テディ・メイヤーが舵を取ったオリジナルマクラーレン
ホンダ・エンジンを搭載してプロストやセナが活躍、80年代後半のF1ブームをけん引したこともあって、日本国内において、おそらくもっとも知名度の高いF1コンストラクターはマクラーレンだろう。ただし今回紹介するマクラーレンは、現在のそれ=マクラーレン・インターナショナルとはまったくの別組織。今回は、1963年にニュージーランド生まれのレーシングドライバー、ブルース・マクラーレンが興したレーシングチームが主体となり、66年からF1GP参戦を始めた“オリジナル”のマクラーレン・レーシングのマシンを紹介することにしよう。
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マールボロ・マクラーレンの第一歩となった傑作M23
1976 McLaren M23・Ford Cosworth DFV
前年までの主戦マシンであるマクラーレン「M19シリーズ」は、当時としてもコンサバティブないわゆる“葉巻型”をしたレーシングフォーミュラだったが、1973年に登場した後継マシン、「M23」ではボディデザインが一新されていた。ロータスが70年に登場させた「72」で先鞭を切った葉巻型から楔型への移行を追随する格好となったが、もちろん「72」をそのまま模倣したわけではなく、フロントブレーキはコンサバティブなアウトボードだったし、複雑なプログレッシブ式インボード・サスペンションも、基本設計は先代の「M19」から踏襲した実績あるものだった。
73年のシリーズ第3戦・南アフリカGPでデビューした「M23」は、エースのデニス・フルムがいきなりポールポジションを奪い、そのポテンシャルの高さをアピールすることになった。このシーズンは、以前に紹介したようにロータスとティレルがしのぎを削っていたが、マクラーレンは第3勢力として計3勝を挙げ、コンストラクター3位につけてシーズンを終えている。
そしてロータスから72年のワールドチャンピオン、エマーソン・フィティパルディが移籍してきた74年には4勝(フィティパルディが3勝、フルムが1勝)を挙げ、初のコンストラクターチャンピオンに輝くことになった。さらに76年にはイギリス期待のジェームス・ハントを起用。
2度目のコンストラクターチャンピオンは逃したものの、ハントを初のワールドチャンピオンへと導いている。走行シーンは76年に富士スピードウェイで開催されたF1世界選手権inジャパンでの一コマ(富士スピードウェイ・広報部提供)。同じ個体が今年のフェスティバルofスピードにも登場。ハントのタイトル40周年を祝っていた。
優等生過ぎた兄をなかなか超えることができなかったM26
1977 McLaren M26・Ford Cosworth DFV
3シーズンを戦い、さすがに(相対的な)ポテンシャル不足が隠せなくなった「M23」の後継マシンとして1976年シーズンに向けて開発されたマシンが「M26」。最大の特徴は、モノコックフレーム(のバスタブ)にサンドイッチ構造のアルミ・ハニカム材を使用していたこと。楔型のシルエットは「M23」から踏襲されていたが、フロントにラジエターをマウントし、サイドパネルを逆R形状とするなど、新たなアプローチも目立っていた。ただし熟成に手間がかかり、「M23」を超えるパフォーマンスをなかなか発揮できるようにはならず、76年シーズンにはテスト的に1戦参戦したのみ。翌77年もシーズン中盤までは「M23」が使用され、「M26」が主戦マシンとなったのはシーズン後半からだった。エースのハントがイギリスとアメリカ、日本と3勝を挙げたがリタイヤも多く、ランキング5位。コンストラクターでもトップのフェラーリに大きく引き離され、3位に留まっている。さらに翌78年にも主戦マシンとして参戦を続けたが未勝利。それどころか表彰台もフランスでハントが手に入れた3位入賞1回のみという体たらく。79年には後継の「M28」に主戦の座を明け渡すことになった。
現役時代のゼッケンは77年が#1=ハントと#2=ヨッヘン・マス、78年が#7=ハントと#8=パトリック・タンベイだったが、写真を撮影した2016年のフェスティバルofスピードでは、タイプネームに倣ったのか、見慣れない#26を纏っていた。
ウイングカーへの道程で苦労し短命に終わったM28
1979 McLaren M28・Ford Cosworth DFV
葉巻型から楔型へと移行してきたF1GPマシンの次なるトレンドは、やはりロータスのコリン・チャップマンがひねり出したアイディア=グランドエフェクト理論の導入、つまりはウイングカーへの移行だった。
マクラーレンも、「M23」以降のマシンを手掛けてきたゴードン・コパックが、1979年シーズンの主戦マシンとしてグランドエフェクト理論に則ったウイングカーを完成させている。ウイング形状のサイドポンツーンにより多くの空気を送り込むよう、ノーズを細身に仕立て上げた。
言い換えれば教科書どおりのデザインで、さらにモノコックにはハニカム材にノーメックスを使用したアルミ・ハニカム製のモノコックを採用するなど、いくつかの新機軸も盛り込まれていた。だが、肝心要であるグランドエフェクト理論の消化が今一歩だった。
そう思って見てみると、ボディデザインにもちぐはぐさが感じられる。いずれにしても熟成は進まず、79年シーズンの前半を戦ったのみで未勝利のまま、次期モデルの「M29」へバトンを渡すことになった。ドニントンのGPコレクションで撮影。
オリジナル・マクラーレンの集大成となったM29
1980 McLaren M29・Ford Cosworth DFV
「M28」では期待されたようなパフォーマンスを発揮できない、との判断から急遽開発計画が立ち上がり、1979年シーズン中盤にデビューを果たすことになったモデルが「M29」。この後、80年シーズンの終盤には「M29」をベースに、各部をアップデートした「M30」が登場したが、根本的な解決には程遠く、半シーズンを戦っただけでお蔵入り。81年シーズンの序盤も「M29」、より正確に言うならアップデートモデルの「M29F」が出走。シーズン後半に登場するブランニューマシンで、新生マクラーレン初の作品である「MP4」に繋ぐことになった。このためにタイプナンバーでは「M29」のあとにくる「M30」よりも、「M29」をオリジナル・マクラーレンの最後のモデルとするのが一般的。70年代をマクラーレンの就任設計技師として過ごしてきたゴードン・コパックが、マクラーレンで最後に手掛けたマシンでもある。
素人目には「M28」よりも随分洗練されたデザインに映るが、やはりウイングカーとしての資質に欠けていた、ということだろうか。「M28」と同様、2016年にドニントンのGPコレクションにおいて撮影。
(文:原田 了)
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