もくじ
ー 幻のF40LM ベースはプロトタイプ
ー C/N:74045のヒストリー
ー F40としての最高落札額を記録
幻のF40LM ベースはプロトタイプ
フェラーリF40は開発時に社内称呼で「LM」と呼ばれるほどル・マンを意識したモデルだった。しかし1987年に誕生した時にはル・マン24時間レースには参加できるクラスがなく、レースにデビューしたのは1989年のIMSAシリーズであった。
しかしグループCクラスの参加が減り実質的に消滅したことから、ル・マン24時間レースは1993年からGTカークラスを復活。新たな動きがメーカーやチームの間で始まる。さらに1994年からBPRグローバルGTシリーズが始まり、イタリア・スーパーカー選手権を闘っていたエネア・ストランデル・チームがミケロットでロードカーを規定に合わせてレース用に改造したF40GTで参戦を始める。
これとは別にフランスでも新たな動きが始まっていた。パイロット・アルデックス・チームが、ミケロットで仕立てられたF40でBPRグローバルGTシリーズへの挑戦をスタートする。
今回パリ・オークションに出品されたのはパイロット・アルデックス・チームから参戦していたシャシーナンバー74045を持つF40LMで、実はこのF40は8台が作られた量産プロトタイプの1台だったのである。各種テストが終わった後はF40を契約したオーナーがマラネッロでのシート合わせを行う際に、フィオラノで展示・試乗用にも使われた。
C/N:74045のヒストリー
C/N:74045はその後もフェラーリ社が所有していたが、1992年にスイスに住む元レーシング・ドライバーであるルネ・エルツォーグが購入し、ミケロットにLMスペックへの改造を依頼し、完成後にスイスのチャールズ・ツークに売却される。1995年になるとBPRを主宰するステファン・ラテルが購入し、ヨーロッパGT選手権で走らせていた。
その後BPRグローバルGTシリーズに参加を予定していたフランスのミシェル・フェルテ率いるパイロット・アルデックス・チームがC/N:74045を購入する。フレンチ・レーシング・ブルーに塗られたF40LMはすぐにBPRシリーズに参加を開始し、第8戦のアンデルストープ4時間では初優勝を遂げる。第9戦となる鈴鹿1000kmにも参加しているので、日本のファンもその姿を目にしているはずだ。
一方ル・マン24時間レースへの挑戦も開始し予選では7位に食い込む健闘を見せ、決勝ではプライベーターながら総合12位で完走を遂げる。
1996年シーズンはGTEスペックにアップグレードされるとともに、前年はフレンチブルー1色だったカラーリングには細かなストライプが追加される。このシーズンは強敵マクラーレンF1 GTRを相手に第3戦ハラマ4時間で5位、第4戦シルバーストン4時間では8位、ニュルブルクリンク4時間は6位、第10戦ノガロ4時間で3位に入る活躍を見せた。
この年もル・マンに挑んだが、93周目にリタイヤを喫し結果は残せなかった。
F40としての最高落札額を記録
1997年からBPRグローバルGTシリーズは FIA GT選手権に発展的解消となり、マシンもGT1規定のマシンで競われることから、F40LMは1996年をもってサーキットから姿を消すことになる。
現役を引退したC/N:74045はコレクターが譲り受け、その後数人を経て2008年に現オーナーが手に入れた。現在はワイド・リアウイングを備える1996年の姿とカラーリングを保ち、昨年各部の手直しが行われ、オリジナルのギアボックスとスペアホイールが付属する。
オークションではF40ファミリーの中で国際レースで結果を残した数少ないマシンであることと、素晴らしいレーシング・ヒストリーを持つことから入札がヒートし、最終的にF40の新記録となる484.25万ユーロ/6億532万円で決着がついた。
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