シボレー のみんなの質問

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東京世田谷はEVが可成りの数走るようになりましたよね?昭和30年代頃も「電気自動車」があった事知ってますか?

祖父が子供の頃だから大きさがはっきりしないけど、大人4人乗り位で30~40k/hで走れたそうです。まだ道も良くなかったけどね。ハイヤーの会社などが使っていたんですか?ボンネット開けると、鉛電池がいっぱいに入っていて、数十キロ走ったらデッカイプラグで充電していたそうです。燃料不足とか、高いとかだからでしょうか?電気は石炭からの時代ですよね。国産ガソリン車があまりできなかったからか、輸入のアメ車も多かったんですか?当時祖父が覚えた車種?はシボレー、オースチン、スチュードベーカー、フォードらしいですが?車名聞いた事もありませんがご存知の方々いますか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

そもそも、世界的に見ると電気自動車は200年近く前に発明されていて、大正時代くらいまでは電気自動車が主流でしたよ。
1その後フォードがエンジンを大量生産できるようになってからはエンジンが主流になりました。
日本においても、戦前から電気自動車は有りましたし、支那事変によるガソリン統制で電気自動車の需要がありました。
戦後になって朝鮮戦争の影響で鉛バッテリーの入手が困難になったのと、ガソリン統制が解除されたので、ガソリン車が主流になったという具合です。
シボレー、フォードはアメリカのメーカーで、オースチンはイギリスのメーカーで今でも有りますよ。
スチュードベーカーは知らないです。

その他の回答 (2件)

  • うちの祖父は、ナッシュに乗っていたと、幼少時代に聞かされました。

    ナッシュの何に乗っていたのかまではわかりませんが、警察の専属ハイヤーだったそうです。
    聞いた話しなので、どこまで本当なのかもわかりませんが。

  • 私が子供の頃、都内で走っていたトロリーバスも駆動は電気モーターで、車庫に入る時だけパンタグラフのような物を下げて、エンジンで車庫入れしていたので、昭和30年代のハイブリッドだったと思います。
    良く家の付近で道が悪かったのか電気を取るパンタグラフが外れて、竹竿で運転手が直してましたよ。
    そして、近所のオジサンが軽自動車のEV?に乗ってました。
    メーカー等は覚えてませんが、やはりバスのバッテリー程の大きなバッテリーが幾つも積んでいて、充電に一晩掛かって乗るのは数十キロ程度だったので、オジサンはいつも怒っていた記憶が在ります。
    当時は技術も今のように無く、程度は高校生が夏休みの宿題で作ったくらいの物だったのでしょう。
    なので、昭和30年代末期までは東京都内で電気自動車やハイブリッド?バスも走っていたのですよ。
    昭和40年以降は、それらの車は見る事が無くなり、車の排ガスで甲州街道や環状六、七号線などの大通りはスモッグが多く、遊んで帰って来ると鼻の穴が真っ黒になる事が多く、光化学ガススモックで毎日のように町内放送が出てましたから、40年代以降の東京は、酷い空気でしたよ。
    それに、ゴミも酷かったのです、生ゴミもビニールゴミも一緒で、木で出来た犬小屋のようなゴミ箱にみんなバケツでゴミを捨ててましたからね、排ガスとゴミ臭で最悪の環境でしたから。

    昔を思い出せば、ある意味30年代までは今よりも東京はエコだったのでは?と思います。

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