「孤独のグルメ」巡礼現象の功罪
2012年にテレビ東京系列で放送が始まったドラマ『孤独のグルメ』は、低予算でスタートしたにもかかわらず、主演の松重豊の演技が好評を博し、予想以上の収益を上げて、今ではテレビの看板番組になっている。
すでにシリーズは10作に達しており、2025年1月には松重が監督・脚本・主演を務める『劇映画 孤独のグルメ』も公開される予定だ。
このドラマの特徴は、松重が演じる井之頭五郎が訪れる飲食店が
「実際に存在する」
ことだ。ドラマの影響力は非常に大きく、放送後には行列ができたり、数年待ちの予約が必要になったりと、常に話題になっている。
しかし、この現象は新たな問題も引き起こしている。全国から多くのファンが
・電車
・クルマ
・タクシー
を使って、ドラマに登場する店を「グループ」で訪れる“聖地巡礼”が盛況になっているのだ。この流れが本当に『孤独のグルメ』が描こうとしたものなのか、疑問を感じざるを得ない。そもそも『孤独のグルメ』というタイトルなのに、まったく
「孤独じゃない」
というツッコミが入るのも無理はないだろう。
この現象の有用性について、交通やモビリティの視点から分析していきたい。まずは作品の歴史を振り返ってみよう。
原作は漫画、1997年に単行本化
『孤独のグルメ』は、もともと漫画を実写化した作品である。原作は久住昌之、作画は谷口ジローが手掛け、1994(平成6)年から1996年まで『月刊PANjA』(扶桑社)で連載された。その後、2008年に『SPA!』(扶桑社)で読み切りが発表され、2015年まで新作が断続的に発表された。
今の人気とは裏腹に、最初の連載当時はまったく注目されていなかった。『月刊PANjA』は、『SPA!』の2代目編集長に招かれた渡邊直樹が創刊した月刊誌で、当時の『SPA!』の「濃さ」を月刊誌として楽しめる内容にしたものだった。
しかし、雑誌の売れ行きは振るわず、そこで連載が始まった『孤独のグルメ』もほとんど注目されなかった。なお、渡邊氏は小林よしのりをはじめ、中尊寺ゆつこや宅八郎の連載で、ヒットを飛ばした名物編集者である。
連載終了後の1997年に扶桑社から単行本が刊行されたものの、あまり話題にはならなかった。書評としても、1998年1月15日号の『週刊文春』で漫画家の吉田戦車が好意的に紹介した程度だった。
作品の誕生秘話と反骨精神
この連載がどうして生まれたのかについては、『孤独のグルメ』公式サイトでの久住と初代編集担当・壹岐(いき)真也の対談で語られている。
「久住:編集者が突然、家にやって来て「昨今のグルメブームがムカつく」と(笑) 」
さらに久住が詳しく語っているのは、谷口への追悼記事が掲載された『SPA!』2017年4月4日号だ。
「‘94年の連載第1回は、山谷のドヤ街で始めたんだけど、当時は今と違って、山谷なんて若い人は絶対に行かないところだった。当時の流行りのグルメ物にしたくなかったんだね。山本益博さんとか、ミシュラン・ブームの後だから。みんながラーメンとかフランス料理のうんちくを語るようになって、「しゃらくせえ」って気分だった。オレも30代だもん。若かった。それで、アンチグルメにしようと」
山本益博は1982(昭和57)年に『東京・味のグランプリ200』を出版し、日本の食文化に大きな影響を与えた料理評論家だ。この本では、フランスのミシュランガイドのように星による格付けを採用し、当時としては画期的だった。
本の内容は真剣な評価で、星を獲得できなかった店も含めて公平に扱っていた。しかし、この本がきっかけで始まった「グルメブーム」は、料理や食についての理解が浅い人々を増やすという意外な結果を生んでしまう。
山本の著作は日本の食文化に新しい評価基準をもたらしたと評価されるべきだろう。しかし皮肉にも、その影響で表面的な食通ブームが生まれ、「山本益博みたいな人」という言葉が
「食通を気取る軽薄な人物」
をやゆする表現として使われるようになってしまった。
誕生の裏にあった社会批判
バブル経済が崩壊した後の日本では、1980年代の過剰な消費文化や表面的な流行への反発が強まっていた。特に若者の間で「反・流行」の姿勢が知性や批評的な精神の表れとして評価されていた。
グルメブームだけでなく、音楽やファッション、サブカルチャーなど、あらゆる分野で
・通ぶること
・軽薄な流行を追うこと
への嫌悪感が広がっていた。この態度は単なる反抗ではなく、バブル時代の価値観への疑問や、もっと本質的なものを求める姿勢の表れでもあったといえる。
記事中で久住が語った「しゃらくせえ」という言葉も、単にひとりの評論家への批判を超え、当時の日本社会全体が抱えていた価値観への批判を象徴していた。このような時代背景があってこそ、『孤独のグルメ』という作品が成立したのである。
また、作画を担当した谷口は、当初この仕事に対して違和感を抱いていたことも重要だ。前出の『SPA!』の記事などでも、谷口自身が、自分が描くべき作品なのか、そもそも面白いのかと、第3話あたりまでは不安を抱えていたと述べている。
