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ニューモデル 2017.12.16

AUTOCARが選ぶ、ダメだけど愛してしまう18台のクルマたち 前編

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アルファ・ロメオ166(1998年)


この企画、やろうと思えばアルファ・ロメオだけで埋めることもできる。例外なく不備を抱えながら、しばしば走りに優れ、マゾヒスティックな悦びをオーナーに与えるのがアルファだ、と言ってもいい。166もまた、そんなクルマだ。

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ライバルたちには決して歯が立たず、結果として販売規模は小さいが、コレがたまらん! というひとも、特にAUTOCAR派であれば少なくないだろう。


デロリアンDMC-12(1981年)


ポテンシャルの低さという点で、デロリアンほどガッカリさせてくれるクルマにもそうそうお目にかかれない。V6ミドシップ、ステンレスボディ、未来的なガルウイング・ドア。どうやっても間違えようのなさそうな要素が揃っているのに、たったひとつの欠陥のせいですべてが台無しになった。

製造クオリティが絶望的に低いのだ。ドアは正確に開閉することを拒み、ハンドリングはあからさまに精彩を欠き、パフォーマンスは平凡そのものだ。事業そのものもたった1年で終わった。人気の源はひとえに、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで主役級の活躍をしたことにある。ともかく、クルマとしての実力以上の支持を集め続けるモデルだ。

フォード・エコスポーツ(2013年)


近年のフォードには珍しい失敗作。昨今、ブルーオーバルの商品は軒並み購買意欲をそそるもので、どれも万能性を備えたクルマばかりだが、これだけが異端児だった。しかし、なかなか茶目っ気のあるルックスで、特に内装方面に力を入れて改良された最新モデルは、ようやくあるべき姿を手に入れたといえそうな仕上がりになった。

フォード・エスコート(Mk5 1990年)


1993年にモンデオが登場するまで、フォード車はどれも、クルマ自体の魅力より競争力のある価格で売れていたといえる。1990年に登場した5代目エスコートは、運動性能のひどさや洗練性の欠如、古臭いスタイリング、貧相な装備内容などをメディアに酷評された。

それでもユーザーは、安価さによってこのクルマを支持したのだ。その後、素晴らしいゼテック16vツインカムが追加され、ダッシュボードが刷新されると、グッと興味が湧くクルマになり、1991年に登場したRS2000仕様でそれはさらに高まった。

いすゞピアッツァ(1981年)


ジウジアーロのコンセプトカー、アッソ・デ・フィオーリ(クラブのエース)として1979年に登場し、81年に市販化されたピアッツァは、その4年後に英国でも販売を開始。しかし、70年代のオペル・カデット由来のシャシーも、ベッドフォードのバンから拝借したエンジンも、いずれも時代遅れのメカニズムで、しかも高価。低調なセールスは当然の結果だった。

1987年のフェイスリフトで、ロータスがチューンしたサスペンションを得たが、それも延命策たりえなかったのである。今やレア車だが、改めて見るとそのキッチュさがなかなか魅力的に思えてくる。

ジャガーEタイプS3(1971年)


1961年に登場した原初のEタイプは、目を見張るボディラインと強力なパフォーマンス、卓越した走りを併せ持つ、まさしく自動車史に残る名作。それだけに、71年にV12を積むシリーズ3が登場した際には、ジャガーがこのクルマで失敗するはずなどない、と誰もが思ったものだ。

ところがそれは鈍重なクルマで、あの魅惑的なデリカシーがどこかへ消え失せていた。ただし、これがアメリカ市場にはドンピシャでハマり、人気を博したのだ。そして現在、これをスポーツカーではなくGTカーなのだと考えてみれば、われわれも歓迎したい気持ちになる。

キア・プライド(1991年)


フォード・フェスティバと聞いて、青春を思い出す世代もおいでだろう。開発と生産を手掛けたマツダでは、121と銘打ったコンパクトカーだ。製造は韓国のキアでも行われ、自社ブランドではプライドの車名で販売。1991年にマツダ版が2代目へ移行した後も、初代プライドはそのまま継続した。登場した時点ですでに時代遅れのクルマだったが、売れ行きはキアが足場を固めるに十分なほど好調だった。

現時点で2017年の販売台数が、マツダの約130万台に対し、キアは230万台に達していることを考えると、初代プライドの功績の大きさを実感させられる。クルマそのものとしては、見返すとボディサイドのプレスラインが新鮮に思える。

ラーダ・サマラ(1984年)


はっきり言って、価格が安い以外にとりえのないクルマだ。絶望的なガラクタ、と呼んでもいい。特徴のないスタイリング、光るところのない走り、あきれ返るほどのひどい造り。洗練性? そんなもの、かけらもない。

欠点を数え上げればキリがないが、排ガス規制に引っかかって販売終了になるまで英国で売り続けられた程度には、購入者がいたようだ。ベーシックカーにあるべき装備がとりあえず揃っていれば、とにかく安く買いたいというひとも少なくないのだろう。

メルセデス・ベンツML(1997年)


初代Mクラスは、メルセデスの製造クオリティがどん底にあった時期に登場した。結果として、予想される問題点をすべて予想通りに備えたクルマとなった。

塗装は剥がれ、パネルは落ち、電装系も機械系も故障は当たり前。それでも、Mクラスのセールスは衰えなかった。スリーポインテッド・スターの威光もあるが、見慣れるほどに、そして改良されるごとに、スタイリングがユーザーに受け入れられていったともいえる。

また、これはアメリカで生産された初のメルセデスでもある。良くも悪くも、歴史に名を遺すクルマだ。

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(AUTOCAR JAPAN 編集部)

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みんなのコメント

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  • kat*****|2017/12/18 02:39

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    またまた、無理矢理の捻出記事ですな。
    ピアッツァは、外見はハッとさせられるんだけど、中身が古びたジェミニってのが、失敗だったかもしれない。
    白いのはマヨネーズとか言われていたが。
  • fxh*****|2017/12/18 10:10

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    そんな何から何までダメダメなラーダ・サマラを開発したのはあのポルシェだった。スポーツカー専門を謳うポルシェだがエンジニアリング部門はそのかぎりではないわけで、三菱の二代目ミラージュもポルシェデザインのステアリングホイールを装着したグレードを用意していた。また、パリダカにサマラで参戦した時のラーダのワークスチームは、ポルシェワークスが看板を掛け替えたものだった。なおイギリスで販売されていたラーダ・サマラは旧ソ連(現在のウクライナ)製ではなく、フィンランドの提携工場で組み立てられた「高品質版」ではあった。

    フォードはイギリスにおいて日本で言うトヨタのようなメーカーで、エスコートはカローラに相当する車。そう思って見ると、この記事のフォードに関する記述にはある種の忖度を感じざるを得ない。うちの最初の車もフェスティバだった…。
  • pap*****|2017/12/20 18:00

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    ダメだけど愛してしまう=あばたもえくぼって奴には可愛げがある。面白味がある。でもここに挙げられた車達にはそれが全くない!!唯一、ピアッツァだけはジウジアーロデザインでハンドリングバイロータスってちょっとくすぐられポイントがあるので好きな奴は好きなんだろうな~と納得はできるが。

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