アルファ・ロメオとGMCの共通点とは?
イタリアのアルファ・メオと米国のGMCは、対極に位置するような自動車ブランドだが、両社とも「GT」という名称を使ったクルマを販売しているのだ。一般的に、GTというイニシャル(または派生の名称)はスポーティなモデルを表現する言葉として、多くの自動車メーカーで使われてきた。
【画像】「GT」を名乗る名車たち【トヨタ2000GTやフェラーリ250 GTE、フォードGTなどを写真でじっくり見る】 全120枚
しかし、実際のモデルがその名にふさわしい出来かどうかは、まちまちである。「これぞGT」と膝を打つようなものもあれば、「どこがGTなんだ」と思わず首を傾げるものもある。
今回は、ランチアのグランドツアラーからクライスラーのPTクルーザーまで、良くも悪くもGTのエンブレムが装着されたクルマを紹介する。
GTの意味は?
GTとは、イタリア語で「グランドツーリング」を意味する「Gran Turismo」の頭文字をとったものであることは、クルマ好きの間では広く知られている。もともとは、長距離の自動車旅行に十分な室内空間と快適性を備えた高性能車を指す言葉である。
そのため、本来はサーキットとは対極にあるものだが、やがてレースにも使われるようになり、GT3やGT2など「GTクラス」用に設計されたレーシングカーを表すこともある。しかし、すべての会社が、こうした定義を忠実に守っているわけではない……。
ランチア・アウレリアB20 GT(1951年)
GTのエンブレムが初めて市販車に採用されたのは、ランチアが1951年に発表したアウレリアB20 GTだった。4ドアのアウレリアB10をベースに、なめらかなルーフラインとスポーティなインテリアを持つ2ドアモデルである。
4ドアのアウレリアは、1950年代初頭に1991cc のV6エンジンを搭載したクルマとして注目を集めた。ピニンファリーナが手がけたB20 GTは、エンジンを改良して最高出力75psにパワーアップ。そのスポーティなイメージにふさわしいものとなった。
ランチアはその後、フルヴィア・ベルリーナのGTEから、初代デルタの高性能モデルまで、さまざまな車種にGTの名前を使用した。
フェラーリ250 GTクーペ(1954年)
フェラーリとピニンファリーナなどのコーチビルダーは、250の派生モデルを十数種類も製造した。1954年のパリ・モーターショーで発表された250 GTは、フェラーリが「普通のドライバー」を対象に、初めて本格的な量販を狙ったモデルである。
GTという名称は、オーナーがイタリア横断のロングドライブを快適に楽しめるグランドツーリングカーを率直に示していた。
フェラーリの歴史に残る名車の多くには、「G」と「T」の文字が使われている。250 GTO、ディーノ206 GT、365 GTB/4などが思い浮かぶ。現在では、812 GTSと296 GTB/GTSがその襷をつないでいる。
マセラティ3500 GT(1957年)
1940年代後半に登場したA6の引退後、マセラティはもっとストレートなネーミングを好むようになる。1957年に発表された3500 GTは、3500ccの直6エンジンを搭載し、グランドツアラーというコンセプトを見事に体現したモデルだ。
1959年の5000 GTも同じルールに則ったものだが、その後は英数字のネーミングから離れ、ギブリ、ミストラル、セブリング、クアトロポルテといった名称を採用するようになった。
再びGTの名が使われたのは、1998年から2002年にかけて製造された3200 GT。そして2007年にはグラントゥーリズモという名のクーペを発売した。現在でもレヴァンテやクアトロポルテを筆頭に、仕様の1つとして「GTS」を使用している。
サーブGT750(1958年)
スウェーデンのサーブが1958年に発表したGT750は、イタリア以外のメーカーがGTの名称をあえて使用した最初の市販車の1つである。GT750は、2ドア・クーペのサーブ93のスポーツモデルであり、750ccの3気筒エンジンで45psを発揮。
性能ではマセラティ3500 GTには及ばないものの、サーブがこの言葉を使うことに文句を言う者はいなかった。93にラリーの遺伝子を組み込んだものであり、その文字に恥じない走りを見せるのだ。
アストン マーティンDB4 GT(1959年)
