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ニューモデル 2018.7.1

英国史上最高のドライバー、スターリング・モスの軌跡たどる マセラティとともに

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もくじ

ー 英雄スターリング・モス
ー グランツーリスモMCで北部へ
ー 4WDでのF1優勝の地 オウルトン・パーク
ー 速くはないが、長距離向きのマセラティ
ー シルバーストンへ
ー カッスル・クーム モスがクラッシュした地
ー 最終目的地 グッドウッド
ー 英国最高のドライバー

    MINI、公道を走るレースカー“GP”のコンセプトカーをNYショーで披露

英雄スターリング・モス

サー・スターリング・クローフォード・モスは若い頃、「ボーイ・ワンダー」として知られた。そのうちに、「ミスター・モーターレーシング」として知られることになる。統計学が証明できるものなんてないことを証明したければ、彼が1度もF1チャンピオンを獲れなかったことを持ちだせばじゅうぶんだ。

それでも、1958年にはもうすこしで王座につくところだった。マイク・ホーソーンの1勝に対し、モスは4勝もあげたのだ。ホーソーンは同年のポルトガルGPでコースの逆方向にマシンを押したとして一度は失格とされ、タイトルのチャンスを失ったかと思われた。

ところが、モスはライバルの異議申し立てについて、「ホーソーンがマシンを押していたのはコース外だった」と証言したのだ。モスはホーソーンに7ポイントをプレゼントしたことになり、唯一の年間タイトル獲得のチャンスを逃した。

そのように数えきれないほどの功績を超えたところに、わたしが友人とよべるようになるはるか前から、モスがわたしの英雄でありつづける所以があるのだ。

なぜ今さら? と思われるかもしれない。かんたんなことだ。長い闘病生活をへて88歳となったこのたび、モスは表舞台から身をひいた。彼が人生でもっとも輝いた時期をすごしたイギリスの各所をおとずれるのには良い頃合あいだと思ったわけだ。

足としては、やはり彼がレースを戦ったブランドのクルマにしたかった。すなわち、BMW、メルセデス、アウディ、ポルシェ、ジャガー、アストン マーティン、マセラティ、フェラーリ、リスター、ロータス、MG、そしてクーパーも入れていいならミニもだ。

グランツーリスモMCで北部へ

この中から選んだのはマセラティだった。プライベーターとして操った250Fで好結果をあげたのをきっかけに、メルセデスチームの興味をひいて一躍スターダムにのしあがることになるのだ。

その中でもわたしのチョイスはグランツーリスモMC。現代のマセラティを代表するスポーツ性と、1600kmをこえる長旅にも対応できる巡航性能を兼ね備えたすばらしい1台だ。

まあ、デビューの時点ですらクラストップの出来ではなかった上に、まる10年をすぎて古さも目立ってきたのはたしかだ。でもかつてのイタリア車ほど腹が立つわけではない。シートは快適だし、ドライビングポジションもちゃんと決まる。アップルのカープレイ対応だから、ナビゲーションやマルチメディア機能にも不足はない。

エンジン始動にキーをまわすのは古風なかんじだが、わたしは好きだ。思っていたよりもお供としてずっと好ましかったと思いつつ、北部のエイントリーをめざした。

エイントリーがイギリスGPの本拠地だったことを覚えている方もおられるかもしれないが、ここで出会ったひとのだれもそんなことは気にもとめなかった。かつてのコースは、有名なグランドナショナルがおこなわれる競馬場に取りこまれ、部分的にのこっている。だが競馬から10日もたつのに、ちょっとクルマをとめて写真を撮りたいというわれわれの申し出は、怪しい者でもみるかのような感じで、けんもほろろに断られた。

だがここは、モスが1955年のグランプリでメルセデス・ベンツW196を駆って、チームメイトのファン・マヌエル・ファンジオを鼻の差で制して初優勝を飾った由緒あるところなのだ。

4WDでのF1優勝の地 オウルトン・パーク

この偉大なアルゼンチン人ドライバーがモスに地元のレースで花をもたせようとしたのかどうか―ファンジオはずっと否定していたが―、モス本人はいまも知らない。そして、1950年のF1スタート以来はじめてイギリス人ドライバーが優勝した、その瞬間をとどめる記念碑的なものがあるかを確かめたかったのだ。結局、われわれはここをそそくさと後にせざるをえなかった。

しかしながら、重い足どりで56kmほど南へ戻ってたどり着いたオウルトン・パークの受付はまるで違った。あらかじめ知らせてもいなかったのだが、われわれの目的をわかってくれて、場所の提供だけでなく案内までしてくれたのだ。

ニュルブルクリンクやモナコといった世界に名だたるサーキットで何度も栄誉に輝いたというのに、なぜこのチェシャー州のコースにきたのかと思われるかもしれないが、ほかの誰もが今まで成しえていないこと、すなわち4WD車でのF1優勝をモスがやってのけたのがここオウルトン・パークなのだ。

