プロフィギュアスケーター無良崇人が10月10日に宮城県・スポーツランドSUGOで開催されたTOYOTA GAZOO Racing YARIS CUP東日本第4戦に参戦。2019年の86/BRZレース以来、およそ2年ぶりとなったレースでは、予選B組10番手となり決勝は20番グリッドからのスタート。一時は25位まで順位を落としたものの、激しい攻防の末、20位で完走を果たした。
2018年3月にフィギュアスケートの競技生活から引退し、プロフィギュアスケーターに転身した無良は、同年5月から今年4月に横浜アリーナで行われた千秋楽公演まで3年間に渡り、日本全国を巡るアイスショー『浅田真央サンクスツアー』に主要キャストとして全202公演に参加。無良はショーのなかで浅田真央さんがバンクーバー五輪で銀メダルを獲得したときの演目、ラフマニノフの『鐘』を演じ、現役時代さながらの豪快なトリプルアクセルで大勢の観客を魅了した。
プロフィギュアスケーター無良崇人が2年ぶりにレース活動を再開。ヤリスカップに参戦決定
私生活では自身でステアリングを握りドライブすることが大好きで、以前から大のスーパーGTファンを公言する無良。タイミングさえ合えば各地のサーキットにも足を運び、多くのレーシングドライバーとも親交が深い。アイスショーやテレビの解説、後進の育成など本来のプロフィギュアスケーターとしての多忙な活動の合間を縫い、長い間ずっと憧れていた自動車レースに挑戦を開始。86/BRZレースに出場する機会を得た無良は、2019年5月のSUGO、7月の富士と2大会にエントリーしたが、その後はコロナ禍で本業のアイスショーが中止や延期となってしまったこともあり、スケジュールの調整が難しく継続参戦が困難な状況となっていた。
そんななかチャンスが到来。これまで21年間親しまれてきたヴィッツレースが、今年から新たにTOYOTA GAZOO Racing YARIS CUPへと生まれ変わり、2年前に86/BRZレースに参戦したときの茨城ワクドキクラブが再び無良に出場機会を与えてくれることになったのだ。今回のスポーツランドSUGOは東日本第4戦となっているが、8月29日に予定されていた第3戦の十勝が新型コロナ感染拡大の影響により開催延期となったため、ヤリスカップ東日本はこれが3レース目。ヴィッツレース時代からの猛者もいれば、新たにレース活動をはじめた新人もいるが、全員が新しいクルマでほぼ横一線のスタートとなったことは無良にとっても都合がよかった。
レースに先立ち、本番と同じ舞台スポーツランドSUGOで9月29日(水)に事前の練習走行を行うことになった。そこには無良の心強い助っ人が登場。もはや説明の必要がない国内トップドライバーのひとり、スーパーGT500クラス、DENSO KOBELCO SARD GR Supraの中山雄一選手だ。「今回の肩書はコーチですか? アドバイザー? 先生? お師匠?」と中山に尋ねたところ、「お友だちです」との返事が返ってきた。そして「強いて言えばゴルフ仲間ってとこかな?」と無良とは以前からプライベートでも仲良しとのこと。
無良はこの日がヤリスでの2回目の走行。「エントリーは56台か。(予選)通過は45台? なんとか決勝に行きたいなぁ」と今回の目標はまず予選通過。真新しい白いレーシングスーツに身を包み、午前10時に早速コースインしていく。他のカテゴリーや一般車両も混走する走行会だが、平日のため比較的台数は少なく思い切り練習できる環境。連続周回を何度か重ね、ピットに戻り走行データを見ながら中山からの指導を受け、再びコースインという作業を繰り返す。
そして今度はドライバー交代、無良に代わり中山がヤリスのコクピットに収まり周回を重ねていく。マシンの感覚のフィードバックはもちろん、中山の叩き出すタイムはこのヤリスで出せる最速タイムと考えてほぼ間違いないため、無良が目指すこの上ないベンチマークとなる。逆に言えば、もし無良が中山と同等のタイムをマークできれば、クルマの性能を限界値近くまで引き出せていることとなるのだ。クルマから降りた無良は「暑い、暑い」を連発。耐火素材のレーシングスーツにバラクラバ、ヘルメットの完全装備でのドライブは、いつもの寒いスケートリンクとは、戦う環境がまるで違うのだろう。
