シボレー のみんなの質問

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日本のエンジン技術が超未熟な1940年代に、ゼロ戦や紫電改が大活躍したのは、ある意味ミラクル!?でしょうか?

本当は、優秀なターボ技術がエンジンの恐るべき低レベルなのをカバーしていた?

だって、YS-11の時代になっても、エンジンはイギリス製ですし、

戦後の自動車エンジン技術だって、
日産あたりを見ても、シボレーやオースチンを改良していたんじゃーないでしょうか?

わずかに国産だったトヨタエンジンは、
やはり超いまいちでしたし、ヤマハの技術を得て何とかできたみたいな、

エンジン技術が独り立ちできたのは、
マン島でバイクエンジンがホンダが優勝するようになって,
F1でも、サーティースで、勝って、

あとは、サファリラリーで、エンジン耐久性が向上するようになってから、

つまり、日本のエンジンン技術は、
1964年東京オリンピック後あたりから1968年メキシコオリンピックにかけて、
やっと、世界に
そんんしょくないエンジンが作れるようになって、
(L-20などで後にフェアレディーZが米国で超売れ)

エンジン技術が世界に追い付いた。

日本のエンジン鋳造がまともになったのは、東京オリンピック以降、やっとどうにかこうにか、--

いろんな製造技術もまだまだ舶来信仰だった!

ですから、1940年代の日本のエンジン技術で、
ゼロ戦や紫電改が大活躍できたのはほとんど奇跡的なことであった!

ということが言えるんじゃーないでしょうか?

補足

日本ではターボ技術はあってもレアメタルがないため最後までアメリカに追いつけませんでした。 ありがとうございます。 やはり資源小国日本、ハンディーが有ったのですね!? 高性能エンジンや高性能ターボにはレアメタルが必要なのですね!? そしてもちろん高品質のガソリン、 日本では松ヤニから採取した植物オイルを使っていたそうで、黒煙が出たそうですね!? 終戦で接収した高速哨戒機を米国の良質ガソリンを入れて飛ばしたら、 とんでもない高性能が出たそうですね!?

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ベストアンサーに選ばれた回答

<日本のエンジン技術が超未熟な1940年代に、ゼロ戦や紫電改が大活躍したのは、ある意味ミラクル!?でしょうか?>
確かにアメリカ人にはミラクル的だったようです。太平洋戦争初戦に活躍したゼロ戦を、アメリカではそんな優秀なヒコーキ日本で作れるわけない、ドイツあたりから輸入したヒコーキのコピーに違いないと信じていたそうです。しかし、鹵獲したゼロ戦を分解したアメリカの技術者が、エンジンも独創性が認められると言ってました。誰かが日本のエンジン〇リングがないなんて言ってましたが、そんなエンジンすぐ壊れます。本田宗一郎確か戦時中〇リング製造してました。ガソリンのオクタン価の違い、オイルの質の違いも大きかったようです。

<本当は、優秀なターボ技術がエンジンの恐るべき低レベルなのをカバーしていた>
日本ではターボ技術はあってもレアメタルがないため最後までアメリカに追いつけませんでした。

<だって、YS-11の時代になっても、エンジンはイギリス製ですし>
御客様を乗せる旅客機、たとえ日本製のエンジン優秀でも(その当時まだなかったか)、欧米のエアライン社長は信用しません。そこでロールスロイスのエンジンを積んだのです。ロールスロイスのエンジンついているならというわけで欧米でも売れました。客商売はブランドが大事なのです。

< 戦後の自動車エンジン技術だって、 日産あたりを見ても、シボレーやオースチンを改良していたんじゃーないでしょうか?>
乗用車はもともとトラック中心の貧乏な日本ではノウハウも貧弱でした。だから欧米の車で勉強したのです。さすがは今や世界一のトヨタ独自にやりました。技術はそれほど劣ってはいませんでした。

<エンジン技術が独り立ちできたのは、マン島でバイクエンジンがホンダが優勝するようになって, F1でも、サーティースで、勝って、>
その通り、あのホンダのエンジン技術者は元はヒコーキエンジン技術者でした。

<あとは、サファリラリーで、エンジン耐久性が向上するようになってから、>
エンジン耐久性は設計よりも材質の問題です、特にレアメタル、戦時中エンジンで苦労した技術者が市販のスポーツバイクを見てこんなにレアメタルをふんだんに使えるなんて贅沢な世の中になったもんだなあと自嘲していたそうです。

<L-20などで後にフェアレディーZが米国で超売れ>
このエンジンも中島の伝説の技術者がやったことです。

<いろんな製造技術もまだまだ舶来信仰だった!>
明治以来そうでしたね。

<ですから、1940年代の日本のエンジン技術で、ゼロ戦や紫電改が大活躍できたのはほとんど奇跡的なことであった!>
確かにあの材料不足の中でよく頑張りましたね。奇跡的です。
いまや日本の自動車は耐久性、燃費、故障の少なさ、断然優れているといわれています。アメリカでも買うなら断然トヨタ、中古で売る時も高く売れるので、人気だそうです。
昔はカメラは世界中ドイツ製、日本でもライカ信者ばかりだった。しかし軍艦の測距儀から陸軍の望遠鏡まで戦中は日本人懸命に独自で研究し発達させました。今や一眼レフ99パーセント日本製だそうです。日本人の技術まんざらでもないようです。

質問者からのお礼コメント

2019.3.26 08:51

皆様貴重なご回答ありがとうございました。!

その他の回答 (13件)

  • 厳しい評価ですね。設計は良くてもそれに作る技術がなければ
    、活かす事ができないです。2000馬力エンジン搭載予定
    して機体設計しても、実際には1800馬力エンジンだったり
    すれば機能は低下します。
    ゼロ戦は防御機能を捨てて非力なエンジン、機体で操縦する
    ・・・高度な技量を搭乗員に要求していますね。
    紫電改はその逆に頑丈な機体と強力エンジン・・・・

  • 貴方の仰ることはごもっともだと思います。
    親戚の人が工学博士だったのですがゼロ戦のエンジンを富士山の上まで持って行って性能試験をした事があると聞いたことがありました。
    当時日本ではピーニングの技術が無く撃墜した敵の戦闘機のクランクシャフトを見たら鋳物と判断して鋳物でクランクシャフトを作ったらボキボキ折れたそうです。
    ピーニングは鍛造した物に鉄の玉をぶつけて表面を固くする技術ですが、鋳物の肌のように見えたようです。
    もう一つは日本にはOリングがが無くてオイルが漏れ放題だったようです。
    ダイムラーの図面をドイツから買ってきて熱田と言う水冷のエンジンを作たりしていたようです。
    戦後は大東機械と言う会社がDSKと言うBMWと全く同じのオートバイを作っていました。
    BMWの技術者が分解してみたらネジ一本までドイツ製と同じだったので日本国内に限って売っても良いと言ったと言う事を聞いたことがあります。

  • 終戦後占領軍が航空産業を破壊しましたから、戦後の航空産業は2歩後退してます。

    日本の戦闘機が強かったのは、パイロットの命を無視した軽量化をしたからです。

    ゼロ戦 3トン
    グラマン 33トン

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