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ニューモデル 2019.10.24

新型ヤリス 車両型式に「P」? パブリカ/ヨタハチ/スターレットから続く歴史

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ヤリス 全てを一新しても変わらないもの

text:Kumiko Kato(加藤久美子)

    【画像】「P」の系譜を受け継ぐトヨタ車 全235枚

実質4代目トヨタ・ヴィッツとなる新型ヤリスが2020年2月に発売される。

海外では初代ヴィッツからヤリスの車名を使っていたが、国内では現行3代目までヴィッツとして販売。4代目からは全世界統一で「トヨタ・ヤリス」となる。

車名が統一されても、実は中身は色々で、北米版ヤリスはマツダ2(デミオ)だったり、中国をはじめ東南アジアの一部では日/欧/米とは全く異なる一回り大きな専用ボディを採用していたりする。

新型ヤリスはTNGAによる新設計で新開発のエンジン含めすべてが新しくなった。車名の全世界統一や、全販売店での扱いとするなど、革新的な変更も注目を集めている。

しかし、すべてが新しい新型ヤリスにも、ずっと変わらないものがある。それは、ヴィッツ時代、前継モデルのスターレット、さらに前継のトヨタ・パブリカからずっと引き継がれている「車両型式」を表すアルファベットが「P」であることだ。

新型ヤリスの車両型式にも「P」が用いられることが、AUTOCARの独自取材により明らかになった。

ハチロクやスープラのように長いブランクがあったわけでもないから当然と言えば当然かもしれないが、基本設計もエンジンもすべてを新しくしたことで、「P」を名乗らないかも? と思っていたので、ホッとしたのである。

ちなみに、初代セリカXX(A40/A50)、2代目セリカXX(A60)、初代スープラ(A70)、2代目スープラ(A80)にもずっと使われてきた「A」はGRスープラでは用いられなかった。(ちなみに米国ではセリカXXの名称は使用されず、初代スープラがA40/A50となる)

わかりやすさを意識してか、GRスープラを「90スープラ」「A90」と呼ぶ向きもあるが、こちらは愛称のようなもので正式な車両型式はDB型だ。

型式のアルファベット「P」は何を意味している?

ヴィッツの前継モデルは、トヨタ・スターレットである。そして、そのスターレットの前継モデルは……1961年に発売されたトヨタ・パブリカとなる。新型ヤリスにつながる歴代の車両型式を紹介してみよう。

パブリカ初代パブリカ(1961年6月30日発売)→UP10
2代目パブリカ(1969年4月1日発売)→KP30/UP30

パブリカ・スターレット

初代パブリカ・スターレット(1973年4月11日)→KP45/KP47

スターレット

2代目スターレット(1978年2月3日)→KP61
3代目スターレット(1984年10月1日)→EP71
4代目スターレット(1989年12月19日)→EP82/NP80
5代目スターレット(1996年1月6日)→EP91

ヴィッツ

初代ヴィッツ(1999年1月13日)→SCP10
2代目ヴィッツ(2005年2月1日)→SCP90/NCP95/NCP91/KSP90
3代目ヴィッツ(2010年12月22日)→NSP130/NSP135/KSP130/NCP131

トヨタコンパクトカーの系譜である「P」とは、パブリカの「P」から新型ヤリスまで、58年にわたってずっと継承されていることがおわかりいただけただろうか?

ヴィッツの前継モデル、スターレットとは?

