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アラン・プロストが回顧する、アイルトン・セナとの”関係”が変わった瞬間「私に対して、完全に別人になった」

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アラン・プロストが回顧する、アイルトン・セナとの”関係”が変わった瞬間「私に対して、完全に別人になった」

 4度のF1チャンピオン経験者であるアラン・プロストは、数年前に行なわれたインタビューで、現役時代に最大のライバルであったアイルトン・セナとの関係が大きく変わった日のことについて語っていた。

「私は、一部の人たちと同じように祝うつもりはないよ」

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 プロストはセナの命日についてそう語った。

「私は彼に関する質問に答えることができるよ。問題ない。確かに彼は並外れた男だった。でも私は、他の人たちと同じようには考えていないんだ」

 プロストとセナは、現役時代にコース上で凌ぎを削り、度々タイトルを争うことになった。

 1988年、ふたりはマクラーレンでチームメイトとなり、MP4/4という史上最強マシンを駆って、タイトルを争った。そしてポルトガルGPである事件が起きた。セナは、プロストをピットウォールに追いやろうとしたのだ。

 その時のことについてプロストは、次のように語る。

「私は、彼に怯えていたことが時々あったと、認めることができる。彼は、どんなことでもする準備ができていた」

 同年には、メディアも巻き込んでふたりの争いがヒートアップ。しかし結局はセナが自身初のワールドチャンピオンに輝いた。

 ふたりの確執が表面化したのはその翌年のこと。1989年のサンマリノGPでフェラーリのゲルハルト・ベルガーが大クラッシュし、レースが再スタートを切られた後、セナは事前の協定を無視して、トサコーナーでプロストをオーバーテイクしたのだ。

 プロストは、レース再開前に、トサコーナーでオーバーテイクをしないということで、セナとの間に合意が形成されていると思っていた。しかしセナはここでオーバーテイク。セナはこれについて、コーナー進入前にオーバーテイクの動きを完了させていたため、問題ないと考えていたのだ。

 ただプロストはこれに激怒。その後ふたりの関係は悪化の一途を辿った。同年日本GPでは、シケインでふたりがクラッシュ。プロストはそこでレースを終えた一方、セナは走行を続けてトップチェッカーを受けた。

 しかしながらレース後、セナはシケイン不通過と判定されて失格処分に。この結果、同年のタイトルはプロストの元へと転がり込んだ。ただプロストは、セナ中心のチームから離脱することを決断し、翌年からフェラーリに加入することになった。

 その1990年の鈴鹿でも、ふたりは接触。2台揃ってリタイアとなったが、今度はセナがタイトルを決めることになった。

 セナは1989年の結果について、FIAがプロストに有利になるよう操作したと信じていた。

「このリザルトは、我々の政治の結果だ」

 セナはそう主張していたはずだ。

 一方でプロストは、セナの理論のみならず、セナが正気であるかどうかについても疑問を呈していた。

 その後もふたりの関係は冷え切ったまま続いていたが、1993年限りでプロストが現役を退くと、関係は一気に改善することとなった。

■プロストとセナが友人になった日

 長年敵同士だったふたりは、友人同士となった。それまでセナは、プロストの名前を呼ぶことすら嫌い、握手をしたり、直接話すことも避けた。そこから考えれば、信じられないようなことだった。

「私は彼についての嫌な瞬間、嫌な思い出を、頭の中に残さないようにしているんだ」

 そうプロストは言う。

「私は、(セナの人生の)最後の6ヵ月間のことを覚えている。その間に私は、アイルトンのことをこれまで以上によく知ることになった」

「彼は全くの別人のようだった。彼が何者で、そしてなぜ彼が時々(信じられないような)行動をするのか、それを理解したんだ」

「(ライバルだった頃の)彼の様子を、褒め言葉として振り返るんだ」

「アイルトンの主なモチベーション、そしてほぼ唯一とも言えるモチベーションは、私に集中すること、そして私を倒すことにあったということを理解するようになった」

「だからこそ、1993年にオーストラリアで一緒に表彰台に上がった時、私が現役最後のレースを終えた時、そのほんの数秒後にはすでに別人のようになっていたんだ」

 この1993年オーストラリアGPは、セナが優勝し、プロストが2位に入った。その表彰台でセナは、プロストを優勝の段に引き上げたのだ。

「そのことは、今日の僕らが持ち歩いている、我々の関係についての記念品なんだ」

 プロストは、引退後にセナと何度か話をしたという。その時の会話は、マシンやサーキットの安全性を高める必要があるという内容が多かったという。

「我々は、安全性の悪さなどについて話していたから、とても奇妙なことだった」

 そうプロストは言う。

「彼は私に、GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエイション/F1ドライバーたちが団結する団体)のリーダーになるよう何度も頼んできたが、私はこれを断ったんだ。その頃、我々はプライベートでよく話し合いをした。とても不思議なことだった」

「そういう記念を、彼の最後の時まで大事にしていた。イモラのレースの直前にも、2~3回会ったんだ。もちろん、彼は私に対しては、すでに別人だった。だからこそ、私はそれについてひとりで考えたいんだ」

■セナ、最後の週末

 1994年のサンマリノGPでは、セナの事故が起きる前にも、ルーベンス・バリチェロが重傷を負ったり、ローランド・ラッツェンバーガーが亡くなったりと、重大な事故が続発していた。そのためセナとプロストは、何度も話し合いをしたという。

 このレースにプロストは、フランスのテレビ局の解説者として訪れていた。そのため最初は、セナがTVコンパウンド(テレビ局の臨時放送用機材や施設が集められたエリア)を訪れ、2度目はプロストがウイリアムズのガレージを訪れたという。

 そしてプラクティスで走っているセナが、プロストに無線で話しかけるシーンもあった。

「親愛なる友人アランに、特別なメッセージを送る。僕らはみんな、君がいなくて寂しいよ」

 そうセナが無線で語ったのは有名なところだ。

 この週末のことについて、プロストは次のように振り返る。

「アイルトンは、土曜日に私に電話してきた。それでその日に彼と会ったんだ。そして日曜日には、彼と二度会った。主な内容は、彼が安全性や当時の状況に満足していなかったということだった。ベネトンは、合法ではないことをしていると考えていたんだ」

「彼はそのことにとても集中していたが、それはとても奇妙なことだった……奇妙だったんだ」

 なお当時ウイリアムズのチームマネージャーを務めていたイアン・ハリソンは、前戦パシフィックGPでリタイアした直後のセナに付き添っていた。その時のセナの様子についてハリソンは次のように語っており、プロストの発言と一致する。

「彼(セナ)はベネトンが何か不正を働いていることを確信していた」

 後にベネトンは1994年シーズン中に、前年限りで使用が禁止されたトラクションコントロールを使用していた可能性があるとして、FIAから調査を受けた。その結果、ベネトンが使っていたソフトウェアにはローンチコントロールシステムが隠されていたことが発覚した。ただチームは、テスト以外にはアクセスできないものだと主張。結局チームがレースウィーク中にそのようなシステムを使用したことは立証されず、無罪放免となっている。

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みんなのコメント

1件
  • biv********
    セナの葬式で棺を持ってるの見て、めっちゃいい人だと思った。
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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