ルノー のみんなの質問

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日産はルノーに経営統合されたほうがいいですよね?

日産の業績が回復したのは
日本人経営者のおかげではない。
カルロス・ゴーンのおかげである。

日産はもう死んでる。

日産は昔から
変な企業体質だた。


ゴーンという「怪物」を生んだのは誰か
日産“権力闘争史”から斬る
4/11(木) 8:00配信


・・・中略・・・


果たして今回の事件は、“異邦人”であるゴーン前会長個人の才能や人格に起因するものなのか。それとも、こうした存在を生み出す土壌がそもそも日産にあったのか。


『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(文藝春秋社)を2月に上梓したジャーナリスト・井上久男氏は、朝日新聞の記者だった1999年、「日産・ルノー提携」をスクープし、独立後も長きにわたって日産とゴーン前会長を追い続けてきた。


井上氏は同書の中で、日産という企業の成り立ちや権力闘争史をひもとくことによって、ゴーン前会長が日産を救い、そして独裁に至った背景を丹念に描いている。




ゴーン・日産報道の「第一人者」に、“怪物”が生まれた真の要因について直撃した。


――井上さんは朝日新聞の経済部記者時代から今に至るまで、長く日産とゴーン前会長に向き合い取材を続けてきました。


『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』では事件を読み解くだけでなく、日産という会社の成り立ちについても明治期にまでさかのぼり、日産の構造的な問題に踏み込んで検証しています。


実は日産ではゴーン前会長の登場前から社内で派閥抗争が繰り広げられ、サラリーマン社長の独裁者に周囲がおもねる構図が繰り返されてきたという指摘は衝撃的で、創業者一族が経営に関わってきたトヨタ自動車とは対照的です。


なぜ日産では社内抗争が起きやすかったのでしょうか。


井上: 率直に言うと、日産は「都会のエリート」が集まる会社でした。

今はそれほどではありませんが、理系も文系も東京大学卒が多く(当時、東大合格者を多く輩出していた)東京都立の日比谷高校や戸山高校、神奈川県立湘南高校の卒業生に「(社内で)石を投げれば当たる」と言われていました。


東大卒であることは当たり前で、高校閥で争っていたんですね。役員にも日比谷・戸山高の出身者が多かったのです。


非常にクレバーでスマートだが計算高く、自分に損か得かでしか判断しない人が、トヨタに比べると多かったと思います。トヨタも今では変わりましたが、かつては地方の国立大卒が多かった。そういう人たちを(入社後)鍛えていく会社だったとも言えます。


でも、日産は入社した時点でいわば(その人の人生にとって)“頂点”なのです。自分の哲学などは殺して、出世のために権力者にゴマをすっていく「超サラリーマン」のようなイメージの人が多かった。


独裁と抗争の“権力闘争史”

――本書でも社長在任時に自身の銅像を作らせた川又克二氏(日本興業銀行からの転籍)、強引なグローバル戦略を進めた石原俊氏、第二労組のトップという立場で権力を掌握した塩路一郎氏と、独裁の系譜と抗争のドラマが描かれています。


井上: 塩路氏や石原氏の支配下は、「車やモノ作りが好きかどうか」より、いかに権力者に食い込めるかという世界でした。「超サラリーマン」のような人が集まった会社で、権力者が出ても(社員が)刺し違えたり「あなた(のやり方は)おかしいですよ」と言ったりせず、自分の損得のため従ってしまう。


日産は日本を代表する企業です。社会的な信用もあり、金を湯水のように使えました。しかし99年ごろまでには、気が付いたら経営危機に陥っていました。


――石原氏による米国を初めとしたグローバル戦略といった失敗が続いた上、それまで融資してくれていた日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)が、山一證券などの倒産を目の当たりにして、自社の経営に注力しなければならなくなり、日産どころではなくなったのですね。