初代スターレットはパブリカシリーズの上級版として開発された2ドア(後に4ドアを追加)の若者向け新規車種で「パブリカ・スターレット」として登場した。

パブリカの名前はついているが、販売はパブリカ(セダン)を扱うパブリカ店(現カローラ店)ではなくオート店(現ネッツ店)が担当した。

1978年には名車KP61スターレットが登場し、ここから実用的なハッチバックスタイルとなったが、FRを踏襲したことで、非常に楽しいボーイズレーサーとして当時の走り屋系の若者たちに絶大な人気を得ていた。

中古車価格も安くアフターマーケットパーツが豊富だったことで80~90年代に至るまでレースやラリーで盛んに使用された。

1981年、国内初のシリーズ戦形式で行われるワンメイクレースもスターレットが始まりである。

同じ1981年にはTeamACPがKP61でパリ=ダカールラリーに参戦、時間外ながらも完走を果たしている。

FFとなった3代目EP71はAE86レビン・トレノの弟分として、免許を取った若者が最初に買う「エントリーカー」として、これまた当時の若者たちに絶大な人気を誇った。

「かっとびスターレット」(NA)、「韋駄天」(空冷インタークーラー付きターボ)などのキャッチコピーそのままに、とにかく速いクルマだったのだ。

実は筆者が免許を取って最初に買ったクルマもこのEP71だった。ほんとはターボが欲しかったのだが、父親から「スピードが出過ぎて危ないからダメ」と言われ、NAモデルのスポーツグレード「Si」にしたのである。

リアウインドウに「KUMIKO」なるステッカーを貼り(恥)、後ろから見ると夜はKENWOODの文字が緑色に光るスピーカーに乗せ換えて、夜な夜な峠ドライブで走り回っていたことを思い出す。

日本コンパクトカーの歴史を作ったパブリカ

さらにさかのぼると、車両型式「P」の始まり「トヨタ・パブリカ」にたどり着く。

1955年に当時の通産省から発表された国民車構想に触発されて1961年に誕生した小型大衆乗用車で、日本のコンパクトカーのあるべき形を導いてきたクルマだ。(国民車構想の要件はとくに価格面において非常に厳しかったため、あくまでも触発されて、という説明になっている)

トヨタ・パブリカとはどんなクルマだったのか。

まずはその車名。発売前に車名の公募が行われたのだが、その賞金がケタ違いの「100万円」。パブリカの価格が35万円~、給与所得者の平均年収が30万円だったことを考えると破格の賞金額だった。

トヨタ自動車75年史によると、「パブリカとはPUBLICとCARの合成語で、『国民から愛されるクルマ』の意味。名称を一般から募集し、110万通近い応募の中から決めた」とある。

パブリカを提案した人が複数人いたため、抽選で1人を選んだとのことだ。

初代パブリカは空冷700ccエンジンを搭載し、大人4人が余裕を持って長距離移動を楽しめる広いキャビンと軽快な走りが特徴。38.9万円という低価格(と言っても当時のサラリーマンの平均年収を上回る)でまずまずの人気車となった。

注目すべきは1969年発売の2代目パブリカで、発表時のプレスリリースによると「個性化時代に即して9種類のパーソナルパックを用意し、自分だけのクルマを創り出す楽しみも味わえる」との記述がある。

50年前すでに、「個性化時代」に即したクルマを提案していたとは!

また、同時に新しい試みとして、「若々しく行動的な新型パブリカ」を象徴してボディサイドやステアリングなど、随所に「かもしか」のシンボルマークを採用している。

「20代後半の行動的で脚が長く、若々しい世代の青年」のイメージで決めたとのことだ。

そしてパブリカのコンポーネンツを多く採用して設計された、往年の名車、日本国内の自動車レースで多くの輝かしい実績を残してきた「トヨタスポーツ800」(ヨタハチ)もまた、車体型式は「UP15」と、ここにも「P」が刻まれている。

「P」は日本のコンパクトカーの歴史と言ってもいいくらい重要な意味を持っているのだ。

60年近く継承されてきた圧倒的な信頼性と世界戦略車として「コンパクトカーのあるべき姿」を常に模索し、提案してきた車両型式「P」のクルマたち。

2020年に発売される最新のP車=新型ヤリスはどのような歴史を作っていくのだろうか?

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(AUTOCAR JAPAN AUTOCAR JAPAN)

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