もくじ
ー 「ギーク・シック」という言葉
ー 脚光浴びる技術者 特徴は
ー 1930年に一例も いわば「大使」
ー 技術者を会社の顔にすえるワケ
ー 番外編 「大使」として活躍する4人
「ギーク・シック」という言葉
ガラクタまがいのものばかり長年いじくってきたオタクたちが、いきなり流行の最前線に引っぱり出された。
彼らはもう、レンズの分厚いメガネをかけて引きこもり、おでこを光らせてコンピュータにかじりつくよくある根暗オタクじゃない。突然にして、まるでイケメン男子を見るようなまなざしの的となった。
世間の風向きがそんなふうに変わったのは、それを簡潔にあらわす「ギーク・シック(geek chic)」という語句が2013年にオックスフォード英語辞典に収められたあたりからだ。ちなみにその意味は「コンピュータや電子技術のマニアが好む、現代風でスマートとされる服装、身だしなみ、文化のこと」。かつては不器用であか抜けず、気にもとめられなかった彼らが、いきなり頂点に持ち上げられたのだ。
そうして彼らがいまやスポットライトを浴びる立場になったのと時をおなじくして、自動車の世界でもふつうではないことが起ころうとしていた。
たしかにあと付けで見れば、コンピュータオタクの台頭には意味があった。たとえばガーディアン紙の2013年の記事にあるように、「デジタル技術の進化は、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのようなインテリオタクに空前の権力と影響力をもたらした」のだ。
新しい技術に懐疑的なひともかつては多かった。それでも、いまではその輝ける技術の結晶をみんな当たり前のようにポケットに入れていることを思えば、完全に受け入れられたと考えるのが自然だろう。それほどコンピュータ技術はわれわれの日々の生活の根幹に深く入りこんでいる。陰でその技術を作りあげたひとたちは、だからなるべくしてスーパースターになったのだ。
脚光浴びる技術者 特徴は
科学者やプログラマーや技術者を新しいロックスターのように持ち上げるのはやりすぎだろうか? そうかもしれないが、両者の区切りはあいまいになってきている。今日の2大オタク、物理学者のブライアン・コックス教授とテスラ/スペースX創始者のイーロン・マスクのすさまじい露出をみれば、もはやオタクは陰でこそこそするだけではないことはわかってもらえるだろう。
しかし、こんなことが自動車の世界に何の関係があるのだろう? 実は、同じことが起こっているのだ。こちらの額の広がった業界人たちは、われわれにとっては自動車技師なのだが、かつてなく讃えられる存在になろうとしているのだ。もっとも、名声をとどろかせる新しい世代の技術者はすでにいる。たとえば、911 GT3のキャンバー角を決めた男はいまや有名人だ(まあ、超速いクルマのファンの間だけだが)。
名の知れた技師は、たしかに自動車の草創期からいた。たとえばチャールズ・ロールスとサー・ヘンリー・ロイスは生前も非常に有名だったが、それは技師としてというよりは偉大なブランドの設立者としてだ。エンツォ・フェラーリやフェルッツィオ・ランボルギーニにも同じことがいえる。それに対して、いまから紹介するひとたちはメーカーの従業員なのだ。
アンドレアス・プレウニンガーはポルシェのモータースポーツ部門のトップ。トビアス・ムアースはメルセデス-AMG部門のボスだ。マット・ベッカーは、ロータスをすばらしいハンドリングマシンに鍛えあげたが、いまはアストン マーティンで同じように精を出している。アルバート・ビーアマンは以前BMW Mで活躍したが、今はキアとヒュンダイでせっせと働いている。
科学者がアイドル化するこの世相では、彼らをはじめとする技師たちの露出も当然ながら増えることになる。まあ、スーパーで熱烈なファンにもみくちゃにされるようなことはないだろうが、たとえばこの中の誰かがシリアル売り場でブランフレークでも探していたりするのを見つけたら、まず二度見するにちがいない。
ちなみに、完全なロードカー部門の従業員であるプレウニンガーやムアースの志向は、ゴードン・マーレイやエイドリアン・ニューウェイ(彼の詳細はのちほど)のような大技術者とはまったく異なる。いうまでもなく、あとのふたりはもともとモータースポーツ技術者で、そちらに重きをおいている。レースで名前を売り、それからロードカーの世界へ入ってきた人間だ。
1930年に一例も いわば「大使」
彼らのようなギークが認知されるようになったのは、われわれが発掘して讃えたからではない。メーカーの代表として脚光を浴びるべく、メーカー自身によってまつり上げられたのだ。もはや単なる技術者ではなく、いわばメーカーの大使だ。
ネット記事、ソーシャルメディアやYouTubeなどを介した自動車メディアでの露出が増えるにつれ、彼らの顔や声はかつてなく知れわたることになる。自動車技師の絶対数は限られるので、ふつうとちがった意味で「セレブ化」したのだ。
こういった現象はとくに新しいものではない。メーカー勤務の自動車技師としてはじめて卓越した名声を得たのはおそらく、1930年代から50年代にわたってメルセデスのレースカーや高性能ロードカーを監督したルドルフ・ウーレンハウトだろう。余談だが、彼はGPカーの開発テスト走行でファン・マヌエル・ファンジオのタイムを上回ったことすらあったという。
ウーレンハウト以降も、ランボルギーニにヴァレンティーノ・バルボーニ、フェラーリにはダリオ・ベヌッツィが現れたが、彼らが有名になったのはむしろテストドライバーとしてだといえよう。
なぜメーカーは第一線の技術者を会社の顔にすえようとするのだろうか?
