フォード のみんなの質問

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1961年から1965年ぐらいにかけて当時の通産省が自動車業界再編するのにあたり、ホンダが流れに逆らう形で4輪に進出した話をよく耳にしますが、当時トヨタグループと日産グループへの再編に東洋工業(マツダ)が入って

いないのですが、1979年にフォードが東洋工業に資本参加するまで、東洋工業はホンダのように流れに逆らっていたのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

※すみません。調べてみたところ色々と誤りがあったので大幅に編集しました。

元々の特振法案における政府構想は

量産車:トヨタ、日産、東洋工業
特殊車(高級車&スポーツカー):プリンス、いすゞ、日野。
小型車:三菱、富士重工、東洋工業、ダイハツ

の3グループに再編して保護する構想だったようです。

トヨタ・日産の2大メジャーに加え、東洋工業も量産車グループの一角を占めており、小型車グループにも加わっていることから、政府としてトヨタ・日産・東洋工業の3社を量産自動車ビッグ3として保護したかったということなんでしょうね。

特振法案の廃案後も、通産省としては自動車産業を集約する方針を捨てず、業界再編の動きは続いたわけですが、実際には自動車の種類別のグループ再編にはならず、小規模だったプリンス・富士重・ダイハツ・日野が他社の資本を受け入れていく形で進んでいきました。

で、トヨタはダイハツと日野を、日産はプリンスを(大型車は構想に先行してミンセイUDが合流済み)それぞれ合流させ、いすゞは業界3位争いを制すべく(?)富士重と提携を結んだものの上手く行かず短期間で関係を解消、最終的に日産が富士重に出資する形になったわけです。

で、通産省の思いとは裏腹に、業界3番手集団のいすゞ、三菱、東洋工業は勢力拡大のために次々と外資を受け入れ、そうこうしているうち最後に参入した民族資本のホンダが3番手争いを制していた、という。

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