日産 のみんなの質問

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鮎川義介って言う方の日窒コンチェルンが日産自動車の源流ですか。


アンモニアとか、硫安などの窒素肥料を主力事業に始まったのでしょうか。
満州とか朝鮮でのダム開発もやっていたのでしょうか。

窒素固定とかアルミニウム精錬とか電気を膨大に食う事業を大陸では安価な電気で行えたのでしょうか。
化学系から自動車に進出したのでしょうか。

大陸に持っていた資産の多くは失うのでしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

日産自動車発行の社史を読む限り、日産は自社の源流は日本産業ではなく、鮎川義介と戸畑鋳物にあると考えているようです。

現在の日産自動車はそのルーツを辿って行くといくつもの会社に分かれます。

まず一つは橋本増治郎が1911年に東京・渋谷に設立した「快進社自働車(「自動車」ではない)工場」。その後、快進社自働車工場は「株式会社快進社」となり1925年7月に解散。バスの営業を行う「合資会社ダット自動車商会」となりました。

もう一つは久保田篤治郎が1919年に大阪に設立した「実用自動車製造株式会社」。こちらは1920年にゴルハム号を製造・販売しています。

そしてこの二つが1926年に合併して「ダット自動車製造株式会社」になります。ここから「ダットサン(最初は「ダットソン」だったことは有名)」が生まれるわけです。

そして「ダットソン」の試作車を見て自動車に興味を持ち、ダット自動車製造のすべての株式を買い取ったのが戸畑鋳物株式会社の鮎川義介で、1931年に戸畑鋳物の大阪工場内に「戸畑鋳物自動車部」を作ってダットサンの製造を始めました。

そしてこの戸畑鋳物自動車部が1933年に独立して「自動車製造株式会社」となり、翌年5月の最初の株主総会で社名を鮎川義介が総帥を務める日本産業株式会社の自動車部を意味する「日産自動車株式会社」に変更して現在に至っています。

質問者からのお礼コメント

2025.1.8 20:56

ありがとうございます。

その他の回答 (1件)

  • 私は橋本松次郎が興した快進社だと考えています。この会社はダット号という自動車の製造販売が専業です。
    快進社はゴルハム号やリラー号を製造販売していた実用自動車製造と合併して「ダット自動車製造株式会社」になった。
    画像の広告を見ると本社は(元)快進社にあり、(元)実用自動車製造の方は支店(及び工場)になっています。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/快進社

    回答の画像
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