フォード のみんなの質問

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1993年のマクラーレンて8気筒なのになぜ10気筒のウィリアムズとそこそこ争えたのですか。
1994年のベネトンて8気筒なのになぜ10気筒のウィリアムズとそこそこ戦えたのですか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8気筒と10気筒では圧倒的に馬力の差があると思うのですが。
よく分からないのですが。
8気筒は軽量とか言いますが。
ですがF1て最低重量が決まっているからエンジンが軽いて意味がないと思うのですが。

と質問したら。
セナやシューマッハの実力。
という回答がありそうですが。

ドライバーの腕がどんなに良くても8気筒と10気筒では馬力の差が圧倒的に違うのでは。

それはそれとして。
たぶんフォードV型8気筒とルノーV型10気筒だと50馬力くらいの差があったと思うのですが。
例えば今のF1だったらルノーはホンダやフェラーリやメルセデスに対して30馬力ほど低い。
だから勝負にならない。
なのでルノーだけ特例で開発させてくれと言って却下とれましたが。
今のF1て30馬力の差でまったく勝負になっていいないのに。
なぜ昔は50馬力の差があっても勝負ができたのですか。

余談ですが。
10気筒と12気筒ではなぜ馬力の差がなかったのですか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

93年は結構雨が多かったような。
雨が降ったら、パワー差は関係なくなるのでは。

94年はベネトンとシューマッハが結構ズルしてたような。
ズルをしたら、パワー差は関係なくなるのでは。

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その他の回答 (2件)

  • フォードHBは8気筒だけど重量に関してはホンダのV12と変わらない重かった筈ですよ。
    私の記憶では、1993年は、MP4/8のセッティングがドライバーの疲労無視で、ダウンフォースを直線での加速優先で下げて、コーナーはサスペンションスプリングを固くして踏ん張らせると言う形にして対抗したと言われてましたね。
    結果、ドライバーへの負担が半端なく、セナもレース直後は一人で歩けなくなる位に疲労していたそうです。
    同僚のアンドレッティは、そのセッティングに馴染めなくて、シーズン途中でハッキネンにシートを譲ってます。
    ハッキネンはマシン開発のテストドライバーでしたが、3連レース中2レースでリタイヤすると言う状況でした。

    1994年は、1993年のシーズン途中にハイテク装置の大半禁止された影響で各チームともテスト不十分な状態で開幕を迎えたので、エンジンパワーのあるチームの方がハイテク装備に頼った設計で開発してたマシンをハイテク装備なしに合わせきれなくてシーズン序盤で事故が続出した年です。(この影響でセナが殺されたと言われたシーズンです。)
    結果的にエンジンパワーの劣るベネトンに有利に働きシーズン序盤は圧倒的な成績を収めましたが、時間と共に優位性は消えてシーズン中盤以降はズルすることで逃げ切ったと言われた年です。

  • 1993年、マクラーレンはV8エンジンながらウィリアムズとそこそこ争えてた。
    という認識がそもそも違うと思います!
    ウィリアムズは年間10勝を挙げて獲得ポイント168に対して、マクラーレンは5勝で84点、勝ち数もポイントも半分でしかなく序盤の雨絡みで2勝を拾ってなければもっと差がついていたはずです。

    1994年は逆にV8エンジンだからこその燃費の良さと給油を活かしたフレキシブルな戦略を取り、それにシューマッハが応える走りが出来た事が一つの要因と言えます。

    最低重量が決まっていてもマシンの中で一番重いのはエンジンであり、エンジンが軽く燃費が良いは大きな武器です!
    当時の最低重量は93年が500キロ、94年はオンボードカメラ非搭載のマシンを考慮して505キロ。
    当時はドライバーの体重は含まれていません。
    500キロのマシンの約2割くらいがエンジンの重さで、これが軽いと前後重量バランスが良くなり単純に動力性能が向上します。
    燃費が良ければ搭載燃料も少ないのでさらに重量バランスが良く、小さいエンジンに小さい燃料タンクは空力デザインにも恩恵があったと思われます。
    仮に同じ重量同じセッティングだったとして、リアが重いマシンと比較すればターンインでアンダーステアが出にくくクイックなレスポンスが得られるでしょう。
    それでも94年はドライバーの力量差がシーズンの戦績に大きく影響したと言えるかと。
    セナ亡き後のヒルがエースのウィリアムズよりは、ベネトン・シューマッハの組み合わせの方が自信に満ちた走りが出来ており、失格2回出走停止2戦が無ければ最後までチャンピオン争いがもつれる事も無かったと思われます。

    V12のフェラーリが劣勢だったのは91年から続くFIATの関与がチームを迷走させていた影響で開発が遅れ、失敗が許されないプレッシャーに委縮したチームを引っ張っていく船頭が不在だった事。
    特に92年のエンジンがまるでダメな物だった事から継続進化が難しかった事。
    93年からジャン・トッドが監督就任して少しずつチーム改革が進んでた過渡期だった事が挙げられるでしょう。
    94年にはドイツで久しぶりの勝利を挙げるなどこれからという時期でした。

    現代のF1はシミュレーションによって詳細まで解析出来る事からマシン自体には大きな差が無く、空力コンセプトとパワーユニットの差が戦績に大きく影響するからだと思います。

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