9度のチャンピオンに輝き、MotoGPの伝説的存在であるバレンティーノ・ロッシは、2000年代半ばから本格的にF1へ転向することを検討していた。
2004年にフィオラノで初めてF1マシンに乗ったロッシは、2006年のシーズン前に行なわれた合同テストでも走行を行なった。この年、彼はフェラーリと話し合いを重ねたが、最終的には移籍、そしてF1転向を断念した。
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ロッシは2004年にヤマハに加入し、2年連続でチャンピオンを獲得。ロッシ自身はこれで最高峰クラス5連覇を達成した。ヤマハはロッシがMotoGPを辞めF1に転向するのではないかと不安を感じたことから、当時まだ250ccクラスを戦っていたホルヘ・ロレンソと、2008年のMotoGP昇格契約を2006年に結んでいる。
1991年から2014年までフェラーリのプレジデントとなったルカ・ディ・モンテゼモロは、motorsport.comのインタビューで、当初はロッシと契約する考えがあったと明かした。
「誰もが知っていることだが、それは宣伝活動ではない。フェラーリはそれを必要としていなかった」
「最初の頃はほとんど、偉大な王者に対する礼儀だった」
「彼は強力だった。継続性を欠いていた時もあったが、彼は多くのポテンシャルと願望を持っていた」
「我々は一時、彼をザウバーで1年戦わせようと考えていたが、彼は賢かった。クルマで4位や5位になるよりも、バイクで1位のままでいたいと思っていたんだ」
最終的にロッシはヤマハと再契約。2010年までヤマハに在籍した後、ドゥカティに移籍した。彼が最後にフェラーリのマシンをテストしたのは、2010年のバルセロナ。2008年仕様のマシンをGP2のタイヤで走らせている。
2009年のハンガリーGPで重傷を負ったフェリペ・マッサが欠場したため、同年のイタリアGPでロッシがデビューする可能性もあったと言われているが、結局これは実現しなかった。フォースインディアでドライブしていたジャンカルロ・フィジケラが、フェラーリに電撃移籍したためだ。
当時フェラーリでスポーティングディレクターを務め、現在はアプリリアでCEOを務めているマッシモ・リヴォラは、2009年のイタリアGPでロッシがF1デビューするという案は、真剣な選択肢というよりは注目を集める意味合いが強かったと考えていると、以前motorsport.comに語っている。
ロッシが最後にF1マシンを運転したのは、2019年末のバレンシア。ルイス・ハミルトンと愛機を交換し、ロッシはメルセデスのF1マシンをドライブしている。
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