技術者を会社の顔にすえるワケ
「いま注目を集めているからですよ」と語ってくれたのはサイモン・スプロール氏。アストン マーティンの広報責任者だ。「すでに信用と定評のそなわったひともいますし、それはメーカーにとってとても価値があります。まして、アストン マーティンのようなハイパフォーマンスカーを造る会社にとっては、きわめて重要なことです」
ベッカー自身と彼の鉄壁の信頼をメディアや自身の広報資料でPRすれば、アストンのクルマが見た目とおなじく中身もすばらしいことを知らしめることができるというわけだ。
スプロールは続ける。「たとえば、ヴァルキリー計画はどうでしょう? いまお話ししたアイデアをとことん突きつめた一例です。エイドリアン・ニューウェイが設計し、マット・ベイカーと新しく招いたクリス・グッドウィンがテストドライブします。その上さらに、レッドブル・レーシングのダニエル・リチャルドとマックス・フェルスタッペンもテストに加わります。彼らはみな、とても評判の高いひとびとです」
そういうことなら、自動車技師に与えられた名声は、単に広告合戦に加わった新しい武器にすぎないではないか。
世間の名声なんてどうでもいい。彼らはただ誰よりもオタクで一途なエンスージァストなのだ。それ以上のほめ言葉がどこにあるのか。
番外編 「大使」として活躍する4人
アンドレアス・プレウニンガー
20年ちかくにわたってポルシェのモータースポーツ部門を率いてきた。いわば「ミスターGT3」として、いうまでもなく名の通った技師だ。子供の頃には部屋に911カレラRS 2.7のポスターを飾っていたというのも納得。
骨の髄までカーガイな彼の細部へのこだわりは、まわりの人びとも巻きこんでいく。たとえば彼とのディナーのさわりでGT3 RSのダンパー設定について話を振ったら、気づいたときにはフルコースが終わってしまっていても何らふしぎではないのだ。
単独インタビューは「ポルシェ「ミスターGT3」に聞く GTモデル成功秘話 苦悩もあった?」から。
アルバート・ビーアマン
かつてBMW Mを指揮していたが、いまはヒュンダイとキアの技術責任者だ。彼には、前に同僚たちの目の前でえらい目にあわされた記憶がある。わたしの大したことのない功績へのごほうびにと「トロフィー」を投げてよこした。それが実は瓶のジュースだった…。
わたしにとってはばつの悪い「事件」だったが、おかげで1つわかったこともある。高性能車にかかわる技師の多くにもいえるが、彼は数字ばかり追いかけるロボットのような男ではない。とても人間くさい一面も兼ねそなえているのだ。
単独インタビューは「ヒュンダイ/キアにBMWのアルバート・ビーアマン移籍 今後の展開は? インタビュー」から。
マット・ベッカー
長年ロータスでクルマの運動性能を鍛えあげてきたが、2015年からはアストン マーティンで同じような役目についている。はじめて彼の全面的な指揮のもと開発されたDB11 V8は、大喝采で迎えられた。
ベッカーは120psのロータス・エリーゼを608psのBMW M5のようにドリフトさせられる数少ない人間だ。どれだけ速いのか? 何年か前にキミ・ライコネンがヘセルのテストコースを走ったのだが、ベッカーのもつ最速ラップ記録は破られなかったのがその答えだ。
トビアス・ムアース
このメルセデス-AMGのボスの意にそわない質問をしてしまうと、不機嫌な答えか、鉄仮面のごときひと睨みしか返ってこない。だがひとたび的を射れば、広報担当が嫌な顔をするくらいこちらの知りたいことを何でも話してくれる。
彼はまた、つまらない組織のしがらみをまるで顧みない。公道向け超弩級スーパーカーのプロジェクト・ワンに、ルイス・ハミルトンが何度もタイトルを撮ったF1カーのエンジンを載せるというアイデアを出したのは、誰あろうムアースなのだ。
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