ファーガソン-クライマックスP99は、本質的にはレースカーの形をとった4WD試験車だった。いまも昔も新しいもの好きなモスはこの趣向に魅了され、P99に合わせたドライビングスタイルをあみ出そうと熱心だった。

1961年オウルトン・パークでのインターナショナル・ゴールド・カップは、選手権の一部には数えられないかもしれないが、ジム・クラーク、ジョン・サーティース、ジャック・ブラバムといったそうそうたる面々がならび、いささかもF1に劣るものではなかった。勝つ価値のあるレースだったのだ。

速くはないが、長距離向きのマセラティ

運が味方した面もあった。運転席の前にエンジンをかかえ重量面でも不利なP99は、すでにミドシップが常識となった1961年をむかえる頃には競争力を失ってもおかしくはなかった。しかし、持ち味の驚異的なトラクションにモスの魔法のドライビングがくわわり、そしてコースがすこし濡れてでもいれば、世界の名だたるドライバー勢とて敵ではなかった。

ブラバム、マクラーレン、ブルックスに43秒もの差をつけ、残りの完走車をすべて周回遅れにするぶっちぎりで勝ったのだ。P99はF1で優勝した最初で最後の4WD車だっただけでなく、最後に勝ったフロントエンジン車でもあった。いままでステアリングを握ったF1マシンの中でも、モスがいちばんまた乗りたいのがこれだという。

名残惜しいが、また南へ発たなければいけない。このマセラティ、たとえばはるかに安く手に入るポルシェ911 GTSとならべても、比べる対象にもならない。どこをとってもポルシェの勝ちだ。速く楽しく機敏で、クルマとの対話も成りたつし、操作性もよく、気やすく日常に使える……などなど、探せばいくらでもある。

おまけに4.7ℓのV8をもってしても、現代の水準では「速い」とはいえない。あるていどの区間を自制の範囲でできるだけ飛ばしてみたのだが、恥ずかしいことに撮影担当のスタン・パピオールが乗るホンダ・シビック・タイプRの姿はずっとバックミラーに大写しのままだったのだ。引き離す気にもなれなかった。

それでも、わたしのこのマセラティへの惚れこみようにはあらためて気づかされた。静かで快適で、長距離もおどろくほど難なくこなせるし、かつてのイタリアンGTのようにどこかが体にあわなくてイライラするようなところがないのだ。おまけにこの美しいスタイルにエンジンサウンドとくれば、すべて許せてしまうに違いない。あきらかな弱点はあるけれども、この手のクルマならではの魅力がにじみ出している。

シルバーストンへ

こうしてシルバーストンのパドックに着くころには、愛情のような気もちさえ芽生えてきた。

ここへ来たのは、モスの代表的なレースの舞台だったからではなく、たぐいまれな多才さをご紹介するためだ。いまでは、F1レーサーがル・マンにも出るとなればトップニュースになるが、あのころはモスを筆頭に、みんな何にでも出たのだ。

モスがどんなレースでも勝てることを知らしめたのが、ここシルバーストンだ。1952年と53年、巨大なジャガー・マークVIIを操っての快挙だった。ジャガーはウェストミンスター寺院の中でも走っているかのようにコーナーでは倒れそうなほどロールするので、モスは助手席ドアに左足を突っぱって体をささえた。

それでも2年連続で勝利をおさめたどころか、1954年もスターターの噛みこみさえなければハットトリック達成も夢ではなかったのだ。モスは何度もクルマから飛びおりては噛みこみをはずそうとボディをゆすり、また飛びのって始動を試みた。それでも結局3位に入賞したのだ。

同時代のジャガーのレーシングカー、C-あるいはD-タイプといったのほうが好みだっただろうが、モスはマークVIIがお気に入りだと語っている。

カッスル・クーム モスがクラッシュした地

1晩をすごしたのち、グランツーリスモはカッスル・クームのパドックに滑りこんだ。ここで、モスのまた違った面、頑健さについてご紹介しよう。

1962年グッドウッドでの恐ろしい事故についてはご存じだろうし、80歳でエレベーターホールに落ちてケガをしてからまたもレースに復帰したことも覚えておいでだろう。また、1960年のスパ・フランコルシャンでは225km/hで衝突し鼻・背骨・両脚を骨折したことも思いだされるかもしれない。

しかし、もっと以前の1953年に、彼のキャリアはここカッスル・クームで終わっていたかもしれないのだ。彼はこのとき、「フォーミュラ・リブレ」というカテゴリーにエントリーした。名前から想像がつくように、ほぼ何でもありのカテゴリーだ。

