日産 ブルーバード のみんなの質問

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日野コンテッサ1300といえばイタリアのミケロッティがデザインしたことで有名な車ですが、どのような車だったのですか?

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4灯ヘッドライトと細いピラー、長いリアデッキを基本とするスタイルは、コンテッサ900スプリント同様、ジョバンニ・ミケロッティが手がけ、その優雅なスタイリングから、セダン、クーペとも、イタリアのコンクール・デレガンスで複数年に渡り4度の賞を受賞する成功作となった。デザインモチーフには、同時期のミケロッティ作品であるトライアンフ・2000とも共通する、グリルレス(ないしグリルの印象を弱めた)ノーズとデュアルヘッドライト、リアサイドの直線基調なプレスラインなどの組み合わせが観察でき、当時のミケロッティが抱いていたデザイン趣向を見て取れる。

エンジンはルノーの拡大版であった900(GP20型)から一転し、日野の自社設計による総排気量1,251cc、出力55psの「GR100型」が開発された。ロングストロークのOHVながら、直列4気筒、5ベアリングのクランクシャフト、ダブルロッカーアームによるクロスフロー弁配置のエンジンである。熱対策として、エンジンルーム内に露出する排気管を短くするため、エンジンブロックを傾斜配置とし、キャブレターとインテークマニホールドまわりには、パーコレーション防止とコールドスタートの容易さの双方に意を払った設計が行われている。

ちなみに排気量が中途半端な数字なのは、当初上層部から「(当時の)日産・ブルーバードと同排気量(1,200cc)で」という指示が出されたのに対し、現場サイドが「欧州の同クラスの車は1,300ccが主流」として反発、なかなか折り合いがつかず、最終的に「1,251ccなら1200台をちょっとはみ出しただけ」と現場が強弁する形で開発を進め、上層部もやむなくそれを追認したためだという。

ラジエーターの配置は4CVや900でのエンジン前方配置から、エンジンルーム後端へ変更となったが、このレイアウト変更で、リアエンジン乗用車の宿命であるエンジン動力による冷却空気導入方法を再検討する必要が生じた。

ミケロッティに当初日野側から渡されたデザインに関する要求仕様において、鈴木孝(のち日野自動車副社長)らエンジン担当はラジエーター冷却のために、前方に向け約1500平方センチメートルの冷却空気取入口を設けること、という条件を強引に付加した。技術陣はコンテッサ900スプリントのリアフェンダー前のそれのようなデザインを期待していたのだが、これに対しミケロッティの示した原デザインは、リアフェンダーに大きな突起物として口が付いている、という「ふてくされ」たようなデザインであった。

同じ頃、ルノー・8の情報がもたらされ、そちらでもエンジンルーム後端にラジエーターを配置していることが判明した。ルノー・8は側方からではなく、車体後端上部から吸気していた。以前ルノーからは、4CVおよびルノー・ドーフィンとコンテッサ・900の類似性に関するクレームやチェックの前例があった[注釈 3]ため、同一の構造は避けたかったものの、開発段階では車体後端上部も検討された。しかし、セダンのプロトタイプ (リアフェンダーから吸入) 完成後であり、また上部吸入は後方をさらに数センチ以上伸ばす必要、さらにミケロッティ側への追加支払や完成遅延のリスクなどの理由で立ち消えた。

前述のミケロッティの「ふてくされ」たデザインを、日野技術陣は抗議の念として受け止め、慶応大学の小茂鳥和生の研究室と共同の基礎的な調査実験から検討をおこなった。最終的には、垂直に切り立った後端のグリルから冷却風を吸気し、床下に抜いた空気やエンジン排気を再び吸い込まないような工夫を設け、冷却性能を満たすエンジンルームができあがった[4]。セダンモデルの公称最高速度は135km/hであった。

シャシも改良され、リアエンジン+スイングアクスル故の不安定さが残った900に比べ、リヤスプリングの強化で操縦安定性の大幅な改善を実現した。シフトレバーについては、900の遠距離リンケージによるコラムシフトを踏襲し、またフロアシフトモデルも用意された。ブレーキはスポーティ版であるクーペの前輪に、日本の国産車初となるフィスト型ディスクブレーキ(曙ブレーキ工業製)を採用。

当初は4ドアセダンのみの設定で、デラックスモデルのヘッドランプは4灯、スタンダードモデルはデラックスのライトベゼルを流用し、外側寄りのみとした2灯であったが、後にデラックス、スタンダード共に4灯となった。スタンダードの現存率は低い。

翌1965年には2ドア4人乗りのクーペが新たに設定された。クーペでは、エンジンの圧縮比を8.5から9.0に上げ、出力を65psに強化、最高速度145km/hを公称している。900スプリントのモチーフをも採り入れた、低く流れるようなスタイリングは、1960年代の日本製乗用車の中でも屈指の美しさと云われる。

1966年には1,500ccのエンジンが試作され、後々にコンテッサ1500として販売される予定だったが、トヨタとの提携で開発は中止となった。現在、この試作エンジンは「幻のコンテッサ1500用エンジン」として日野オートプラザに展示されている。

また同時期には、セダンの内外装を量産対策のため簡素化した試作車「1300マーク2」を、生産車をベースにバンパー位置変更や外装簡素化や内装・ダッシュボード形状の大幅変更を施し制作した。デラックス 3速、デラックス 4速 (2台) 、S (スポーツ) 、スタンダード、クーペの計6台が試作された。販売は未定であったが、1967年のGR100エンジンの1300ccのパワーアップ版 (10馬力程度) の後に予定されていた。

当時の日本製乗用車の中でも性能やスタイルは傑出しており、少量ながら欧州、オセアニア、東南アジアなどへも輸出された。しかし、このモデルの発売が開始された時期、1,000ccを超えるクラスの小型乗用車の主流はすでにフロントエンジンに移っており、国内販売も振るわなかったこともあって、日野がトヨタ自動車と提携した翌年の1967年には、提携の事前条件であったコンテッサ1300撤退に沿って生産終了となった。

このコンテッサ1300を最後に日野は乗用車の自主開発から撤退し、「ハイラックス」の設計・開発や、「パブリカバン」、「カリーナバン」など、トヨタ商用モデルの一部を受託生産することとなった。

質問者からのお礼コメント

2021.10.24 14:13

ありがとうございました。

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