2009年シーズンにデビューした新チーム、ブラウンGP。同チームは、前年限りで撤退したホンダの設備とマシンを使い、体制を引き継いでエントリーを果たした。しかし、メルセデスとのエンジン供給契約が結ばれるのも遅れに遅れ、テストにも終盤になってようやく参加することができた。
ただ、テストに参加すると、その当初から彼らのマシンBGP001は圧倒的な速さを見せた。燃料搭載量が少ないのでは? スポンサー獲得のために、バラストを降ろしてのパフォーマンスランなのではないか? 最初は懐疑的な見方も多かった。しかしながら、シーズンが開幕してもその速さは変わらず、序盤戦は連戦連勝となった。
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ただシーズン後半のBGP001は、必ずしも最速のマシンではなく、トップグループからも脱落していくことになった。
BGP001の武器は、ダブルディフューザーと言われるモノである。レギュレーションの隙間を突き、ディフューザーの効果を増大させたデバイスで、トヨタやウイリアムズも同様のシステムを採用していたものの、その効果は数歩先に行っており、シーズン序盤を席巻することになった。
ただこのダブルディフューザーがFIAによって合法だと確認され、他のチームがコピーを進めると、BGP001のアドバンテージはあっという間に失われ、ライバルたちに抜かれることになってしまった。
その戦績を見てみよう。ブラウンGPは、第7戦トルコGPまでの間に、ジェンソン・バトンがなんと6勝。チームメイトのルーベンス・バリチェロも3度の2位表彰台を獲得するなどし、チーム合計で96ポイントを獲得した。当時はまだ、優勝した時の獲得ポイントが10だったことを考えれば、いかに大量の得点を手にすることができたかが分かろうというものだ。
ただ、第8戦目以降の11レースでは、バトンは1勝も挙げることができなかった。バリチェロはバレンシアとモンツァで勝ったものの、チームの獲得ポイント数は76。前半戦とは雲泥の差だった。
ブラウンGPが開幕ダッシュすることができたのには、フェラーリとマクラーレンが躓いたことが大きかった。この年は、レギュレーション変更に伴い、空力デバイスのシンプル化とスリックタイヤの導入がなされた年。しかも、運動エネルギー回生システム(KERS)の使用もスタートした。このシーズンについては、KERSの使用は義務付けられていなかったが、フェラーリとマクラーレンはこれを使うことを決断。ただそのメリットはあまり大きくなく、逆にデメリットとして働いてしまう部分もあった。一方でブラウンGPは、KERS不使用。これがブラウンGPのアドバンテージとなる部分も多大にあった。
とはいえ、フェラーリとマクラーレンが躓いたという事実があったとしても、ブラウンGPの成果を損なうモノでは決してない。むしろ全く逆だ。ブラウンGPは潤沢な資金を抱えていたチームではない。もし経済的にもっと余裕があれば、シーズン後半もブラウンGPが強さを維持することができた可能性がある。
しかしそれでも、BGP001は2009年シーズンのベンチマークたるマシンではなかった。この年最も輝いたのは、レッドブルRB5だったと言うべきだろう。レッドブル・レーシングが、その後の成功の基礎を築いた1台である。
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