結局、当時の塙義一社長が外資からの資本受け入れを決断し、最終的に提携を受け入れたルノーが再建のために日産へ送り込んだのがゴーン前会長でした。


井上: ゴーン前会長がやったこととは、モノづくりや販売の面で続いていた権力闘争や足の引っ張り合いのリセットでした。


また、日産では取引先との関係が健全ではありませんでした。例えば自動車というものは2~3万点の部品で作られていて、サプライヤーの企業から購入しています。


日産では(社員の)天下り先がそういった会社でした。本社の購買部門の担当者とは後輩や先輩の関係なので、高額な部品を「なあなあ」の関係で購入していました。


一方、トヨタは違っていました。もちろん(サプライヤーである)グループ企業に本社の社員が役員や部長として移ったりもしますが、あくまで厳しいマネジメントを敷いています。


部品メーカーに対して「生かさぬよう殺さぬよう」鍛え上げることで、


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190411-00000031-zdn_mkt-bus_all&p=1

補足

トヨタ本体と同様に筋肉質な企業にしていったのです。 そうでなかった日産にメスを入れたのがゴーン前会長でした。私はその判断については間違っていなかったと思う。多くの人が(ゴーン体制下で)リストラされましたが、日産本体を含めてこのように“外科手術”をしなくては、全部が沈没していたでしょう。 「独裁者」となる転機 ――ルノーとの提携直後に日産を再生させた手腕については、やはり評価しているのですね。 井上: 日産で当時、開発コストに加えて特に課題だったのが過剰な設備です。自動車メーカーは設備投資額が大きいだけに動いていない設備や人員を持つと一気に赤字になる。日産は人を切って工場を閉鎖するという「痛みを伴う改革」をしないと、沈没する状態でした。 (日産・ルノー提携時の)塙社長を初めとした日本人幹部もこうした問題の根幹は分かっていたと思います。しかし彼らにはしがらみがあった。 実はゴーン前会長はあらゆる局面でこうした“使われ方”をされてきた人物でした。 (やはり再建で活躍した)ルノーもいわば往年の(日本の)国鉄のような状態で危機感がありませんでした。 リストラが必要だったため、彼が連れてこられたのです。 ――その後、

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ベストアンサーに選ばれた回答

日産は和名にはなってますが既にルノーの傘下です
現地法人としての
サテライトカンパニーがクーデターを起こして要求をしても
要求にはなりません。
欧州の会社は現地の自由度をある程度認めてきただけです
何時、日産の名前まで消滅しても自然なことです。
当時やるべきことをやらなかっただけで

資産価値が大きくなれば経営、ならなければ売却(転売)
は当たり前のことです。

日産は国が経営しているわけでも株主でもありません
私企業です。
日本が奇妙な介入をすれば、手ひどい目に合うでしょう。

日本の会社はほとんどがグロバル企業ではありませんし
大衆も会社=国と思いこんだり
会社=従業員のもの とお見込む傾向があります
会社は株主のものですから域外は関係ないのです。

あのポルシェも今やワーゲンの傘下でサテライトなのです

ルノーはエッフェル塔に広告を出した。車の老舗で
名門です。
ルノーが設立されたころ日本は歩行移動かせいぜい小舟くらいしか
なかったのです。

質問者からのお礼コメント

2019.4.28 15:41

日産は
こういう運命になるんだね。

その他の回答 (2件)

  • 日産は昭和時代の潤沢な資産が眠っているから。

    それを売却すれば企業発展出来た。

    しかし、小泉不況政策時代❗️
    一気に資産売却したら日本経済が混乱するから先延ばしになった。

    含み資産売却だけで立直り出来た環境。

    経済マフィアや守銭奴を引き込む必要が無かった。

  • ルノーはフランスの左翼社会主義政権に冒された国営企業。そもそも資本主義下の公正な経営判断や競争原理など働いていない。日産をルノーに託したところで、マクロン大統領の人気取りにリソース浪費されるだけ。日産を買い戻すことが日本の国益に適わぬなら、さっさとお取り潰しにする方がまだマシというもの。

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