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ニューモデル 2019.1.4

「カルト」なクルマ入門 定番から将来の候補まで 26台

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カルトカーの世界へようこそ

普通のドライバーはダウンフォースや伝統、出力やオフロード性能など気にはしない。多くのひとびとにとって、自動車選びとは冷蔵庫選びと変わらないのだ。

    最高のエンジンを持つクルマたち 前編

だが、周囲を見渡してみればお分かりのとおり、自動車が単なる移動手段から、情熱や、時には文化的アイコンへと昇華することもある。

同じクルマのオーナー同士で手を振りあったり、挨拶代わりにパッシングしたり、時には立ち止まって話をすることもあれば、トラブルの際には助け合ったりもする。

今回はすでに世界中でカルト的な人気を誇るモデルに併せ、今後数年のうちにはそうしたモデルの仲間入りが期待されるクルマたちをご紹介しよう。

モデル名と併記しているのはそれぞれの製造開始年だ。

フォルクスワーゲン・ビートル(1938年)

それぞれの地域で愛されたことで、フォルクスワーゲン・ビートルは世界でもっとも収集価値のある1台となった。


ドイツでは、多くの予想に反して、戦後消滅の危機から復活した自動車メーカーを象徴するモデルであり、米国では1960年代と70年代を通じ、高まる小さくスマートな輸入モデルへの人気を代表し、メキシコでタクシーといえばこのクルマだった。

ビートルはいまでも注目の的であり、生まれたばかりの赤ん坊でさえ、このクルマを見かけると思わず笑顔で指さしてしまう。

シトロエン 2CV(1948年)

ミニやビートル同様、シトロエン2CVもポップカルチャーになくてはならない存在だ。コレクターはこのクルマを4つのタイヤを持つ女神と崇めつつ、単なる自動車ではないのだと主張している。


大抵、2CVのオーナーはクルマいじりを楽しんでおり、フランスで開催されるイベントを訪ねてみても、1台として同じ2CVを見つけることなどできないだろう。

さらに、ボディも考え得るすべての色で塗られ(すべての色で塗られたような1台もある)、車高を上げたり、下げたり、トラクシオン・アヴァンのフロントマスクに換装されたり、ホットロッド風のモディファイを受けたりしている。GSの4気筒エンジンを積んだモデルまで見つけることができた。

フォルクスワーゲン・バス(1949年)

フォルクスワーゲン・バスは商用バンとして登場しているが、1960年代のヒッピームーブメントが、このクルマを瞬く間にカルトカーの地位に押し上げている。


ビートル同様、バスも収集価値のある1台であり、保存状態の良好な初期のスプリットウインドウモデルであれば、6ケタのプライスタグを掲げることもある。

このクルマが当初多くのドライバーにとっての初めての1台として考案されたことを考えると、なんという状況だろう。

トヨタ・ランドクルーザー(1951年)

1960年代にデビューした40シリーズのトヨタ・ランドクルーザーは、真に収集価値のある4×4モデルの最初の1台であり、2006年、このクルマを彷彿とさせるFJクルーザーが登場したことで、その人気は急速に高まった。

価格の上昇にともない、コレクターたちの注目はより新しい50と60シリーズへと移ってきている。


オーストラリアでは、ランドクルーザーは違ったかたちで人気を集めている。

トヨタは1984年デビューの70シリーズの販売を継続しており、このクルマは決して安くもなければ、最新技術を搭載しているわけでもないが、どこにでも行ける信頼性の高いモデルとして、アウトバック中を探検しつつも、無傷での生還を望む冒険好きからの人気を集め続けている。

シボレー・コルベット(1953年)

当初、シボレー・コルベットがスーパースターになるとは誰も予想しなかった。


1953年のデビュー当時、このクルマは高価なプライスタグを掲げるわりに、不安定なファイバーグラス製ボディのアンダーパワーなコンバーチブルでしかなかったが、シボレーはすぐに魅力を引き上げるべく、V8エンジンの追加(1958年にはフューエルインジェクションも選択可能となった)や、ハイリフトカムといったパフォーマンスアップにつながるオプションの設定を行っている。

1963年には、まっとうなスポーツカーとして、スティングレーとしても知られる2代目コルベットが登場している。その後はご存知のとおりだ。

シボレー・インパラ(1958年)