アストン マーティンは、1959年のロンドン・モーターショーでDB4のGT仕様を発表した。その名の通り、DB4をGTクラスレース用に改良した進化系である。標準より全長が短く、かなり軽量化されており、エンジンのパワーアップに加えて前後にディスクブレーキが装備された。
スターリング・モスは、DB4 GTのプロトタイプを駆ってデイリー・エクスプレス・シルバーストン・ミーティングのGTレースで優勝。アストンが正式発表するよりも先に、その価値をサーキットで証明している。また、さらに軽量・高性能化したDB4 GTザガートのベースともなった。
しかし、アストン マーティンは「グランドツアラー」の思想に忠実なブランドであるにもかかわらず、DB4 GT以降、GTの名称を使うことは稀である。
スチュードベーカー・グランツーリスモ・ホーク(1962年)
1962年にホークの最終進化型を発表し、米国ブランドとして初めてGTの名を冠したのがスチュードベーカーだった。メルセデス・ベンツ譲りの大胆なグリル、角張ったルーフライン、1960年代の流行に合わせたリアエンドなどを持ち、「グランツーリスモ・ホーク」と呼ばれる。エンジンは2種類の自然吸気V8と、最高出力293psのスーパーチャージャー付きV8が用意された。
グランツーリスモ・ホークは、経営不振に陥っていたスチュードベーカーを存続させるために勇敢にも登場したモデルであったが、結局は無駄に終わってしまう。1963年12月、インディアナ州サウスベンド工場の閉鎖に伴い、生産は終了した。
ダッジ・ランサーGT 2ドア・ハードトップ(1962年)
1962年、米国の自動車メーカーがまたもやGTエンブレムを掲げた。ダッジは1962年モデルで、ランサーのハードトップ仕様をGT 2ドア・ハードトップと改名し、厚手のカーペット、バケットシート、ダッシュボードのウッドトリム、フルホイールカバーを装備してアップグレードした。
最高出力101psを発揮するクライスラー・グループのスラント6気筒エンジンを搭載し、高性能モデルとして販売された。
1963年モデルでは、ランサーに代わり、3代目ダートが発売された。ダートには、コンバーチブルとクーペの最上級モデルとしてGTが存在し、4代目のスポーツモデルにもGTSの名が与えられている。
2013年には、兄弟ブランドのアルファ・ロメオ・ジュリエッタをベースとした5代目ダートが登場。その最高級仕様にGTのバッジが付けられたが、残念ながらその期待に応えられたとは思えない。
アルファ・ロメオ・スプリントGT(1963年)
1960年代初頭、自動車メーカー各社はGTのエンブレムに秘められたマーケティング力を見出し始めていた。アルファ・ロメオは1963年、ジュリエッタ・スプリントの後継としてベルトーネデザインの上級クーペ、ジュリア・スプリントGTをデビューさせる。
このモデルは後に、パワフルなジュリア・スプリントGTヴェローチェ(後のGTV)、オープンカーのGTC、エントリーモデルのGTジュニア、レース仕様のGTAとGTAmへ進化していく。
アルファはジュリア系クーペの生産終了後も、GTのエンブレムを残している。ジュリアベースのGTVに代わって登場したのがアルフェッタGTで、後にGTVとGTV6に姿を変えた。1994年には前輪駆動のクーペにGTVの名が復活し、2003年には156ベースのクーペにGTの名が使われている。
ランボルギーニ350 GTV(1963年)
フェルッチオ・ランボルギーニは、自身の会社が初めて世に送り出したクルマを350 GTVと名づけた。この数字はV12エンジンの排気量3500ccを意味し、生まれたばかりの会社がマセラティやフェラーリといったビッグネームと並んでグランツーリスモのセグメントを走ろうという意志が込められている。
1963年のトリノ・モーターショーでプロトタイプとして発表された350 GTVは、ランボルギーニが期待したような反応を得ることができず、再び図面に向き合うことになる。デザインは一新され、V12エンジンは改良され、350 GTという新しい名称が与えられた。こうしてランボルギーニ初の量産車が誕生する。1966年には、4000ccのV12を搭載した400 GTに変更された。
ランボルギーニの使命は、常にGTカーを作ることであった。1970年代には、いくつかのモデルにこの名称(およびGTSなどのバリエーション)が付けられた。それ以降も、限定モデルのディアブロGTを筆頭に、たびたび登場している。
フォードGT40(1964年)
