ホンダ のみんなの質問

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1969年(昭和44年)。名車「ホンダN360」は軽自動車としては突出した高出力のエンジンを持ち、かつ廉価な事から国民的な人気車でしたよね?何故 空冷なのですか?

また燃費リッター28kmも凄いですよね。この後継車が1971年発売の「ライフ」でしたか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

ホンダN360に乗ってましたが、空冷なのは当時の社長本田宗一郎が空冷を押していたからです。その後のホンダ1300も空冷エンジンでした。
F1エンジンのRA302も空冷でした、全て社長の意向です。

燃費28キロは、N360に乗る連中は1万回転以上もギャンヤンブン回したりして、私の場合は19キロです。排気量も450ccにボアアップしてたし。
当時は馬力や最高速重視で燃費は気にしませんでした。

後継車が1971年発売の「ライフ」です。
N360は1万回転以上回せる高回転エンジンで音がうるさく、耐久性が無く、またエンジンに見合った足回りボディでもなく、不安定で、コーナーで横転する事故が度々ありました。前のエンジンに引っ張られて後ろのタイヤはタダ回っているだけの感がありました。コーナーでは内側が浮くし。
そういう反省からライフはエンジンを水冷化してエンジン音を押えて、また馬力も抑えて、より実用を重視した車になりました。

余談ですがN360はバイクのミッションをそのまま使っていたので、走行中バックギヤも入ります。私はシフトダウンしようとしたらバックギヤに入って、グーッと音がしてエンジン止まりました。クラッチが滑って助かったかも。その後、普通に走れました。

その他の回答 (7件)

  • 当時人気だったローバーミニを真似たデザインだったわけで
    それはスバル360がフォルクスワーゲンのビートルを真似たのと同じでそういう外国を目標にしていた良い意味で日本のそういう時代でした。

    他メーカーと違ってその当時からすでにグローバル企業だったホンダは
    ローバーミニを目標としていた。

    N360の加速性能はローバーミニ850ccと同じであり
    最高速度は同じローバーミニのトップグレードの1000ccと同じだった。

    これをローバーミニの半分以下の、たったの360ccで叩き出している。

    そして現在では当たり前の多色化。
    豊富なカラーバリエーションをラインナップしたのはホンダのN360が日本初でした。
    ちょうど今のN-oneのようにカラフルでおしゃれな車だったのです。
    そして速くてパワーがあるエンジン、
    これが当時販売トップだったスバル360より10万円くらい安い。

    これで売れないわけがない。
    あっという間にセールストップになってました。

    空冷なのは当時水冷は水漏れが必ず起きて走行不能になることがあり
    今のような当たり前のロードサービスが存在しない日本では
    携帯電話もないので
    公道での自動車の走行不能は、もはや山岳遭難に近い。

    だから空冷だったわけ。

    ライフが水冷になったのは
    北米展開を目論んでのことで
    水冷でないと
    例のマスキー法があって
    燃焼温度を安定化させて排ガス性能を満たすことができないから。

    いわばCVCCシビックの前に
    ライフを水冷化して実績を作ったわけです。

  • 当時馬力31馬力最高時速115km、軽で最高でした。
    専用のエンジンを開発する間がなくバイクのエンジンを積んでいました。
    当時バイクの450ccのシリンダーピストンを交換している人もいました。
    N-600もありアメリカに輸出したいました。
    昔、乗っていましたが燃費は11kmぐらいでしたね。
    後継車はライフで水冷です。

  • ああ 世界で初めて 走る棺桶と言われた車ですね・・・・・
    アメリカの安全基準を知らずに 輸出して 叱られた車です。この当時の
    ホンダは 安全な車を作らなければ販売してはいけないという発想すらなかった。

  • 比較の物差しを変える必要はあると思います。

    それまでの軽自動車が20PS台だったところに、N360は31PSでしたからインパクトはあったと思います。
    その後、他社もパワーアップを図ってきました。

    空冷の最大のメリットは軽いことです。
    すくなくとも冷却水は乗せなくてもいいので、その分は確実に軽くなります。

    逆に冬のヒーターはアウトでしたね。
    自分は北海道の出身ですけど、「暖かい」という感覚は無かったですね。
    「外よりは冷えない」という感じでした。


    悪口になるんですけど、当時の雑誌では「ミニクーパーのコピー」とも言われていました。
    当時の日本ではFFは非常に珍しかったですしね。

    ホンダは、元々バイクの会社でしたので、空冷エンジンは得意でしたけど、自動車全体をまとめるという経験は少なかったので、海外の車に倣ったと考えられます。
    他のメーカーにもたくさんありました。


    燃費は鵜呑みにしてはいけません。
    この当時の燃費は60km/hの定速走行での燃費で、ベンチの上で測定したものというのが当たり前でした。
    空気抵抗は含まれていなかったはずです。

    今の車で同じテストをしたら、40km/Lくらいは超えるんじゃないかな?


    当時は車も少なく、信号なども少なかったので、どの車でも実燃費は良かったと思います。

    ライフは、後継と言えますけど、排ガス対策のために水冷化したこと、軽自動車では久しぶりの4ドアというのが特徴でした。
    排ガス規制、暴走族対策(当時は暴走族とは言ってなかったはず)などで、エンジンのパワーは抑え気味にしていて、当初はツインキャブのバージョンもありませんでした。

  • 当時のオートバイは空冷が普通だったからでしょうね。空冷だとヒーターのききが悪かったですがその当時は車に乗れるだけで十分の時代だったのです。

  • 排気量360では、水冷よりも空冷の方が構造が簡単で、空冷で効果が得られました。ホンダは、空冷の二輪の会社から四輪へ進出したので、空冷のエンジンの技術もありました。
    この後発売されたシビックの印象が強いので、後継車は分かりません。

  • 本田宗一郎氏の考え方は、エンジンは軽い方が良いと言う、考え方が主流でしたが、排気ガス規制等で変わって来ていますね・・

    N360ccを搭載した軽トラでもツイン・キャブ仕様ですょ・・

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