モスは1ℓのV型2気筒JAPエンジンに載せかえたクーパーF3マシンに乗り、パワーで優る他車をあいてに序盤でリードをうばった。しかしあの悪名高いクアリー・コーナーで、より大型のコンノートのマシンが後部に接触してクーパーはひっくり返り、クルマから投げだされる前にコルクのヘルメットを被っただけのモスは頭部を地面にたたきつけられたというのだ。

モスはマシンから飛び降りると安全なところまで全力で駆け、そこでくずおれた。肩などにケガを負い、3カ月も戦列を離れることになった。オウルトンと同じく、カッスル・クームのひとびとは手厚く歓迎してくれた。レーサー生命をおびやかしかねない事故の現場に立ち、われわれも身の締まる思いだった。

最終目的地 グッドウッド

最後の目的地はほかでもない、モスとは切っても切れない場所、グッドウッドだ。ここでのはじめてのレース―彼自身の3戦目にすぎない―が、彼のスタイルを決定づけた。くじ引きできまったかなり後方からのスタートで、しかもたった3周のレースにもかかわらず、500ccのクーパーに乗るモスは半周以上の差をつけて勝ったのだ。

ご承知のように、ここでは最後となる1962年にセント・メアリーズのバンクでの大事故で瀕死の重傷をおった。1カ月間の昏睡に陥り、半年間は半身の麻痺がのこった。だが、ある意味それが命を守ってくれたと彼はわたしに漏らしたことがある。

レースの危険性が高まっていく時代のことだ。もしこの事故がなかったとしても、選手生命として思いえがいた1970年代中盤までモスが生きのびられる可能性は、非常に低かったかもしれない。

モスはこのサセックス州の比類ないサーキットで何度も勝ちをものにしたが、いちばんの名レースを選ぶとなると難しい。クルマのラジオでレースの解説を聴いて、フェラーリ250SWBを天真爛漫に操った1961年のRACツーリスト・トロフィーにしようかとも思ったが、やっぱり1959年のほうにしたい(彼は1958年から61年まで4連勝している)。

アストン マーティンDBR1に乗るモスは独走態勢にあったが(なんの不思議もない。もしモスがグッドウッドで速く信頼性のあるマシンに乗ったら、ほかのレーサーは2位をめざすしかない)、ピットで給油中にマシンが火を噴いた。ピットも火につつまれ、モスのレースはここで終わったかと思われた。

英国最高のドライバー

モスのレースはここで終わったかと思われた。

だが、なんとチームは同じレースに参戦するほかのチームのピットを奪い取り、そのとき4位にいたそのチームの同じアストンにモスを乗せ、ベストを尽くせと送りだしたのだ。

遅れを取り返すどころか、モスは2位に30秒以上の差をつけて優勝した。その瞬間、5人の歴代F1チャンピオンとフェラーリやポルシェの完全ワークスチームを相手どる不利をはねのけ、だれもが一度はあきらめた世界スポーツカー選手権タイトルはアストン マーティンの手にもたらされたのだ。

グッドウッドからウェールズへの帰りは長い道のりだったが、道が空いていれば、グランツーリスモに乗って思いにふける時間はイヤなものではない。

わたしにとって、モスはイギリスの生んだ最高のドライバーだ。ただたくさん勝ったからではない。勝ち方が最高だったのだ。第一線のドライバーは口を揃えて、みんな同じだというものだが、モスの時代はかならず「スターリングをのぞいて」というひと言を付けくわえたものだ。

この上なく強靱でありながら徹底的に公正だったモスは、危険をおしてレースを競ったのではない。結果が1位だろうが10位だろうが同じように全力でたたかい、またひとを守るためならタイトルをあきらめることすら辞さないような人間だった。だからこそ、あらゆる種目や時代のスポーツ人のなかでもごく限られる、真に「ヒーロー」と呼ばれるに値する人間なのだ。

スターリング卿、あなたには心ゆくまで悠々自適の生活を愉しんでいただきたい。だれよりもそれがふさわしいのが、あなたです。

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(AUTOCAR JAPAN 編集部)

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みんなのコメント

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  • rak*****|2018/07/01 22:28

    違反報告

    例えば、『生沢徹』とか『黒澤元治』とか『北野元』とか・・・・・

    この辺りのビッグネームですら知らない日本人が多いと思われる中、
    スターリング・モスが分かる人なんて、若い人には皆無ではないか?
    (まあ、わかるのはだいたい60歳前後の方じゃないかな?
    ’68年の『フロンテSS』のCMをなんとなく思い出すとか・・・・・)
    それとも、マクラーレンSLRの限定車のこともあり、皆知っているのかな?

    さて、しばしば『無冠の帝王』と称されるモスだが、氏の言葉に以下がある。

    「男には下手だと認めたくないことが2つある。それは運転とセックスだ。」
    (There are two things no man will admit he cant do well;
    drive and make love.)

    いやいや、なかなか男の心情を鋭く突いた名言だと思いますが、いかが?

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