にはマイナーツーリングや全日本ツーリングカー選手権、F3等では『7』や『8』も使われたが、グループC時代から続くトムスのエースナンバーといえば『36』だ。また、『37』もトヨタからワークスとして認められた番号のひとつであり、JGTC/スーパーGTではセルモが1996年に一度使ったことがあるだけで、トムスが1台体制だったときも37を使うチームはなかった。いまや平川とキャシディの活躍によって、37も“ダブルエースナンバー”と呼べる存在となっている(ちなみに3台体制のときには35を使った)。
この36の由来については諸説あるが、かつてトムスのエースとして36をつけ数多くのレースを戦い、SWCスポーツカー世界選手権でトヨタTS010を駆り1992年第1戦モンツァを制した小河等が36歳で亡くなったことから、以降チームではトムスを永久に象徴する番号として使い続けている。
2020年、新たに36号車au TOM'S GR Supraにはサッシャ・フェネストラズを加え関口雄飛とコンビを組む。また、37号車KeePer TOM'S GR Supraも平川亮/ニック・キャシディのダブルエース体制が敷かれる。今季もシリーズの中心であることは間違いないだろう。
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みんなのコメント
1984年にトヨタのCカーは3チームが走らせました。
17童夢-19トムスそして3台目は、日本の名ドライバー生沢徹さんの37イクザワトヨタ84Cです。
昔の事なので記憶がたしかではないのですが、
1984年のWECの時に、トムスが36-ワコールカラーに変わった童夢が38に変更しました。
当時は、館監督が36歳だからと聞きましたが、わかりません。WECの空き番号がチームイクザワの37の前後36-38で
トヨタで続き番号にしたかったんじゃないかと思ってましたが。この記事では、37-チームイクザワは触れてませんが
白に赤いCanonカラーの美しいマシンでした。