1960年代、シボレー・インパラは米国市場におけるベストセラーの1台だった。


魅力的なスーパースポーツパッケージを装着したバージョンは人気のクラシックモデルであり、エンジンやボディスタイルにかかわらず、すべてのインパラがカリフォルニア生まれのローライダーと呼ばれる改造シーンには不可欠なモデルとなっている。

オースチン・ミニ(1959年)

4人が乗れるポケットサイズの経済的なモデルとして生まれたミニだが、英国ポップカルチャーには不可欠な存在へと成長し、1960年代の社会階級を超越しているが、これは自動車世界では稀な出来事だった。

日中は安価な移動手段のミニが、夜にはファッションアイコンへと変化していたのだ。


ビートル同様、ミニもスクリーンを賑わすとともに、クーパー仕様は欧州と米国のサーキットで大いなる称賛を集めている。

現在では、バトン・ルージュからベルファスト、北京にいたる各地で貴重なコレクターズアイテムとして珍重されている。

ポルシェ911(1963年)

ポルシェ911のボディラインは、自動車世界におけるもっともタイムレスなデザインのひとつであり、これまでの54年間で進化を続けながらも、常にその変化は穏やかなものだった。


そのなかでももっとも議論を呼んだのが、L字型のヘッドライトと水冷エンジンを積んで1997年にデビューした写真の996シリーズであり、このモデルは依然として911ファミリーの異端児であり続けているが、一方で、熱心なファンとコレクターからの称賛も集めている。

トラバント601(1963年)

ベルリンの壁崩壊後、旧東ドイツのひとびとの目の前に突如フォルクスワーゲン・ゴルフやポロが現れたことで、トラバントは屋根裏に仕舞い込まれることになった。

一方、旧西ドイツのひとびとは過去の遺物とでもいうべき熱硬化性樹脂ボディの2ドアモデルにまったく興味を示すことはなく、その結果、トラバントの価値は暴落している。


現在、ベルリンっ子たちは旧東ドイツの国民車だったトラバントのイメージをうまく活用しているようだ。

ツーリスト向けにトラバントを貸し出すレンタカー会社が複数存在するとともに、なんとトラバントだけを集めた博物館では、その2ストローク2気筒エンジンを使ったビールサーバーまで目にすることができる。

フォード・マスタング(1964年)

1964年4月にマスタングを発表しようとしたとき、フォードにはこれから起こることが分かっていなかった。

初年度の販売目標台数10万台に対して、発売初日で2万2000台を受注し、目標の10万台にはわずか3カ月で到達している。


販売台数のピークは1966年の60万7000台であり、1970年代のうちにマスタングは自動車界のセレブリティとも言える存在になるとともに、クラシックモデルとしての名声も手にしている。

シボレー・カマロ(1967年)

フォード・マスタングの爆発的人気を受け、シボレーもすぐにそのライバルモデルを登場させている。


カマロは発売初年度に22万台を売り上げているが、それでもマスタングには及ばなかった。

1970年代後半、米国の排ガス規制がカマロを苦しめることとなったが、カマロの名は残り、2010年に登場した新型モデルの影響もあって、クラシックマッスルカーのブームにもうまく乗っている。

ボルボ 200シリーズ(1974年)

ボルボ200シリーズに対する評価は各国でまったく異なっており、母国スウェーデンでは、もちろんノスタルジアと深く結びついている。


イタリアやスペインといった欧州南部の国々では、しばしばありきたりなセダンというよりも、粘土ではなくレゴブロックを使ってデザインされたクルマとして知られている。

米国西海岸での200は無限の魅力を持つモデルとして、シアトルからポートランドにかけては日常的に目にすることができる存在であり、普段はほとんどクルマに注意を払わないひとびとも、自身のオールド・ボルボを維持するためにはどんな苦労も惜しまない。

メルセデス・ベンツ W123(1976年)

それほど遠くない昔、多くのドライバーがメルセデス・ベンツW123を、ダルな加速が特徴の頑丈で安価なモデルに過ぎないと考えていた。


現在のEクラスの祖先であるこのモデルは、最近ようやく入手が容易で毎日運転することのできるクラッシックモデルとしての地位を手に入れている。後継モデルであるW124も間もなく追いつくだろう。

ランドローバー 90/110/ディフェンダー(1983年)

