スーパーGT今季最終戦、モビリティリゾートもてぎでついに現役最後のレースを終えたZENT CERUMO GR Supraの立川祐路。1997年にJGTC全日本GT選手権デビューを飾り、2001年、2005年、2013年と三度のチャンピオンを獲得し、さまざまな名勝負を演じてきたドライバーがついに引退を迎えた。
立川のキャリアのなかで欠かすことができない存在である同世代のライバル、チームメイトたちに、立川、そしてその引退について聞く『スーパーGT最速男との記憶』連載。最終回の締めくくりはやはりこの男。同じトヨタ陣営の盟友にしてエースの座を争ったライバル、まさに切っても切れない関係の脇阪寿一に、立川との思い出を聞いた。
立川祐路がラストレースを戦い抜く「正直こみ上げてくるものがありました」1996年からのキャリアに幕
■「これは“降りる”という報告だな」スマホの発信者の名前を見て感じた予感
1972年に奈良県で産まれた寿一は、1997年からフォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権の国内トップカテゴリーにステップアップ後、1998年にはF1のジョーダン・グランプリでテスト参加するなど、次代の日本人トップレーサーとして頭角を現す。当時は童夢やARTAなどのホンダ陣営から参戦していたが、2001年にTeam LeMansに移籍すると、トヨタ・ワークスドライバーとしてのキャリアが始まった。そして、当時トヨタの若手ドライバーとして国内トップカテゴリーに上がってきたのが、立川だった。
「若いときは僕のほうがフォーミュラで速かったので相手にしていなかったけど、GTで同じ開発車両に乗ってみると速かった」と立川の第一印象を振り返る脇阪。8月4日に富士スピードウェイで行われた引退会見では、長きにわたる盟友として立川に言葉と花束を送った。寿一は、一時代の終焉と立川の功績について続ける。
「今はメーカーのエースドライバーを育成出身のドライバーが務めるなか、彼(立川)が最後の育成ではない選手なのかなと思います。そう考えると、ひとつの時代が変わります。星野(一義)さんや国さん(高橋国光)などは、あの世代だからこそ長く現役を続けられた部分がありますけど、立川は今年で48歳です。スポーツ界が全体的に若年化しているなかで、その年齢で戦えていることは本当にすごいと思いますし、今後のモータースポーツでこういった“バケモノ”はおそらく出てこないでしょうね」
立川が引退を発表した7月28日、寿一は自身のブログで長文を掲載してその思いを明らかにした。その文中にもあるとおり、寿一は立川本人から発表の1週間ほど前に電話で引退することを伝えられていた。そのときはスマートフォンに『立川祐路』という表示が出た瞬間に直感した。
「これは“(クルマを)降りる”という報告だな、と」
「着信が鳴って何かあたふたして、電話を取りたくない気持ちがありましたけど、出ないとすぐに留守電になってしまうので取りました。報告を聞いた後は『そうなんや……』という感じでした。なんて返事したかは覚えていないですけど、最後に残りのレースで『勝てよ』とは言いました」
「わざわざ連絡してくるのが立川らしいですよね」と引退報告に笑顔をみせる寿一。それでも、自身が2015年限りでスーパーGTから引退した後も活躍を続ける立川に対しては、複雑な心境があったことを明かした。
「僕が引退してからも立川は活躍し続けていたので『やっぱりすごいな』という尊敬の傍ら、ある意味で嫉妬の気持ちを持っていました。尊敬と嫉妬はまるで反対の気持ちですよね。本山(哲)さんのときもそうだったのですけど、立川の活躍も両方が入り交じるような気持ちを僕に与えてきました。ただ、改めて自分の気持ちを整理したら、立川に対しては尊敬と感謝しかありませんでしたね」と語り、立川の凄さを続ける。
「レース界だけでなく、スポーツ界全体でもこれだけ長くトップに君臨した人は今の時代になかなかいないと思います。モータースポーツはまだマイナーな部分があるので、引退会見もサーキットでの一室でしたけど、モータースポーツがもっとメジャーだったら、社会的にとてつもなく話題になるレベルの功績ですよね」
立川引退発表の際の寿一のブログには、文章とともにエッソ・ウルトラフロースープラ、そしてauセルモスープラのレーシングスーツを着用したふたりのツーショット写真が添えられている。立川が寿一の肩に手を回しカメラ目線に対して、寿一は少ししょげているように見える写真は、寿一にとって思い出深いものだという。
「ブログの写真は、チャンピオンを獲得したスープラを並べて撮影するとなったときに『ちょっと写真撮ろうぜ』と言って撮影したものです。そのシーズンは確か立川の方が成績が上位だったので、僕はしょんぼりしているのだと思います。当時はシーズンの成績が上位だった人間が、シーズンオフの開発テストを含めて“偉そうにする”という決めごとみたいな部分がありました。そこまで昔ではないですけど、一番思い出に残っている写真です」
■幾度とない好バトルの数々。関係性を伺わせるテストでの“イタズラ”エピソード