フェラーリを打ち負かすために開発されたフォードGT40は、1964年のニュルブルクリンク1000kmレースで初出走した。この年のル・マンには3台が送り込まれたが、いずれも完走できず、脱落。1965年も、デイトナ2000で優勝したものの、不本意な結果に終わった。
GT40は、フォードが期待したような輝かしいスタートを切ることはできなかった。しかし、マーケティングには効果が見込まれたようで、1965年のマスタングにもGTの名を与えている。
フォードがGTの名称を使い始めたのは、英国フォードのコンサル・カプリの78ps仕様である。現在も、V8エンジン搭載のマスタングと、GT40の後継となる限定車にGTの呼称を使用している。
ポンティアックGTO(1964年)
ポンティアックGTOは間違いなく、世界初の本格アメリカン・マッスルカーである。親会社であるゼネラルモーターズの設けた330立法インチ(5.4L)の排気量制限に縛られずに、テンペストの高性能モデルを導入したいというポンティアックの要望から生まれた。
この制限はオプション・パッケージではなく量産車に適用されていたため、ポンティアックは巧妙に389立法インチ(6.4L)のV8をテンペスト・ルマンに詰め込み、価格を上乗せして販売した。1964年、3万2000人以上がGTOを購入している。
ポンティアックのチーフエンジニア、ジョン・デロリアン(そう、あのデロリアン)は、臆面もなくGTOの名称をフェラーリ250 GTOから拝借したが、それは「グランド・テンペスト・オプション」の略であると主張している。1966年に独立したモデルとなったGTOは、1974年まで幾度も進化を遂げた。
1999年、レトロブームの波が高まる中、ポンティアックはデトロイト・モーターショーでGTOと名付けたコンセプトカーを発表する。このコンセプトは市販化には至らなかったが、2004年にオーストラリアで生産されたホールデン・モナロのリバッジモデルにGTOの名が冠され、一時的にショールームに姿を現した。
プリンス・スカイライン2000GT(1964年)
日産とGTの長い歴史は、プリンス自動車に負うところが大きい。1964年、プリンスはグロリアから拝借した直6エンジンを積んだスカイラインでレースに参戦(写真)。このモデルは予想以上の成功を収め、スカイライン2000GTという市販車も誕生した。
日産は、1966年にプリンスと合併する際に、スカイラインとグロリアを手中に収める。さらに、1969年に初代スカイラインGT-R(4ドア)に搭載された1998cc直6エンジンも譲り受けた。それから約40年、GT-Rはスーパーカーにふさわしいクーペとして生き続けている。
ポルシェ904 GTS(1964年)
ポルシェは、シチリアで開催されるタルガ・フローリオという過酷なレースに参戦するため、初の「GTS(グランツーリスモ・スポーツ)」モデルを設計した。このレースで表彰台に立つためには、スピード、安全性、快適性が必要とされた。
1964年、904 GTSが同レースで見事に優勝を果たす。以来、928、911、ケイマン、パナメーラ、そしてカイエンと、GTSの名を承継するモデルは数限りなくある。
ポルシェのGTの中で最も注目すべきは、2003年に発売されたV10エンジン搭載のカレラGTだ。その後継モデルはイニシャルを放棄したが、現在でもGT3やGT2など、いくつかのバリエーションを残している。
トヨタ2000GT(1965年)
ヤマハとトヨタの共同開発による2000GT。レイアウトやデザインなど全体的な基本設計はトヨタ、シャシーやエンジンなど細部の設計はヤマハが担当し、お互いの知見や技術を活かしながら完成させた国産スポーツカーである。日本の自動車産業をジャガーEタイプのような欧州産スポーツカーの領域に引きずり込んだ革新的なモデルで、あらゆる意味で真のグランドツアラーであった。
トヨタがGTの名称を使ったのは、これだけにとどまらない。1986年にはGT-Fourと呼ばれるホモロゲーション・スペシャルも発売された。最近では、トヨタとスバルが共同開発した初代86が、一部の海外市場で「GT86」と呼ばれている。
ボルボ123 GT(1967年)
ボルボは1967年、自社のイメージアップの方法を探るため、GTのリングに飛び込んだ。それまで蓄積した膨大なレースノウハウを基に、ボルボ・アマゾンの2ドア仕様として発表されたのが123 GTである。