ディフェンダーは、1948年登場のどこにでも行けるランドローバー・シリーズIの最終進化形であり、自然の脅威にも容易に立ち向かうことのできる、基本に立ち返ったとでもいうべきこのモデルは、多くのドライバーを惹きつけている。


歳月を重ねるにつれ、ディフェンダーは英国自動車産業と、過去の栄光を象徴するモデルとなっていった。

単にクルマが必要だったからという理由で、ディフェンダーを選ぶ人間などいないだろう。

BMW M3 E30(1985年)

2代目3シリーズでのツーリングカーレース出場を計画したBMWによって、E30をベースにした初代M3は生み出され、ホモロゲーション取得のためとして、最低5000台が販売されることになった。

公道仕様のE30型M3は、203psを発揮する2.3ℓ4気筒エンジンを拡大したボディに積み、車高を下げたモデルとして登場している。


ホモロゲーション取得用モデルなどほとんど売れないはずが、M3を求めるドライバーに対して当初計画の5000台ではまったく足りず、6年間で最終的には1万7000台以上が生産されることになった。

この究極のドライビングマシンの自称仲買人たちは大いに喜んだに違いない。

ジープ・ラングラー(1986年)

誰かにジープの絵を描いて欲しいと頼めば、それはラングラーそっくりになるだろう。ウィリスの現代版とも言えるこのモデルは、レトロ風味に陥ることなく、その伝統をうまく体現していた。


ラングラーは、スクーター界におけるベスパのような存在であり、幸いなことに、最近デビューした4代目でも、ジープはその精神を引き継ぐことに成功している。

マツダ MX-5 ミアータ(日本名:ロードスター)(1989年)

MG Bやフィアット・スパイダーといった英国とイタリアを代表するクラシックロードスターの現代版として、MX-5は登場している。当時、マツダはこのオープン2シーターのコンセプトを「人馬一体」と表現していた。

マツダでは、このクルマのヒットの理由として信頼性の高さを上げている。「オイル漏れの心配など不要で、いつでもエンジンをスタートさせることができ、オーバーヒートすることもない。小さなロードスターに信頼性を与えたというのは、革命的な進化だった」と彼らは話している。


だが、残念ながら初期モデルは、まるでフィアットのように錆には弱い。

2014年、ギネス(ブックだ。ビールではない)はミアータを史上もっとも売れた2シータースポールモデルに認定している。
価格は上昇傾向にあり、マツダでは最近日本でメーカー純正のレストアサービスを開始している。

スバル WRX(日本名:インプレッサWRX)(1992年)

ノーマルの状態でさえ、スバルWRXはそのサウンドが先に聞こえてくるようなクルマだ。


その特徴的な水平対向4気筒が奏でるエグゾーストこそが、スバルのラリー直系マシンの象徴であり、生まれながらに、エンスージァスト受けのするモデルではあるが、そのオーナー像はキレイに二分されている。

つまり、モディファイ派とスタンダード派の2派である。

アウディRS2 アバント(1994年)

ポルシェの助けを借りて、アウディは初のRSモデルとなるRS2 アバントを生み出している。


どこにでもあるような80 アバントをベースに、2社はそのフロントに2.2ℓ5気筒を押し込むとともに、巨大なターボチャージャーを追加しており、このエンジンが発揮する314psは6速マニュアルトランスミッションと、アウディご自慢のクワトロ4輪駆動システムを介して、すべてのタイヤへと伝えられていた。

現在、四輪駆動はありふれた存在だが、1990年代中盤、少なくともライバルたちのなかでRS2は非常に珍しいモデルだった。
クワトロシステムによって、このアウディ製ホットロッドワゴンは、雪山でも毎日乗ることのできるハイパフォーマンスカーの希少な1台となっていた。

ホールデン・ユート(2000年)

ホールデン・ユートの一族は、すべて1951年のクーペ・ユーティリティにまでその歴史を遡ることができるが、ユートの名が正式なものとなったのは、2000年にコマンドール VXがデビューした後だった。

オーストラリア生産の過激なピックアップには、作業用トラックとスポーツカーの2面性が備わっており、それぞれが異なる生き方を持っていた。


作業用トラックであれば時に手荒に扱われることもあるが、ホールデンとHSVが創り出したこのパフォーマンスモデルは、エンスージァストによって大切に扱われていた。

584psに出力を高めたモデルまで存在したこのクルマは、オーストラリアが生んだ独特のパフォーマンスモデルを象徴していた。

ルノー・アヴァンタイム(2001年)