同じトヨタ/レクサス陣営で幾度となく好バトルを繰り広げたふたり。なかでも寿一が一番覚えているレースが2009年の第2戦鈴鹿だ。このレースでは、PETRONAS TOM'S SC430の寿一とZENT CERUMO SC430の立川がトップ争いを展開し、残り4周のカシオトライアングルで立川が寿一をオーバーテイクして勝利を飾った。寿一はレースを含めてシーズン全体を覚えているという。
「(2009年の第2戦は)立川に抜かれた直後にセーフティカーランでレースが終了してしまったので、立川にもう一度チャレンジすることができませんでした。なので、当時のSUPER GT+で『寿一のパフォーマンスが落ちた』みたいな放送をされましたけど、やはりスポーツ選手なので、良いところだけではなく悪いところも放送したほうがいいと思い、事前に相談を受けた制作スタッフには『その内容で構わないので放送してほしい』と言いました」
「でも、その言葉がボディブローのようにどんどんと効いてきて、初めてのスランプになりました。後半戦のオートポリスで勝つことができたので逆転タイトルを獲ることができましたけど、あのシーズンは立川に対して、自分に逆転するチャンスが与えられない展開が多かったので覚えています」
さらに寿一は、立川との思い出として、下位争いを繰り広げ中継にまったく映らなかったという2006年のレースを挙げた。
「お互いの引き出しを出し切り、裏の裏の裏の裏くらいをかきながらバトルをしました。相手を信頼しながら自分を出し切ったという意味では覚えています」と寿一。当時のレース後、「すごく楽しかったけど、あんなにいいバトルをしていたのに、まったく映像には残っていなかった」とコメントしていた。
もうひとつ、思い出深いエピソードとして、トヨタ/レクサス陣営の開発ドライバーとして、車両開発を担うふたりの関係性にまつわる、ある一戦を挙げた。
「2006年第1戦の鈴鹿で僕が優勝したのですけど、レクサスSCの開発が遅れていて、オートスポーツにも『今季のトヨタはヤバい』くらいのことを書かれていました。でも、鈴鹿の決勝ではかなりの強風が吹いていたこともあり、レクサスSCはダウンフォースへの影響が少ないおかげでアンドレ(ロッテラー)と勝つことができました。そのとき、立川が自分が勝ったわけではないのに『初めて他人の優勝を嬉しく思った』というコメントをしていたんです」
「正直、開発テストのメンバーには『俺たちと寿一さん、そして立川さんが組んでレースをすることはできないのか』という願いもありましたし、どこかで『寿一と立川のふたりを組ますべきだ』という話はありました。結果的にそれは叶いませんでしたけど、やはり開発テストのメンバーは全員チームメイトという感覚があったので、テストでは本当は隠したい実力を出し切ったりしていました。僕はTeam LeMansのノウハウ、立川はセルモのノウハウを隠したかったはずですけど、それを出し切って『良いクルマを作ろう』というような感じでした」
「そのような争いを延々とやりながら、出し切ったうえでの戦いなので、勝っても負けても敬意は生まれますよね。やはり低いレベルの争いだと『余裕で勝てる相手に勝っただけだから、大したことない』となりますけど、レベルが上の戦いだとお互いの敬意につながる。立川はそういった関係性を一緒に作ってくれたと思います」
「もちろん僕のなかでは本山さんと道上(龍)さんも特別な存在ですけど、立川に対しても同じ気持ちがあります。立川がいなかったら、僕はトヨタでもう少し油断できたし、もっと余裕でいろいろなことができましたけど、立川がいたからこそ努力できた部分があります。立川は言葉数が少ない人間ですけど、人として尊敬できる存在です」
最後に脇阪は、SUGOでのとあるテスト中に立川に対して行った“イタズラ”のことを思い出し、ライバルでありながら戦友とも呼べるふたりの関係性について語った。
「同じ土俵で走っているというエピソードで言うと、夏のSUGOでテストをしているときに、とあるイタズラをしました。SUGOは普通ならSPコーナーを立ち上がった後に一瞬“バババッ“と3回くらいリミッター(レブリミット)を当てながら最終コーナー入っていきます。テストでは僕が走行しているときは立川が日光浴しながらリクライニングチェアで休んで、立川が走っているときは僕も同じように休むという交代制だったのですけど、立川が走行するときに内緒でレブリミッターをほんの少し下げてみたんです」
寿一によると「たとえば6000回転を5800回転にするくらい」のわずかな変更だったというが、驚いたのはその後の立川の行動だという。
「その後、僕が普通に6000回転で走行しているときに、レブリミッターの音の違いに気づいた立川が飛び起きてきて、『寿一はいったい何秒で走っているんだ!』と、詰め寄ってきたんです(苦笑)」
「テストなので1台しか走行していないし、ふたりでずっと走行しているから、お互い休んで寝ていても、ほんの少しの違いが音で分かる。立川とはそのくらいのレベルで、意識しながらやり取りができた。本当に良いライバルであり、良い友だったなと思っています」 こ
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