創業社長は稀代のスタイリスト
text:Takuo Yoshida(吉田拓生)photo:Koichi Shinohara(篠原晃一)この記事をご覧になっている方にとって、ジャガーのスタイリング・イメージは2つに大別されるはずだ。
今回の主役である初代XJサルーンの低くてシャープなものか、2008年のXFで初めて示された現行のモダンなものか。
1968年に登場し、最後はディムラーの名前で1993年まで作り続けられた初代XJは、イギリス車らしい長寿モデルとして君臨した。
しかも初代XJの印象的なシルエットはそれ以降のジャガーのデザインに大きな影響を与え続けブランドの象徴となったのである。
ジャガーは創業当初より、スタイリッシュな自動車ブランドとしてあった。アメリカ豹を意味するジャガーという車名も、創業者の名前や地名にまつわるものではなく、響きの良い、敏捷性の高いクルマをイメージさせるものとして考え抜かれた結果だった。
ジャガーの創業者であるサー・ウィリアム・ライオンズに、経営者やエンジニアよりもスタイリストとしての才能があったことは明らかだ。
オースティンやウーズレーと言った大衆車のボディを瀟洒なものに載せ替えることで会社を立ち上げたライオンズは、1945年にジャガーという社名を発案している。
英国車が活況を呈した60年代の終わりに、初代XJサルーンの流麗なラインを描いて見せたのも彼自身だったのである。
ル・マン・ウィナーから受け継いだもの
デビュー当初、ジャガーXJ6と命名された新型サルーンの人気を支えたのは、ボディの前後が大きく絞られたスタイリッシュなシルエットだけではなかった。
その低いボンネットの下にはル・マン24時間を何度も制して見せたストレート6のツインカムが搭載されていたのである。
一方リア・サスペンションも、レーシング・モデル由来のものであり、直接的には2ドアのスポーツカーであるEタイプのものが流用される形になっていた。
I型のロワーアームとアッパーアームに見立てたハーフシャフトによってホイールを保持する方式はロータスのコーリン・チャップマンが開発したチャップマン・ストラットによく似ていた。
しかしそのIアームを2本のショックアブソーバーで支えるという贅沢な考え方はジャガー独自のものであり、このリアサスがスポーティでありながら懐の深いジャガー特有の乗り味、いわゆる「ネコ脚」を決定づけていたのである。
1996年にデビューした2ドア・クーペであるXK8や、一時同胞となったアストン マーティンのDB7にもこのリアサスが採用されていたことでも、優秀性が証明されている。
V12で人気を博した最終期
初代のジャガーXJサルーンは押しもおされぬ名車として認識されており、70年代初頭にはシリーズ2、そして70年代の終わりにはシリーズ3へと進化している。
だが自動車にとっての70年代はオイルショックの勃発や厳しさを増した北米の排ガス規制など受難の時でもあった。
つまりXJサルーンは結果的に25年もの長きに渡って作り続けられてしまったという側面もあったのである。
そんなシリーズ1~3までの初代XJの中で、製品的な評価が最も高かったのはシリーズ3だった。黒い樹脂パーツを組み合わせたバンパーにより新たな装いとなったシリーズ3は、80年代後半にはクラシックの雰囲気も漂いはじめ、その人気に拍車がかかった。
またXJサルーンにはストレート6の他にV12エンジンを搭載したXJ12と呼ばれるモデルも存在し、ジャガー・ブランドの格を押し上げている。
V12を搭載したXJサルーンは、さらなる高級版としてベルギーのコーチビルダー(車体架装業者)の名前を冠したXJ12ヴァンデン・プラを追加。
その後はジャガーが名称を保有していた英国王室御用達ブランドであるディムラーの名で、1986年に次世代のXJサルーンがデビューして以降も継続して作り続けられたのだった。
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