サスペンションの強化、フロントディスクブレーキ、フォグランプ、大型レブカウンター、レカロシートなどの改良が施されている。P1800から流用された1778ccの4気筒エンジンは、115psを発揮。4速MTで後輪を駆動する。
ボルボは1974年、242に再びGTという呼称を与えている。しかし2022年現在、ボルボのラインナップにGTモデルは1台も存在しない。
ミニ1275 GT(1969年)
1969年、1275 GTは初代ミニ・クーパーに代わる高速モデルとして登場した。その車名は、最高出力59psの1275cc 4気筒エンジンに由来する。他のミニモデルと差別化するため、角張ったフロントエンド(写真左端)を採用したが、多くのエンスージアストには受け入れられなかった。
ミニは、歴史的に重要な名称を数多く持っていることもあり、GTの使用を避けている。しかし、2017年、101psの3気筒エンジンを搭載した限定モデル「1499 GT」を発売し、1275 GTにオマージュを捧げたのである。
三菱ギャランGTO(1970年)
1960年代、GTOの名は世間に知れ渡っていたに違いない。フェラーリやポンティアックの成功を受け、三菱も1970年にコルト・ギャランをベースにクーペを発表し、人気を博した。全長約4.1mと小柄ながら、フォード・マスタングなど米国のマッスルカーを彷彿とさせる巧みなスタイルが特徴的だ。
ギャランGTOは1977年に生産終了したが、1990年には新型クーペとしてGTOが登場。北米市場向けには3000 GTという名が与えられた。
フォルクスワーゲン・ゴルフGTI(1975年)
GTと名のつくクルマの中で、おそらく最も認知度が高いものの1つが、1975年に初代が誕生したフォルクスワーゲン・ゴルフGTIであろう。ゴルフの「GTI」は、「グランツーリスモ・インジェクション」の頭文字をとったもので、オイルショック後の新車市場を席巻した自動車業界の変化を体現していた。元来のGTカーのコンセプトとはまったく異なるものだ。
大きくなくても、高級でなくても、超高速でなくても、パワフルな加速と鋭いハンドリングがあれば、それだけでいい。ミニは1275 GTでその主張を掲げ、フォルクスワーゲンもそれに応えた形だ。
ゴルフGTIは、ホットハッチの元祖と認識されていることもあるが、実際にはアウトビアンキA112アバルトがそれにあたる。しかし、ホットハッチというジャンルをほぼ独力で世界中に普及させたインフルエンサーであることに違いはない。
GTIの成功に後押しされ、フォルクスワーゲンは1982年にターボディーゼルを搭載したGTDを、2014年にはプラグインハイブリッドのGTEを発表し、ゴルフファミリーを拡大している。
シトロエンCX GTi(1977年製)
1960年代、シトロエンとGTカーは共鳴しない言葉だと考えられていた。2CVのGTなんて、想像できるだろうか?しかし、マセラティと提携を結んだことで、SMが誕生。典型的なグランドツアラーと言えるが、GTのエンブレムは付けられなかった。
1977年、シトロエンはついに、CXのフューエルインジェクション仕様車として2400 GTiをローンチする。128psのエンジンを搭載し、ブラックのエクステリアトリム、フォグランプ、ヘッドレスト一体型のシートが採用された。その後、ヴィザ、BX、AXの各モデルにGTおよびGTiの名が与えられている。
現在、シトロエンはパフォーマンス志向を脇に置き、快適性に焦点を当てている。2019年まではWRC世界ラリー選手権に参戦していたので、例えばC3 GTなどを作ってもよかったのだが、今のところは距離を置かれている。
アウディ・クーペGT(1980年)
アウディ80の2ドアモデルとして登場したアウディ・クーペGT。メカニカルコンポーネントの多くは80から受け継いだが、ファストバックのようなリアエンドを持つ専用設計となっている。楽しいスポーツカーであり、初代100の後継車としてふさわしいものだったが、ラリーで優勝したクワトロの影響で、影が薄くなってしまった。
現在ではアウディとクワトロは切っても切り離せない深い関係にあるが、GTの名が使われているのは、フラッグシップEVのeトロンGTのみ。電動モデルの普及に伴い、アウディのGTは今後どのような展開を見せるのだろうか。
GMCユーコンGT(1993年)