1999年にコンセプトモデルとして登場したとき、控えめに言っても、ルノー・アヴァンタイムは嘲笑の対象だった。


少なくともルノーに対しては、誰も発したことのない問いへの回答であり、当時新たに適用されることになっていたデザイン言語の先駆けとなるモデルだったのだ。

3年間で8557台が生産されたアヴァンタイムは、壮大な失敗作だとされているが、反面、その多くがすでにコレクターの下にあり、オーナーのなかには、欧州で増えているアヴァンタイム・クラブのメンバーもいる。

BMW X6(2007年)

批評家はBMW X6を単なる金持ちのためのクルマだと盛んに批判している。そのデザインは議論の的となり、否定派はSUVにもクーペにも劣るモデルだとして蔑んだ。


しかし、このセクシーな4ドアクーペをもっとも声高に批判するひとびとでさえ、X6が新たな市場を創ったという事実を否定することはできない。

歴史が証明しているように、クラシックカーの世界とは新たなモデルが切り開いてきたのであり、フルオリジナルでワンオーナーの2009年製X6 Mは、2057年のレトロモービルで大人気になるだろう。

スコダ・イエティ(2009年)

最近モデルチェンジされたスコダ・イエティはバンとSUVのクロスオーバーであり、その一風変わったデザインと、奇抜なキャラクターを愛好する熱狂的なファンを作ることに成功した。


信じられないかも知れないが、英国にも活動的なイエティのオーナーズクラブが存在しているのだ。

今年初めにデビューした後継モデルのカロックは、非常に実用的でよくまとまったファミリーカーではあるものの、イエティに比べれば個性が足りない。

BMW 1シリーズ M(2011年)

販売直後にほとんど売り切れ状態となったBMW 1シリーズ Mモデルは、まさにクラシックモデルと呼ぶに相応しい存在だ。


BMWは当初世界限定2700台の予定を、最終的には6309台にまで増やしているが、それでもこのクルマに対する需要は、その生産台数を大幅に上回っていた。

中古車両が時に新車時以上の価格で売りに出されている。

ダッジ・チャレンジャー・ヘルキャット(2014年)

ダッジ・チャレンジャーのライバルはシボレー・カマロとフォード・マスタングだが、この2台が運転好きのためのモデルである一方、チャレンジャーは依然として、1960年代のアメリカン・マッスルカーの香りを色濃く残している。


まるでダウンサイジング全盛の自動車界に挑戦するかのような717psのヘルキャットをデビューさせた時、ダッジではこのイメージをうまく活用している。

ヘルキャットと最近発表されたデーモンは、40年後のオークションでクラシックモデルとして高く評価されることになるだろう。

アルピーヌA110(2017年)

アルピーヌのファンは静かだが我慢強い。かれらは律義にも、フランスにあるディエップの工場から最後のモデルが送り出されてから20年も、その情熱を燃やし続けていたのだ。


ルノーはアルピーヌ復活を宣言することでファンに報い、近年で最高のドライバーズカーを直ぐに送り出している。

初代A110は非常に希少な存在であり、21世紀に生まれた新型も同じ道を辿ろうとしているようだ。

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(AUTOCAR JAPAN 編集部)

TOKYO AUTOSALON 2019

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みんなのコメント

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  • kan*****|2019/01/04 11:04

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    AUTOCARの雑誌関係者には申し訳ないけれど、日本の軽自動車たちを忘れていませんか?と言いたい。
    スバル360を筆頭にダイハツミゼット、スズキフロンテクーペからホンダビートに至るまで、日本のモータリゼーション黎明期から現在まで日本の暮らしを支え続ける軽自動車こそ、世界で一番カルトな存在でしょう。
  • gx7*****|2019/01/04 23:41

    違反報告

    当時あまり売れなかっけど、妙に人気が出てきたりコアな人気のある車=カルトカーと解釈していた当方にはしっくりこない内容だった

    タイプIIや2CVは国民車だし、ベルエアビスケインシリーズはファミリーカー、マスタングは当時2ドアデザインき車としては異例に大ヒットした車
    オーストラリアでのセダンピック人気も必然だし、ランクルの海外人気も然り

    ミニの日本での人気はカルト的だったと思う。

    究極のカルトカーと言えば、
    スズキ マイティボーイ!!

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