10時から16時半ごろまで多くの周回を重ね、この日の無良は1分50秒1の最速タイムをマーク。ここスポーツランドSUGOで7月に行われた東日本第2戦のポールタイムは1分50秒314なので、その時とは気温や路面温度などコンディションの違いはあるにせよ、このタイムは決して悪くない。中山からは「予選通過どころか、こりゃ表彰台もいけるぞ」との発言も飛び出した。
練習走行を終えた無良は、その週末の10月2~3日にさいたまスーパーアリーナでアイスショー「木下グループpresentsカーニバル・オン・アイス2021」に出演。プロフィギュアスケーターとレーシングドライバーへの素早い転身をこなした。
レースウイークは、10月7日の木曜日から走行を開始。肌寒くどんよりとした曇り空の下、8時20分から始まった25分間のスポーツ走行では安定して1分51秒台のタイムを刻む。朝イチの走行の感想を尋ねると「朝露で縁石が濡れていて滑りやすかった」と無良。11時15分からの2度目のスポーツ走行で徐々にタイムアップをしていくものと思われたが、茨城ワクドキクラブ72Yarisはコースイン早々、ピットに戻ってきてしまう。
ボンネットを開けひととおりの確認作業を行いコースに送り出したものの、レーシングスピードでは走れず再びピットイン。制御系のセンサーの不具合により、エンジンがある一定の回転数以上吹け上がらないトラブルが出てしまった。走行を諦めパドックの車両整備テントにクルマを運びコンピュータをリセットしても簡単には復旧せず、パソコンを繋いで診断しても不具合箇所の特定には至らなかった。西日本の参加車両で同じような症状に見舞われたクルマがあるとの情報も得たが、いろいろと手は尽くしたものの交換パーツは翌日にならないと間に合わない。
8日、金曜日。ヤリスのスポーツ走行はカーナンバーごとに2組に分かれ、数字が大きい#63~#930の後半組は8時30~55分、12時45~13時10分の各25分2枠が設定されていた。チームは朝の走行枠を諦め午後に間に合うことに賭けていたが、無情にもマシンの修復は午後の走行枠にも間に合わず、再合流した中山と無良はコースサイドから他車の走行を眺めることしかできなかった。この日の無良は一度もレーシングスーツに袖を通すことなくサーキットを後にした。
9日、土曜日。マシンは修復できたものの天候は生憎の雨。無良は86/BRZレースの富士でウエットコンディションの経験があるが、できればドライで走りたかったというのが本音だった。当初のエントリーは56台だったが、参加台数は2台減り54台。半分の27台ずつがランダムでA組、B組の2組に分けられ、無良はB組となった。「前の組(A組)が走ったタイムや状況が参考になるからB組の方が絶対にいい」と無良。この日のヤリスB組の専有走行は10時40分~11時10分の30分間のみ。A組はコースアウトした車両の撤去により赤旗中断があり、B組のセッション開始がやや遅れたが、とにかくマシンを壊さないことを優先にコースへと送り出した。
朝から降り続いていた細かい雨もB組がコースインするころにはほとんど止んでいた。しかし、路面は完全なウエットのまま。各車、不慣れなコンディションのなかコースアウトを喫する車両も多く、ライン取りもマチマチ。速いクルマとペースの遅いクルマが混在する状況のなか、3コーナーの先で挙動を乱したマッドブラックの72号車がスピン。無良は、なんとかガードレール手前で態勢を立て直すことができた。「カウンターを当てたらいきなり回ってしまった」と、“レース人生では”これが2度目というスピンを体験した。このセッションにはレースには出走しない主催者のヤリスカップカーなど3台が走っていたが、無良はトップから11秒911遅れの2分13秒536でB組24番手。このままだと予選通過ライン45台の当落線上になってしまう。
10日、日曜日。前日の雨で路面はまだ完全にドライにはなっていないが、走行ラインは少し乾き始めていた。8時50分に始まった公式予選A組では第2戦のウイナー、大森和也が1分48秒660(平均118.824km/h)と参加者唯一の48秒台をマークし、トップに立った。9時15分から15分間で行われたB組予選は1分49秒121(平均118.33km/h)の咲川めりがトップ。その結果、A組大森のポールポジションが確定した。無良は予選の15分間でトータル7ラップし、2周目にマークした1分50秒437(平均116.912km)が最速タイム。