GTを名乗るSUVは、当然のことながら希少だ。地上高が高くなるにつれて、クルマのスポーツ性は徐々に失われていく。しかし、GMCは初代ユーコンの2ドアモデルにこのラベルを貼ったことで、GTの神を怒らせることになった。オプションのGTパッケージを装着したモデルは、オーバーフェンダー、アルミホイール、最高出力200psの5700cc V8エンジンを備えている。
ポンティアック・ヴァイブGT(2002年)
自動車業界では理解不能なハプニングも数多く発生しているが、ポンティアックが初代と2代目のヴァイブにGTの名称を使用したことも、その1つであろう。経営難に陥ったポンティアックは、標準モデルのヴァイブに搭載されていたトヨタ製1800cc 4気筒エンジンの出力を164psに強化し、スポーティなラインナップとしてGTを売り出した。当然のことながら、初代ヴァイブGTは販売不振のため、標準モデルより先に引退している。
ベントレー・コンチネンタルGT(2003年)
ベントレーのほぼすべてのモデルは、グランドツアラーというコンセプトを難なく体現している。室内は広く、ゴージャスで快適、かつ速いクルマを作ることにおいて、ベントレーの右に出るものはいないはずだ。
初代コンチネンタルGTでは、英国車らしさのかけらも失うことなく、GTの本来の定義に近づいている。当初設定された唯一のエンジンが、552psの強力なW12であったことも、その一助となった。
クライスラーPTクルーザーGT(2003年)
歴史的に見ると、クライスラーはGTの名称を乱用したわけではない。1980年代にはレバロンの派生モデルとしてGTSやGTCを発売したが、いずれも特に高級なわけでもなく、ロングツーリングには不向きであった。2003年に再びGTの名が使われたが、さて、こちらも的を得たネーミングかどうかは怪しいところ。
PTクルーザーGTは最高出力215psを発揮し、多くの評論家に運転が楽しいクルマであると評価された。しかし、1950年代にイタリア人が作ったGTカーのガイドラインから、取り返しのつかないほど大きく外れてしまっている。
BMW 5シリーズ・グランツーリスモ(2009年)
BMWは何十年もの間、GTという名称を使うことを控えていた。例外として、1960年代のグラースGTを発展させたBMW 1600 GTがあるものの、それ以降はほとんど縁がなかった。
しかし、2009年のフランクフルト・モーターショーで5シリーズ・グランツーリスモが発表されると、状況は一変する。この場合、「GT」は標準より室内が広く、2種類の開き方ができるテールゲートを備えたクルマであることを意味している。
2013年に発表された3シリーズ・グランツーリスモは、5シリーズ・グランツーリスモとほぼ同じ方程式を踏襲している。5シリーズ・グランツーリスモは6シリーズ・グランツーリスモにバトンタッチしたが、現時点ではいずれも後継車は登場していない。
ヒョンデ・エラントラGT(2013年)
ヒョンデは頻繁にGTというグレードを設定している。しかし、2013年にエラントラGTを北米市場に投入するまで、その名を知らしめることはなかった。エラントラGTは、他の市場では「i30」として販売されているハッチバック車で、欧州などでは競争力がある。
しかし、エラントラGTは、遊園地のボートにGTのエンブレムをつけるようなもので、違和感が拭えない。
メルセデスAMG GT(2014年)
メルセデス・ベンツのGTといえば、サーキット向けのレーシングカーを思い浮かべるのが常であった。しかし2014年、メルセデスAMGからシンプルにGTと名付けた2ドアモデルが発売。ポルシェ911とのストリートファイトに挑んだ。
GT S、GT C、GT Rと徐々にラインナップは拡大し、ハードコアなブラックシリーズも設定された。GT 4ドア・クーペというEクラス由来のモデルも登場している。
キア・スティンガーGT(2017年)
キアが2011年のフランクフルト・モーターショーで「GTコンセプト」を発表したとき、少なからぬ人々が首をかしげた。多くの人はこれを単なるデザインスタディと見なしたが、世間から好意的な反応を得たとして、市販化が決定される。2017年にデビューしたスティンガーGTは、その名にふさわしいバイタリティを持つクルマであり、キア初の本格GTカーと言える。
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