コンセプトカーの本来の意義は、自動車メーカーやデザインスタジオの持つ、デザインや技術の可能性を広げ提示することにあったが、まれにそれが行き過ぎることもあった。
今回紹介するのは、突出したコンセプトが故に、路上に具現化することができなかったモデルたち。中には伝説のように記憶に残るものもあったが、その多くはすぐに忘れ去られてしまうような存在でもあった。読者の共感を得るようなモデルは含まれているだろうか。
ベルトーネBAT3/5/7(1953年)
ベルトーネは1953年から1955年にかけて、3台のBATコンセプトを製作している。空力的なデザインの可能性を追求するモデルで、BATという名称も「Berlinetta Aerodinamica Tecnica:エアロダイナミクス・ベルリネッタ(高性能クーペ)」の略から来ている。
ギア・セレーネ(1960年)
発表当時、10年以内に実用化されるだろうとしていたギア社。幸運にも、それは現実化することはなかった。デザイナーはトム・ジャーダ。写真は、リアエンジンのセレーネを斜め後ろから見ている。
ギア・セレーネ・セカンダ(1962年)
奇妙なスタイリングながら、以外にも好意的な側面でも大きな印象を残したセレーネ。そのため、ジャーダはセレーネの次期モデルをデザインする。初期モデルと同様にリアエンジンで、後ろを向いて座る後席も引き継がれている。スタイリングは古い宇宙アニメに出て来そうな雰囲気だ。
シボレー・アストロIII(1961年)
真っさらな紙にクルマのデザインをするとしたら、最初にホイールの正しい位置を考えてから描き始めるのではないだろうか。おそらくGMのデザイナーはそのことを知らなかったのだろう。このアストロIIIの場合、2本のフロントホイールが縦に並んでいるため、3輪車のように見えるだけでなく、安定性も著しく欠いているのだった。
ベルトーネ・カラボ(1968年)
これまでのコンセプトカーで最も魅力的な1台、カラボは、V8エンジンをミドシップするアルファ・ロメオ33をベースにしている。カラードガラスとバタフライドアを備え、空力的にも考えられたモデルだった。
ベルトーネ・ストラトス・ゼロ(1970年)
自動車デザインの転換点のひとつは、実用性以上にクルマの魅力を高めることにあった。このコンセプトカーはランチアの同じ名称を持つモデル「ストラトス」へとつながったほか、英国のカーデザイナー、アンディ・サンダースがレプリカを製作し、マイケル・ジャクソンのムーンウォーカーのPVにも登場している。
ピニンファリーナ・モデューロ(1970年)
キャノピーからボディに覆われたホイールまで、量産車に流用できる部分がなかったといえるモデューロ。また仮にモデューロを販売するとしても、複雑なデザインと求められる技術で、生産コストが肥大化するという問題を抱えていた。
マツダEX-005(1970年)
都市部の通勤車両としてデザインされた4人乗りのEX-005。しかし、プラティック製のモジュールによるシートで、快適性はないがしろになっていた。天候の影響も受けやすく、衝突安全性も充分とはいえない。一方でロータリーエンジンのハイブリッド・パワートレインは、課題を見据えていたのか、先見の明があったといえる。
童夢ゼロ(1978年)
ランボルギーニ・カウンタック以上の奇抜でアグレッシブなスタイリングを生み出すことは難しいと思うが、日本の童夢社がゼロ・コンセプトでそれに挑んだ。計画ではル・マンに出場する目標だったが、実現することはなかった。
ギア・アクション(1978年)
時間がかかりすぎたのか、予算が尽きたのかははっきりしないが、ギア社はアクションのデザインを仕上げることができなかったようだ。フロント周りのデザインは素晴らしいのに、キャノピーを経てBピラー以降は、プロジェクトが不完結だったことを示しているかのようだ。
アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
デザイナーのウィリアム・タウンズは、ラゴンダなど、当時でもかなり型破りなモデルを発表したが、このコンセプトカーはその最たる1台だろう。アストン マーティンのテスト車両としてスタートし、25台を生産する予定となっていた。結果、なんとか1台が生産され、その車は現在も生き残っている。
トヨタCX-80(1979年)
CX-80は、当時のトヨタの最小モデル、スターレットよりも小さな占有面積ながら、家族4人に充分なスペースを生み出すことを目指していた。その仕上がりは、残念ながら小さな子供が描いたようなスタイリングになってしまった。恐らく、トヨタのデザインの歴史の中で最も醜いモデルではないだろうか。
シトロエン・カリン(1980年)
デザイナーのトレバー・フィオーレが手がけたシトロエン・カリン。彼のトライアングル・コンセプトに加えて、エクステリアのデザイン中に三角のチョコ、トブラローネを食べ過ぎたのかもしれない。マクラーレンF-1のようにドライバーは車両中心に座り、両サイドにパッセンジャーが並ぶスタイルとなっている。
IADエイリアン(1986年)
エイリアンのコンセプトは日常からの脱却だったが、コアとなる技術として、クルマから取外し可能なパワーパックを選択していたから、非現実的という運命は初めから決まっていた。とはいえ、呆れてしまうほど派手なスーパーカーという意味では、成功したモデルだともいえる。
イタルデザイン・マキモト(1986年)
マキモトのコンセプトは自動車とバイクの融合。発展途上国において、最大9名まで乗車可能で、安価な交通手段を目指してデザインされたが、安全性と快適性に関してはないがしろにされていたようだ。
プジョー・プロキシマ(1986年)
1986年、われわれが購入できた最も速く、魅力的なプジョーといえば、4輪駆動にターボが搭載された205だった時代。工場で309や504、604を大量生産していた自動車メーカーが、パートタイム式4輪駆動に600psを発生させる2.8ℓV6ツインターボエンジンを搭載したプロキシマを発表するのは、いささか向こう見ずだったようだ。
クライスラー・ボイジャーIII(1990年)
現実性からの離別。クライスラーのデザインチームは、3人乗りのシティカーに、分離式のリアポッドを接続することで8人乗りの、今でいうミニバンにもなる、ボイジャーIIIを発表した。利便性はいかに?
イタルデザイン・コロンブス(1992年)
V12エンジンを搭載したラグジュアリーなマイクロバス。一見面白そうだが、墜落したジェット旅客機のようなスタイリングをまとったことで、一気に関心は薄れてしまったようだ。
ルノー・ズーム(1992年)
低価格で、ミニマムに簡素で凝縮されたシティカーは、魅力的な存在でもある。しかし、フランスのルノーはこのことを理解していなかったのだろうか。マトラ社との協働によって、最も複雑なスモールカーを提案したのだ。手の混んだリアサスペンションにより、状況によってホイールベースが変化するのだが、必要な国は存在するのだろうか。
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