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世界のレースを支配する日本製バイクの軌跡/スペイン人ライターのMotoGPコラム

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世界のレースを支配する日本製バイクの軌跡/スペイン人ライターのMotoGPコラム

 スペイン在住のフリーライター、アレックス・ガルシアのモータースポーツコラム。今回は世界選手権で活躍する日本製のバイクにフォーカスする。今ではMotoGP、スーパーバイク世界選手権(SBK)、世界耐久選手権(EWC)で何度もチャンピオンを獲得する日本製バイク。その起源はどこから始まったのか。また、当時の海外勢は日本人チームのことをどのように感じていたのだろうか。

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 MotoGPのスターティンググリッドを一見すれば、日本製のバイクが絶大な力を持っていることがすぐに分かるだろう。全体で22人中10人のレギュラーライダーが日本製のバイクで参戦している。

 伝説的なホンダ、ヤマハ、スズキは変わることなくトップクラスで名を馳せており、2019年は3メーカーが表彰台に登壇している。実際のところ、過去44年間のMotoGP最高峰クラスは、この3つの名前に支配されているのだ。

 唯一、2007年はイタリアメーカーのドゥカティがタイトルを獲得して、一時的に日本勢の覇権を崩した。1975年以降、その他のシーズンすべてで、日本製バイクがチャンピオンの栄誉を勝ち取っている。

 想像するのが難しいが、世界のバイク選手権は常にこのような状況ではなかった。日本メーカーの前には、イタリアのブランド、MVアグスタが有力で、その前はイギリスのマシン(トライアンフなど)が最高のバイクだった。興味深いことにイギリスは、日本人が初めてMotoGPに参戦した場所だ。

■ヨーロッパから笑いものにされたホンダ
 1954年、本田宗一郎はホンダのバイクをマン島TTレースに参戦させ、優勝させると宣言した。当時、日本では工業化が非常に強く推し進められており、社会的に重要な変化の渦中にあったので、ホンダが国力を世界に知らしめることができたら、快挙となるはずだった。

 実際には、予想できたことだが、本田はレースの世界が予想よりもはるかに厳しいものであることにショックを受けた。他のバイクは非常に速く、ライバルのエンジニアたちは彼らのエンジンパワーが自分たちのエンジンの3分の1しかないことにすぐに気づいた。

 年を追うごとにプロジェクトは必要なペースでは進まず、物事は遅れていった。そのため1958年にホンダの日本人クルーがマン島TT(当時の世界選手権ラウンドだった)に送られた時、ヨーロッパのチームは彼らを笑いものにした。

 日本人エンジニアの一団は、パドックを歩き回り、すべてのものの写真を撮った。「旅行者のようだ」と多くの人々が思ったという。ホンダのクルーは確かにレースについてはあまり詳しくなかったが、彼らはエンジニアリングについての知識はあったのだ。

 だが最も重要なのは、彼らは成功するための正しい心構えを持っていたことだ。その旅ではふたつの重要な認識が得られた。まず、多くの写真を撮ったことが非常に役に立ったのだ。

 すべてのライバルチームのバイクと彼らの技術の詳細を写した写真(その時代、バイクにはサイドにカウルがなく、写真を撮るのが簡単だった)によって、エンジニアたちはすべてを学ぶことができた。また、実際にライバルのバイクを購入するということも行い、それは良いアイデアだった。

 そのため1958年中にホンダのスタッフはヨーロッパを周り、ノートン、BMW、MVアグスタ、NSU、ドゥカティといった当時の有力ブランドから見つけた最高のレーシングバイクを購入した。

 ヨーロッパのチームは、ホンダの日本人スタッフに真剣に取り合っていなかった。彼らの目的は海外の技術をただコピーするためだと考えていたのだ。しかしそれは大間違いで、ホンダのスタッフはバイクを研究して分析し、強みと弱点を把握し、その知識を元に独自のレーシングマシンを作り出すことに全力を傾けた。