予選を終えた無良は、「予想以上にリヤ(タイヤ)の内圧が上がってしまって、1回ピットに入って(空気圧を)下げようと思ったけど(予選の時間が短く)間に合わないから、そのまま走り続けた」「(明らかにペースが遅い)前のクルマになかなか譲ってもらえなくて、そのおかげでだいぶロスしてしまった」とタイヤの内圧の問題とトラフィックに引っ掛かりクリアラップが取れなかったことを悔やんだ。前週の練習走行でマークした自己ベストの1分50秒1にはわずかに届かなかったが、ともあれB組10番手、総合20番手で決勝進出を果たした。
今回は予選と決勝を1日で行うワンデー開催だが、予選終了の9時半から、決勝スタートの15時05分までの待ち時間が長い。他のカテゴリーのエクゾーストノートを聞きながら、手持ち無沙汰な時間と適度な緊張感を交互に繰り返し、ようやく決戦の時がやってきた。参加54台中、A組上位22台とB組上位23台の合計45台がスターティンググリッドに並びレースがスタート。
「2速に入らなかった」と痛恨のシフトミスで数台に先行されてしまった無良は、25番手でオープニングラップのコントロールラインを通過。そこから落ち着きを取り戻し、激しいテールtoノーズ、サイド・バイ・サイドの攻防のなか、1台、また1台とオーバーテイクを決めていく。「四大陸の他、ここSUGOも制するのか?」「無良選手のジャンプで4台を跳び越す」と実況アナの気の利いたコメントも場内に響いた。そして10周のレースはポールポジションからスタートの大森が優勝、無良はヤリスカップ初戦で20位完走を果たした。
パルクフェルメにクルマを停めた無良がヘルメットを取ると、そこには満足感に満ちた表情があった。86/BRZレースでは経験できなかった中団グループでの争いに、初めて本物のバトルを経験した喜びがあった。レースがあと数周続いていたら、もっともっと多くのクルマを追い抜けていたはずだ。
「欲を言えば木曜、金曜日にもっと走れればよかったけど、先週みっちり走れていたのがよかった」とレース直後の無良。そして、「今回ようやくレースのなかで競って走るというのが体感できた。ものすごくいい経験になった」「前にも後ろにもいっぱいいて近すぎて怖かったけど……やっぱり、ひとりで走っているのと隣がいるといないとではぜんぜんラインが違うし、ああヤバイ、もうちょっと避けなきゃヤバイかな?っていろいろ考えながら走ってました」とヤリスカップの初戦を振り返った。
そして、今回ずっと無良のサポートをしてくれた中山雄一選手は、「久しぶりのレースでも周りに飲み込まれることなく、自分の芯がある自信を持った走りができていた。練習中にトラブルが出てしまったことと、昨日(土曜日)雨が降ってしまったことで、今年初レースということではだいぶ不利だったと思うけれど、もっともっと本来の実力は上にあってシングル(ひと桁順位)を走れる力はあると思う」と無良のレース内容を評価。「スタートが残念でしたね」と尋ねると、「それは経験だし、その後ちゃんと巻き返してこれた。もしシングルスタートだったら前を見ながら(順位変動もないまま)そこで終わってたと思うけど、ああやってパッシングもできて楽しいレースになったんじゃないかと思います」と、さすが一流ドライバーならではの見解。そして、「このヤリスカップを真剣に追いかけたら、2年ぐらいあればシリーズチャンピオン争いができるんじゃないかと思うので、ぜひそういうところも見てみたいなと思います」と嬉しいコメントをいただいた。
事実、無良のレース中のベストラップは決勝出走全45台中11番目のタイムをマークしていた。次のレース参戦はまだ決まっていないが、今回の収穫は大きかった。そして、かつて世界の舞台で戦った男の闘争本能に再び火が灯ったことは間違いない。
今後も引き続き、レーシングドライバー無良崇人の活動を追いかけていく。
■無良崇人(むら たかひと)
1991年2月11日、千葉県生まれ、30歳。2014年、四大陸選手権優勝。全日本フィギュアスケート選手権、13年連続出場(3位5回)。日本代表として世界選手権に3回出場。ISU GPシリーズ、12年エリック・ボンパール杯優勝。14年スケートカナダ優勝。世界ランキング最高順位6位。18年3月、競技生活を引退しプロフィギュアスケーターに転身。現在はアイスショーやフィギュアスケート解説者として活躍中。艦これ(艦隊これくしょん)のイベントでは、“無良提督”の愛称で絶大な人気を誇る。
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