今では『孤独のグルメ』のイメージが定着しているが、当時の谷口はむしろハードボイルドな漫画を描くイメージが強かった。デビューから1980年代までは“一流出版社”での仕事はほとんどなく、現在では出身地の鳥取県の公式サイトが
「ヨーロッパで最も人気のある日本人作家の一人」
と称賛しているほどだが、かつての谷口はもっと尖っていた。『週刊プレイボーイ』1982(昭和54)年3月23日号の記事「忘れていたロマンを謳え 青年漫画誌の反乱」では、
「フィリピン生まれの混血児」
「日本へ密航」
といった、プロフィル(本人申告?)が記されている。ちなみに、同記事はかわぐちかいじや大友克洋も掲載している。
その表現手法も時代とともに変わり、初期の情念むき出しのスタイルから、次第に静かで穏やかな作品へと変化していった。関川夏央との『『坊っちゃん』の時代』(双葉社)は、その好例といえるだろう。
食事を通じて描く現代の疎外感
この変化は、同じく関川との作品『事件屋稼業』(双葉社)でもよく表れている。作品の連載は1979(昭和54)年から1994(平成6)年と長く続いたが、当初は読者層もあってか、暴力や欲望がむき出しで描かれていた。
それが時代とともに徐々にトーンを抑え、暴力描写が減っていく一方で、社会のレールから外れた人々の生きづらさに焦点を当てるようになった。むしろ静かな作風に転じてからのほうが、社会への批評性は深まっていった。谷口の視点は、表面的な暴力からシステムが生み出す暴力や疎外感へと移っていったのだ。
『孤独のグルメ』も、この流れで読み解くことができる。一見、穏やかな食事エッセーのように見えるが、実は
・サラリーマンの孤独
・現代社会のなかでの個人の在り方
を鋭く描いている。井之頭五郎が食事をするのは、繁華街から外れた路地裏や下町の小さな店が多い。これは、“主流”から外れた場所への共感を示しており、谷口が若い頃から持っていた視点がそのまま反映されている。
谷口の作風の変化は単なる円熟化ではなく、過激さを抑えつつ、より深い社会批評を表現する手法を獲得していったといえる。
井之頭五郎も、表向きは自由な商売人に見えるが、実際には現代社会の規範から外れた生き方をしている。輸入雑貨商という肩書は聞こえはいいが、実際は安定した収入や保証もなく、その日暮らしの商売人だ。
食事シーンでも、井之頭五郎は決して理想的な人物として描かれていない。
・注文がかぶったり
・食べ過ぎを後悔したり
・メニューに迷ったり
と、むしろ人間らしい弱さを見せている。かっこよさを求めながらもどこか格好悪く、そのギャップが人間の弱さを引き出している。谷口の作画は、この井之頭五郎の姿にぴったりと合っていたのだ。
静かに暴れるキャラクターの魅力
谷口にとって、静かな作風のなかに狂気すら入り交じった情念を持つキャラクターを描くのは得意分野だった。欧州で評価を得るきっかけとなった『歩く人』(講談社)は、主人公が家の周りをただ歩くだけの作品だ。小津安二郎の映画のような静かな雰囲気をまとっているが、主人公はときにはビルのらせん階段を駆け上がり、木に登り、学校のプールに無断で入り泳ぎ出す。
『孤独のグルメ』の後、再び久住とタッグを組み、2003(平成15)年から『通販生活』(カタログハウス)で連載された『散歩もの』では、妻を持つ中年の文具メーカー勤務という、一見疎外感のない主人公が登場する。しかし、この主人公も再開発で変わりゆく街に対して怒りをあらわにし、毒づきながら他人の家の軒先にある井戸を勝手に使い始める場面がある。
そもそも久住も、泉晴紀とコンビで『ガロ』にて漫画家デビューした人物であり、その作品集『かっこいいスキヤキ』(扶桑社)からも社会から逸脱する姿勢が感じ取れる。つまり『孤独のグルメ』は、どんなにあがいても社会の本流には乗れないふたりの作者が見事にシンクロして生まれた作品なのだ。
しかし、発表当時はあまり共感を得られなかった。掲載誌『月刊PANjA』が迷走したあげく短命に終わったことも一因だろう。それが再評価されたのは2000年以降、インターネットの普及にともなって『孤独のグルメ』が
「発見」
され、注目されるようになったからである。
効率主義では味わえない「発見」の喜び
作品中の台詞の面白さが話題となった漫画レビューサイト『BLACK徒然草』を運営するじゃまおくんは、インタビューで評価が広がった理由についてこう語っている。
「ひとりで美味しいか不味いか微妙なものを食べて、自分なりの答えを見つけて、納得して終わる、というマンガがなくて、それを実はみんなが求めていたんではないでしょうか。台詞が共感を呼ぶんです。これまさに俺だよ! みたいな。食べながらこんなこと思っているよなあ、というのがすべてだと思います」(『テレビブロス』2010年12月11日号)
「自分なりの答えを見つけて、納得して終わる」というじゃまおくんの指摘は、作品の本質をよく捉えている。実際、久住もドラマが話題になり始めた時期に「発見」の価値について語っている。