 本田はすぐに、より優れたパフォーマンスをエンジンから得る最も重要な方法のひとつは、エンジンの回転数を上げることだと気づいた。そうして、RC142(2気筒8バルブ125cc)は4気筒16バルブの250ccのバイクに進化を遂げた。これは現代のスーパーバイクの誕生の時だった。インライン4、前傾型、そしてシリンダーの後部にオルタネーターを備えた16バルブという、数十年にわたって主流となる構成だ。

■マン島TTをきっかけに世界を支配する日本製バイク
 1958年のヨーロッパ旅行の後、ホンダは翌年のマン島TTレースの125ccクラスに参戦することを決断した。1959年に選出された日本人ライダーとエンジニアたちは、人生の冒険に乗り出すことになると分かっていた。だが自分たちが大きな変化の火付け役になることには気づいていなかった。

 1959年は全部で5名のライダーが選ばれ、なかでも谷口尚己はエースだった。まず予想外だったことはそのコースだった。彼らが何カ月も映像で研究していた有名な60.725kmのスネーフェル・マウンテン・コースの代わりに、超軽量TT(125cc)クラスのレースは17.63kmと大幅に短いクリプス・コースで行われたのだ。ちなみにこの年は、クリプス・コースが使用された最後の年となった。

 次に予想外だったことは食べ物だった。チームはバイクとともにたくさんの日本食をコンテナに積んで横浜からリバプールへ送った。イギリス滞在中に食べられるようにだ。

 しかし残念ながら積荷が到着するのに8週間かかったため、当然ながら食べ物は傷んでしまった。谷口は、いかにしてチームが有名なマン島のマトンを毎晩6週間にわたって食べ続けたかを覚えている。ホテルのコックに食べ物について尋ねるたびに、彼は羊の鳴き真似をしたのだという。それでおしまいだった。

 だがその食事は実際にはホンダの夢の役に立ったのかもしれない。なぜなら谷口尚己はレースで6位につけ、モータースポーツの世界選手権で初めて日本製のマシンでポイントを獲得した、初の日本人スポーツマンとなったのだ。

 実際のところ、ヨーロッパのチームがホンダを笑うことは減っていった。ホンダチームはプロとしての運営が行われており、バイクも優れた設計がなされていた。ホンダのマシンはその信頼性の高さによって特別賞を勝ち取った。ホンダのポテンシャルを見抜いた最初の外国人のひとりは、オーストラリア人のトム・フィリスだった。

 フィリスは若手ライダーで、まだそれほどの実績を出していなかった。1959年にフィリスはアルスター・グランプリで初めてポイントを獲得し、その後ホンダにファクトリーライダーになりたいと手紙で頼んだ。バイクはさらに競争力のあるものになり、1960年のマン島TTでは再びポイントを獲得した。その年の後半、アルスター・グランプリの250ccクラスでトム・フィリスとローデシア人のライダーであるジム・レッドマンがダブル表彰台を獲得した。

 初優勝は1961年、スペインのバルセロナにある美しいモンジュイック・パーク・サーキットで、フィリスが1位となったことで実現した。その年は魔法のような年になった。125ccクラスでは合計7回、250ccクラスでは10回の優勝を飾ったのだ。(高橋国光がそれぞれのクラスで1回ずつ優勝している)

 フィリスは125ccクラスで世界チャンピオンとなり、マイク・ヘイルウッドはその年マン島TTにおいて初めて日本製マシンでの優勝を飾り、250ccクラスで世界チャンピオンになった。

 その後は、歴史が作られていった。1962年にジム・レッドマンが350ccクラスでタイトルを獲り、1966年には500ccクラスに初めてホンダのワークスバイクが参戦して勝利を重ねた。様々な事情でホンダはその後すぐにバイクレースの世界から去ることになるが、その種は撒かれていた。

 1975年、ヤマハがジャコモ・アゴスチーニとともにタイトルを獲得し、ついに日本に栄光をもたらしたのだ。そして、その後のことはご存知の通りだ。

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