1996~1999年まで、トミ・マキネンを擁して世界ラリー選手権(WRC)4連覇を成し遂げた三菱。当時同チームの代表を務めていたアンドリュー・コーワンが亡くなった。82歳だった。
コーワンは前述の通りマキネンの4年連続ドライバーズタイトル獲得に貢献したが、その中でも特に成功を収めたのは1998年。コーワン率いる三菱は、マニュファクチャラーズタイトルも獲得したのだ。このタイトルは、三菱にとってWRCで唯一の冠でもある。
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コーワンの栄誉はそれだけではない。チームを率いる前には、自身もラリードライバーとして活躍。1962年と63年にはスコットランド・ラリーを制し、1964年にはフォード・マスタングを駆ってツール・ド・フランスにも勝利している。
このほか、ロンドン~シドニー・マラソンで2勝。1968年にはヒルマン・ハンターで、その9年後にはメルセデス280Eを駆ってこのラリーを制した。またオーストラリアのサザンクロス・ラリーも5回勝っている。コーワンは特に長距離のラリーを好む傾向にあったようだ。
コーワンは他のドライバーのマシンを好んで修復したり、支援を与えたりした。1972年のRACラリーでは、自身のホイールベアリングをロジャー・クラークに提供。このベアリングの提供を受けていなければ、クラークが勝利することはまずなかっただろう。
コーワンはその後、1985年のパリ-ダカールラリーで総合2位を獲得。そして1990年にはついにドライバーを引退することになった。当時三菱ラリアートは、代表業に専念することをコーワンに求めていた。
慎重深く、抜け目ない性格だったコーワンは、常に予算を念頭において活動を行った。そして予算面で最も小規模な三菱でさえタイトルを勝ち取れる……コーワンにとってはそれを示すことは、重要なことだった。
motorsport.comでは、アンドリュー・コーワンの死を悼み、彼の家族や友人の皆さん、そして彼の妻リンダにお悔やみを申し上げたいと思う。
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