「店探しにしても、あちこち探して歩いていい店を見つけるのは時間がかかるけど、その分当たったときの喜びも大きいし、失敗しても笑い話になる。「食べログ」で調べれば早いけど、ただ確認するだけでしょう? 時間をかけるからこそ、面白いものが見つかるのです。こういう姿勢が時代に合ってきたのかわかりませんが、『孤独のグルメ』は2000年に文庫化されると、毎回数回ずつ増刷がかかるようになりました。ネット上で、「孤独のグルメごっこ」が流行り出し、本もまた売れ出して、映像化され、僕もそれに出演して……と、いつのまにか、こんなことになってしまいました」(『THE21』2014年1月号)
ドラマ版は低予算のテレビ東京系列の深夜枠ということもあり、作品の根本的な部分をしっかり押さえているように思える。実在の店舗が登場するため、街を歩き回ったり店を探したりするシーンに長い時間が割かれている。本作の神髄を味わうために店を訪れる際に大事なのは、この部分だ。
クルマやタクシーで店に直行したり、事前にアプリで効率的なルートを検索するのは意味がない。そうした現代的な「効率主義」は、この作品の本質を見誤っているからだ。この作品の本質は、仕事の合間や知らない街での偶然の出会いにある。井之頭五郎が店に入るのは、あらかじめ決めた計画ではなく、そのときの状況や直感に導かれてのことだ。
・空腹感
・店のたたずまい
・路地裏
の雰囲気が、自然と彼を店に引き寄せるのだ。むしろ、井之頭五郎が店を探しているのではなく、
「店が井之頭五郎(のような人物)を探している」
のかもしれない。
「無駄」が価値に変わるワケ
ここからは、交通・運輸・モビリティ産業のビジネス媒体にふさわしい内容になる。
一見、無駄に見える部分だが、今や新たな観光形態として注目されている。2024年の『情報処理学会論文誌』Vol.65 No.1に掲載された伊藤淳子・今和泉雅清の論文「あいまいな情報提示により観光者の興味を周囲に向けるまち歩き観光支援システムの提案」では、「まち歩き観光」を
「観光ルートや目的地を定めない,自由度の高い観光形態」
であるとし、
「一見何もないようなところから、何かを見つけ出そうとする観光者の主体性が、まち歩き観光の価値向上につながるとされる」
として、
・観光ルートの最適化
・スポット推薦
などの観光支援手法は興味を引きつける対象が限定され、新たな発見や体験を促すことは不向きであると指摘する。
この論文では、写真共有SNSの投稿データ(タグ情報や位置情報)を活用した観光支援システムを使い、和歌山市内で従来の紙媒体を使った観光支援と比較した結果を報告している。このシステムの目的は、利用者が提供されたタグ情報を基に周辺を探索することで、新しい発見や体験を促すことで、次のようなものである。
・利用者の現在地周辺に存在するタグ情報を最大7個提示する
・タグ情報は、写真に付与されたハッシュタグやキャプションの一部から抽出される
システムの画面には、タグ情報と地図が表示される
・タグ情報は、利用者の現在地からの距離が近い順に表示される
・タグ情報の位置は地図上に表示されない
この結果、
・被験者はタグ情報に合致するものを探す過程で周囲に目を向けるようになり、周囲に目を向ける時間が増加した
・一見何もないようなエリアにおいても利用者の興味を周囲に向けることができた
として、
「特に訪問経験のない被験者にとって,提案手法の使用が周囲に興味をいだくことや,その対象を 探す行為につながり,比較サービスと比較して周囲に目を 向ける時間が長くなったと考えられる」
としている。つまり、情報をあいまいにすることで周囲への関心が高まり、新たな発見や体験を促す効果があるということだ。
SNS時代に問う「自由」「哀愁」の価値
このような研究結果は、『孤独のグルメ』が描いてきた「街との出会い方」の価値を、現代的な視点から裏付けるものだといえる。井之頭五郎が効率的なナビゲーションに頼らず、あいまいな道を歩きながら偶然に店を見つける姿は、まさに「まち歩き観光」の本質そのものである。
『孤独のグルメ』をただのグルメ作品として捉えるのは間違いだ。作品には、現代の効率主義や情報過多の時代に対して、人間本来の
・発見する喜び
・偶然との出会い
の重要性が込められている。
SNSで「いいね」を求めて店を巡ったり、効率重視で「ハシゴ」をしたりすることは、作品が描く本質的な価値とは根本的に異なる。描かれているのは、社会の主流から外れた場所で見つかる自由や、そこに至る過程に宿る“哀愁”だ。この価値を「ミシュラン化」することには、やはり「しゃらくせえ」と思う気持ちで対抗したい。
少し長くなったが、冒頭で触れた「『孤独のグルメ』なのに、まったく「孤独じゃない」というツッコミ」が生まれる理由は、まさにここにあるのだ。
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みんなのコメント
記者が偏屈なのはわかったが
見ていて面倒臭いから個人的には辞めて欲しい。