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スポーツ 2019.10.30

鈴鹿で感動的な再会。中野信治が語るF1時代の「数少ない理解者」オリビエ・パニス

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 1997年から2年間F1にフル参戦し、現在は様々な形でモータースポーツに関わっている中野信治。TEAM MUGENの監督でもある彼は、スーパーフォーミュラ最終戦(JAF鈴鹿GP)が行われた鈴鹿サーキットのパドックで、プロストF1時代のチームメイト、オリビエ・パニスと再会を果たした。

 今回のJAF鈴鹿GPではWTCR(世界ツーリングカーカップ)の第8戦が併催されており、そこにはパニスの息子(オーレリアン・パニス)も参戦している。そのためパニスは、我が子をサポートするために鈴鹿にやってきていたのだ。実際にピットでは、熱心にエンジニアたちとデータ解析をする姿が見られた。

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 パニスと再会した時のことを、中野監督は次のように語ってくれた。

「お互いに『久しぶりだね、元気そうだね』という話をしました。その後は『今何やってるの?』とか『息子がWTCRに乗ってるんだね』とか、たわいのない話をしました」

「今は彼もチームを率いているし、僕もこうやってTEAM MUGENで監督をやらせていただいていて、何となく似たような立場にいます。そういった意味では……ちょっと何とも言えない気持ちになりました。やっぱり嬉しかったし、彼も喜んでくれたし、とても良い時間になりました」

 中野監督がパニスとの再会で感傷的になっていたのには理由がある。1997年にF1デビューを果たしたプロスト・グランプリは、元F1ドライバーのアラン・プロストがリジェを買収して同年に誕生したチーム。“オールフレンチ体制”の実現を目指すチームの中で、中野は厳しい待遇を受けることとなった。

 筆舌に尽くしがたいほどの苦しいシーズンを送る中で中野は、チームメイトであるパニスの存在に助けられたという。

「1997年に関しては本当にいろいろあった1年でした。ある意味、僕の中で一番苦しい時期でもありました」

「そんな中でチームメイトであるオリビエとは、どんな状況にあっても関係が変わることはありませんでした。彼も怪我でチームを離れた時期がありましたが、1年を通してチームメイトとして、ライバルとして、そして友達として接してくれました」

「僕たちは、お互いに口にはできないことも知っています。やっぱり当人同士にしか分からないものってあるんですよね。だからこそ、会った瞬間は……何とも言えない気持ちになりましたね」

 そう語った中野監督。彼は涙こそ見せなかったが、溢れる想いを抑えるかのように、一言一言噛みしめるように話を続けてくれた。

「……彼自身も難しい立場にいたと思うんでね。彼が何か直接的に僕の手助けをできたかっていうと、それは難しかったと思います」

「でも、分かってくれているというか……心配してくれているなというのは、一緒にいれば何となく分かるものです。僕たちはシーズン前からずっと一緒につらいトレーニングをやってきた仲なので」

「そういった意味では……彼は数少ない、良き理解者のひとりだったのかなと思います」

 パニスとの感動的な再会を果たした中野監督は、人と人との“縁”の大切さを再確認した様子。最後にこう締めくくってくれた。

「立場が変わっても、こうやって友人として再会できるような機会があるのは嬉しいですよね。もしかするとこの先、何かの縁で一緒に仕事をすることがあるかもしれませんしね」

「僕はそういった昔からの人脈は大切にしたいと思っています。オリビエに限らず、どこでどういった縁があるかは分かりません。だからこそ海外にも足を運ぶべきだと思っています」

「人と人との縁ってすごく深くて、おもしろいんです。こういった出会いや再会があると、その縁の大切さを再確認することができます」

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(motorsport.com 日本版 戎井健一郎)

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