ホンダは自社の情報発信サイト「Honda Srories」に、レッドブルF1のドライバーであるマックス・フェルスタッペンとセルジオ・ペレスの”ホンダとの絆”についてのインタビュー記事を公開。その中でフェルスタッペンは、最初にホンダのF1マシンに乗ったのは3歳の頃であると話すとともに、ホンダPUのサウンドは他とは違うと語った。
2015年に鈴鹿でF1公式セッションデビューを果たし、その後一気に階段を駆け上がって2021年にF1ドライバーズチャンピオンに輝いたフェルスタッペンは、Honda Srtoriesのインタビューで、ホンダのF1マシンに初めて乗ったのは3歳の時だと明かした。
■フェルスタッペン、ホンダとの関係強化を歓迎。ガスリーも「チーム内では今もホンダPUと呼んでいる」
「確か3歳だったかな。その頃から僕はホンダのF1マシンに乗っていたんだ!」
フェルスタッペンの父親は、元F1ドライバーのヨス・フェルスタッペン。1999年、ホンダはコンストラクターとしてのF1参戦を目指していたが、その時のテストドライバーがこのヨス・フェルスタッペンだったのだ。少年マックスはそのテストにくっついて行き、いち早くF1マシンのコクピットに乗り込んだのだった。
このマシンはホンダRA099。純白に塗られたハーベイ・ポスルズウェイトがデザインしたマシンは、シンプルながらもテストで好パフォーマンスを発揮。周囲を驚かせた。
しかし、ホンダのコンストラクターとしてのF1参戦計画は頓挫し、BARにエンジンを供給する形でのF1復帰となった。
フェルスタッペンは日本GPを前に東京のホンダ本社を訪れた際、このホンダRA099のコクピットに収まったようだ。
「その頃の記憶はあまりないけど、ホンダは2000年の参戦に向けて、実戦を見据えたマシンを作っていたところでした。美しいマシンだし、今見ても素晴らしいレーシングマシンだと思う」
一方のペレスは、エイドリアン・フェルナンデスがホンダとの最初の繋がりだと語った。
「僕が子供の頃、メキシコでF1はあまり有名でなくて、チャンプカー(現:インディカー)のレースをよく見ていた。実は、ホンダエンジンでチャンプカーを戦っていたエイドリアン・フェルナンデスさんと僕の父は一緒に仕事をしていたんだ。その頃から、ホンダは素晴らしい会社だと思っていたし、ずっとリスペクトしていた。だから、今はホンダと一緒に仕事ができるという夢が叶ったと言えるかもしれない」
また、プライベートではホンダのCR-Vに乗っていると明かす。
「今はHondaのCR-Vに乗っているけど、家族で出かけるのにぴったりだ。ホンダのスクーターも持っていたことがあって、60cc、80cc、125ccと徐々に排気量を上げて乗ってきた」
そうペレスは言う。
「あとはNSXを1年間貸し出してくれたんだけど、メキシコではあまり走っていないクルマで目立ちすぎるので返してしまった(笑)」
そんなふうに以前からホンダとのつながりを持っているふたり。フェルスタッペンは、ホンダPUのサウンドは他のブランドとは異なり、パフォーマンスも飛び抜けていると語る。
「PUは、飛び抜けて素晴らしい」
そうフェルスタッペンは語る。
「僕はこれまで5つのブランドのエンジンを搭載したF1マシンに乗ってきた。ホンダのエンジンサウンドは他と全く異なるんだ」
「今年はさらに高いトップスピードを実現しているが、こうしたエンジンでレースができるのは、ホンダのスタッフが最高の仕事をしてくれているからにほかならない。コース上でのバトルにも大いに役立ってくれているし、追い抜きでも強さを発揮してくれる」
「僕らとホンダの絆はとても強く、今年はさらに一歩上のレベルに来たのではないかと思っている。一緒にレースで勝てるのが嬉しいし、もちろんチャンピオンも勝ち取りたい」
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みんなのコメント
そして日本サーキットの聖地、鈴鹿サーキットを建設したのが本田技研工業。
創業者の本田宗一郎氏が設計監修にも携わりました。
マクラーレン時代のPUは本当にひどかったから。
あの状況を横目で見ていたのに、当時のトロロッソは良くホンダを載せてくれたよ。