アウディ のみんなの質問

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ポルシェが90年ごろか?経営危機に陥った時に、
当時のベンツとアウディが助けた、みたいな話を詳しくご存知の方、教えて下さい!

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ベストアンサーに選ばれた回答

それは前の回答者さんが言う通り、ベンツ500EとアウディRS2の受託生産の話だと思います。
恐らくそこに深くかかわっているのがポルシェ創業者の孫のフェルデナント・ピエヒ氏でしょう。
彼は非常に優秀な技術者であり経営者でもあり、一時はベンツのコンサルタントを務めたり晩年はアウディの躍進を進めフォルクスワーゲングループの会長まで務めた人物です。
そんな彼が、自身の祖父が創設したポルシェを無くすわけがなくベンツや自身が経営に携わるアウディに働きかけたというのは想像に難しくないことだと思われます。

その他の回答 (2件)

  • 助けたのでは無く、ベンツかワーゲンの一部になるだろうと言われたのですが、
    31歳でポルシェで働き始めた後に、他の自動車部品メーカーを経て、ポルシェの生産責任者で有った、Dr. Wendelin Wiedekingがポルシェ再建の任を受けて、1993年にポルシェのCEOに就任。
    生産責任者であったので、マサチューセッツ工科大の研究者たちによる、(トヨタ式)リーン生産方式(ムダ取り)に目を付けて、トヨタと覚書を交わしたうえで生産方式を変更し、新たな労働契約を労組と話を付けて僅か2年程で再建し、ポルシェを効率の良い会社に作り上げました。
    Dr.ヴィーデキングCEOはポルシェが既にワーゲンの大株主でも有ったので、ワーゲングループの役員にもなりました。
    当然、ワーゲン傘下のアウディを使いポルシェを援助したとは考え得る話ですが、その辺りを書いた記事等は見つけられませんでした。


    面白いことに
    日本版Wikipediaではヴィーデキングの事を
    「1991年ポルシェに同社役員として入社。1992年同社取締役会スポークスマン、1993年同社CEOに就任した。
    多くの日本人を、主としてトヨタ自動車から管理者として招き入れることでポルシェ社員に効率性を学ばせ、在庫とコストの低減を達成、1995年までには経営状態を好転させた。」と有りますが、

    英語版Wikipediaでは

    「Wiedeking, then 40 years old, who with his spectacles and moustache looked like "a clerk at a venetian blinds manufacturer", according to Der Spiegel magazine, soon imposed his gung-ho management style on the workforce. Within two years he managed a surprise turnaround by trimming the product line-up, modernizing the production system based on Toyota's lean manufacturing system and negotiating new work rules with the unions.」

    と、記載内容が若干異なります。
    ドイツ版では
    トヨタの事は触れられず、大規模なリストラとされて居ます。
    ・・・・ドイツ人はトヨタが好きでは無い様なので。

  • 経営危機になった時にトヨタの人を呼んで改善させたという話はありますが、ベンツとアウディが助けたという話は聞いたことはないです。

    ただ近い時期にアウディとアバントRS2を共同開発していたり、ベンツのE500を経営不振が囁かれた頃に開発を委託するなどの関わりはあり、特にE500の生産は当時経営の苦しかったポルシェには美味しい仕事だったのでしょう。

    なので直接的に支援があったとか助けたわけではないが、当時を考えたらその関わりのお陰もあって先に繋がり乗り越えられたと考えるなら救ったとは言えるでしょうね。

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