今なお色褪せない日産のレーシングマシン5台
2016年8月10日、ツインリンクもてぎの南コースで、いまだに人気の高い、シルエットフォーミュラのスカイライン(R30)をはじめ、日産を代表する5台のレーシングカーの走行確認テストが実施された。
一般公開での貴重な走行テストということで、当日は平日にもかかわらず、2700人ものモータースポーツファンが集結。かつて、日本のレーシングシーンを語るうえで欠くことのできない、名車の走行シーン、エキゾーストノートに酔いしれた。
外気温37度を超える酷暑の中、わざわざもてぎに集まったファンを魅了した、5台の名車を紹介しよう。
(1)スカイライン2000GT(S54)
日産と合併する前に、プリンス自動車が第二回日本グランプリレース(1964年)を制するために開発した、掟破りの(2代目)スカイライン。
なぜ掟破りなのか? それはもともと1.5リッターの4気筒エンジンを搭載していたのに、レースに勝つには、もっとパワフルなエンジンを搭載するために急遽、グロリア用の2リッターのG7型エンジンを移植したからだ。そのエンジンを載せるために、急遽ボディのフロント部を200mm延長するという荒業に……。キャブレターも、非常に高価だったウェーバー製キャブを3連装。ライバル車を圧倒するパフォーマンスだったが、今年の5月に亡くなった、当時のトヨタのエースドライバー式場壮吉さんが市販車ベースではない、純レーシングカーのポルシェ904でエントリー。絶対的なパフォーマンスでは、勝負は目に見えていたが、決勝中、1周だけスカイラインがポルシェをリードしたことで、いわゆる「スカG」伝説、スカイライン神話が誕生した。
開発者は、スカイラインの父とも呼ばれた桜井眞一郎さん。
もてぎでも、非常に快調な走りを披露し、ドライブした星野一樹選手も、「すごくいい音をしていますね」と、高評価をしてテストは終了をした。
(2)R380
R380は、プリンス自動車が開発した日本初のプロトタイプレーシングカー。1966年の第3回日本グランプリで、ポルシェ・カレラ6との激闘の末に優勝を収める。ドライバーは、砂子塾長の父親、砂子義一さん。日本自動車研究所(谷田部)での、スピード記録にも挑戦している。
第3回日本グランプリ優勝直後にプリンスは日産との吸収合併が決まり、以後、日産R380(AII)として、第4回日本グランプリに出場(2位)。
このR380用に開発されたレーシングエンジンGR8型をデチューンして、市販化したのが、ハコスカGT-Rに搭載されたS20型エンジン。設計者、桜井眞一郎さん率いるS&Sエンジニアリングの手によって、1996年に復刻車が作られた。
動態テストを行った星野一樹選手は、「当時のドライバーがどのようにして乗り込んでいたのか知りたいです。とにかく、乗り込むのが大変で右のシューズを脱いでのドライブとなりました。クルマは調子良いですが、僕が大変です」とコメントをした。
ミスタースカイラインがドライブした名車
(3)スカイライン スーパーシルエット(スカイラインRSターボ KDR30)
1973年以降、レースシーンから姿を消していたスカイラインが、10年ぶりにサーキットにカムバックしたときのマシン。ハコスカ以来のレース復活予算を捻出するために、全国の日産ディーラー(当時の日産プリンス自販)がPDC(プリンスディーラーズクラブ)という名前でカンパを募り、そのPDCのステッカーを車体に貼って参戦。
ドライバーは、Mr.スカイライン=長谷見昌弘さん。82年に2勝、83年に4勝を挙げている。ライバルは、星野一義さんのシルビア、柳田春人さん(現 スーパーGTドライバーの柳田真孝選手の父)のブルーバード。
星野一樹選手も「一番思い入れのあるクルマ。父(星野一義)の黄色いシルビアと闘っていた車ですし、現在、僕がスーパーGTに参戦しているチーム(NDDP RACING)の監督、長谷見さんがドライブしていた車ですから」「ニスモフェスティバル等で、何度かドライブさせてもらった経験がありますが、今回のエンジンは、一番調子がよかったです」とコメントしていた。
(4)ニッサンR92CP
1992年のJSPC(全日本耐久選手権)で、6戦6勝でチャンピオンを獲得した最強のマシン(ドライバーズタイトルは、星野一義・鈴木利男組)。チーフエンジニア兼監督は、後に日産GT-R(R35)の開発を任される水野和敏さん。モンスターといわれたターボエンジン時代のCカーの中でも最強の一台。
V型8気筒、3496ccのツインターボで、予選時にはフルブーストで1000馬力級のパワーを発揮。2003年のコース改修前の富士スピードウェイ、1周4.470kmのコースで、ストレートエンドで400km/h、ラップタイムは1分12秒台を記録し、F1以上に速いと言われた(ダウンフォースは、なんと3.5トン)。
この日、ドライブを任された星野一樹選手も、「とにかく、エンジンパワーが桁違い。父親や長谷見監督は、当時このクルマを全開にして予選を戦っていたわけですから、本当に凄いドライバーですよ」とコメントしていた。
(5)NP35
レギュレーションの変更で、ターボが禁止になり、1993年からエンジンが3.5リッターNAに限定されることに合わせて開発された日産最後のグループCカー。
新開発のVRT35エンジンは、公称630馬力。車重は750kg(以上)。しかし、その1993年、日産はグループCレースから撤退……。NP35が、実践でそのパフォーマンスを証明する機会はなくなった。
そういう意味では、往年のR383に通じる部分もあるが、NP35の勇姿は、ニスモフェスティバルや、こうした走行確認テストなどのイベントで、目にすることができる。VRT35エンジンは、当時のF1と同じ、3.5リッターのNAだが、なんといってもV型12気筒エンジン。
このV型12気筒エンジンのサウンドを聞くだけでも価値がある。ちなみに、今回のこの公開テストは、11月19~20日に鈴鹿サーキットで行われるヒストリックイベント『SUZUKA Sound of ENGINE 2016』に向けての動作・走行確認を主目的としたもの。
『SUZUKA Sound of ENGINE 2016』に行けば、これら日産の5台のレジェンドカーだけでなく、F1、グループCをはじめ、二輪四輪を問わず、各社の名車の走る姿、そしてレーシングサウンドを堪能できる。
レーシングカーは、そばで見るだけでも興奮するが、それ以上に実際に走る姿を見て、エキゾーストノートを聞くことで、喜びも倍増。モータースポーツの歴史に興味がある人は、ぜひ『SUZUKA Sound of ENGINE 2016』に足を運んで、その魅力を体感してみよう。
(文:藤田竜太)
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