三菱 のみんなの質問

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各自動車メーカーの創業者ってこれで合ってますか?

トヨタ=豊田喜一郎
ホンダ=本田宗一郎
マツダ=松田重次郎
スバル=中島知久平
日産=鮎川義介と橋本増治郎
三菱=岩崎弥太郎(のちに三菱自動車創業)
スズキ=鈴木道雄
いすゞ=不明

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ベストアンサーに選ばれた回答

自動車メーカーって大きくて、歴史もかなり複雑なところがあります。

トヨタ自動車は、一般的にはそう思われているけど、初代の社長は 豊田利三郎 氏。
ただ、計画を立てたりして自動車づくりを進めたのは喜一郎氏なので、一般には創業者は豊田喜一郎氏ととらえられているようです。

ホンダは一番すっきりしていますね。
逆に日産は会社として名乗ったん時点なのか、車を作り始めた時点なのかという事を考えると、ややこしいみたい。
快進社で脱兎号を作ったのが始まりと考えると、橋本増治郎氏が始祖と言えないことも無いです。
脱兎号の次世代=息子として「ダットサン」という車を作っていて、日産が商標を持っているはずですしね。
日産の公式ページでも「日産自動車前史」という形で書かれていました。
https://www.nissan-global.com/JP/COMPANY/PROFILE/HERITAGE/HISTORY/

こういう事はメーカーの会社情報などの中に会社概要という所があって、そこの中に歴史が書かれていることが多いので、調べてみると面白いと思います。


ただ、明らかな間違いは三菱。
三菱自動車というのは、実はかなり新しい会社です。
三菱財閥を作ったのは岩崎弥太郎ですけど、自動車づくりの源流は日産と同じところというのが面白いですね。

ただ、三菱の自動車事業は「三菱重工」の一部門として行われていました。
1970年に三菱自動車として独立したという事ですけど、自分の記憶では色々と問題があって、三菱自動車としての独自の車を出せたのは1976年のギャランΣ、Λからだったと記憶しています。
このころに岩崎弥太郎は生きていないですよね。

自動車事業を始めるときに財閥の意向として「スリーダイヤモンドのマークを付けた商品がトップに立てないのなら、そんな事業はやめてしまえ」とか。

1970年に独立したときには、スリーダイヤの使用を認めてもらえず、通称MMマークというものをロゴとして車やカタログにあしらっていました。
自分はギャランΛに乗っていて、ボンネットの先端のマスコットについていました。
ところが、そのマークがいすゞのマークに似ていると訴訟を起こされ、使うことができなくなり、しばらくは「MMC」というロゴを使っていました。

その後、経緯は知りませんけどスリーダイヤマークが許されたようで、ランエボの頃はスリーダイヤがついていました。

でも、経営状況はよくなることも無く(個人的な見方です)、リコール隠しなど多くの問題を引き起こし、最終的には財閥の本部も切り離すような形で日産の子会社になっています。


かなり偏見に満ちた記憶ですけど。

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