愛車の履歴書──Vol28. 井上順さん（後編）

愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第28回の後編。井上順さんがかつて愛用したメルセデス・ベンツ「Gクラス」などについて語る。

真っ赤なゲレンデ

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「あららら、こんなに立派になっちゃって！」

井上順さんがおどけたのは、最新のメルセデスAMG「G63」。そして、「すごく高級になったけれど、僕が乗っていた“ゲレンデ”の面影は残っていますよね」と、続けた。

「繰り返しになりますけれど、僕のクルマ選びは芝浦のヤナセにお任せで、最初は女性のセールス、次に男性のセールスに引き継がれました。ゲレンデを勧めてくれたのは最初の方で、赤いボディカラーも彼女の提案でした。いまでこそたくさん走っていますが、ゲレンデなんて全然走っていない頃で、めちゃくちゃ目立ったなぁ。だって、信じてくれないんですよ、これがメルセデスだって言っても『嘘でしょ、ジープじゃないの？』って（笑）。ほら、ここにスリーポインテッドスターが付いているでしょ、って言っても、信じてくれない」

ここで、メルセデス・ベンツGクラスの歴史を軽く振り返っておきたい。

第2次世界大戦でのアメリカのウィリス・オーバーランド社とフォード・モーター社が生産したジープの活躍に刺激を受け、戦後、イギリスではランドローバーが、ドイツではオフロードを意味するゲレンデヴァーゲンが開発された。NATO軍に正式採用されたゲレンデヴァーゲンの民生版がメルセデス・ベンツGクラスで、1981年より市販されている。日本への正式導入は1983年からだから、1980年代のゲレンデはまだ珍しかったのだ。

「そうですね、ゲレンデに乗っていたのは1980年代、『夜のヒットスタジオ』の司会だった時期と重なるかもしれません。僕のゲレンデはディーゼルエンジンで、初めて乗った時は驚きましたね。車高が高いからパッと視界が開けて、気持ちがよかった。タキシードを着て、真っ赤なゲレンデで出かけたりしたもんだから、珍しがられましたね。みんな、僕じゃなくてゲレンデを見ていましたけど（笑）」

井上さんが『夜のヒットスタジオ』の司会を務めたのは1976年から1985年までだから、おそらくこの時期にGクラスを所有していたのだろう。いまでこそセレブリティがSUVでパーティに乗りつけるのはあたりまえの光景になっているけれど、井上さんはその先駆けだったのだ。

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「僕、人生で一度だけ結婚したことがあるんですよ。それで当時、夫婦でいすゞ『ジェミニ』の広告に出演したんです。外で見られた時に、僕がジェミニに乗ってなかったら、“この人は口先だけの嘘つきだな”って思われるじゃないですか。だからジェミニを運転していましたね。あっ、でもメルセデスはガレージでジェミニの隣にあって、しょっちゅうエンジンを掛けていたから浮気じゃないのかな」

井上さんがお乗りになっていたいすゞ・ジェミニは、「ベレット」の後継として1974年から1987年まで生産された初代モデル。1985年にモデルチェンジを受けるが、2年にわたって初代ジェミニも併売された。

「ジェミニもいいクルマでしたよ。メルセデスとはスタイルが違うけれど、こういう世界もあるんだということを見せてくれて、ジェミニに乗っていた時期もうれしい時間でしたね」

メルセデスAMG G63に乗り込んで、液晶パネルやステアリングホイールのスポーク部分に備わるスイッチをチェックしながら、「やっぱり、すごい進化しているんですね」と、つぶやいた。

「僕は、超マニアックなクルマ好きにはならなかったんですよ。まわりにかまやつ（ひろし）さんとか堺（正章）さんみたいなクルマ好きがいるのに、不思議ですよね。きっと、子どもの頃からメンコとかベーゴマとか、外で遊ぶのが好きだったからかもしれません。家で本を読むのが好きな子どもだったら、クルマの雑誌を眺めてミニカーとかを集めていたかもしれない。でも免許を取って、世界が変わりました。歌の練習をしたり、セリフをぶつぶつつぶやいたり、これは動くリビングルームなんだなぁ、と、思いました」

そしてメルセデスAMG G63のエンジンを始動して、迫力ある排気音に感心してから自身のカーライフをこうまとめた。

「先輩方に、『頑丈で信頼できるメルセデスにしろ』と、言われ、ずっとメルセデスに乗ってきて、お世辞を言うわけじゃないけどよかったです。今日は最新のゲレンデでクルマの歴史と進化を味わわせてもらって、感謝したくなるような取材です。メルセデスとヤナセの方にもよろしくお伝えください。このゲレンデ頂戴、とは言わないですから（笑）」

取材を終え、井上さんが帰られたあと、スタッフのひとりが「ああいうふうに軽やかに年齢を重ねたいですね」と、感心したような口ぶりで言った。まったく、100%同感だった。

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文・サトータケシ　写真・安井宏充（Weekend.）　ヘア＆メイク・Ryo　スタイリング・間山雄紀（M0）　編集・稲垣邦康（GQ）　撮影協力・ヤナセ