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スポーツ 2018.11.9

現代レーサー物語 Vol.2平手晃平(後編)──今を駆け抜ける現役ドライバーが激動の半生を語る!

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第2戦で史上最年少1位を獲得したフォーミュラ・トヨタでは、シリーズ2位でシーズンを終えた。その直後の2003年、海外でのF3参戦(フォーミュラー・ルノー)の話が持ち上がった。16歳のときだ。

「トヨタから“海外でF3に参戦しないか”と、持ち掛けられたんです。日本では普通自動車の運転免許を取得しないとF3に参戦出来ないため、トヨタとしてはあと2年間を日本で活動させるより、武者修業の意味も込めて、海外で戦ってほしいという気持ちだったようです」

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平手は迷わず高校を中退しイタリアに飛んだ。退学ではなく休学という選択肢もあったという。祖父母は休学を望んだそうであるが、“プロレーサーで一生食っていく”と心に決めた平手は、迷わず退学を選んだ。高校2年のときだった。

「中学時代から生活がレース一色で、勉強は二の次。選んだ工業高校も、レース活動を見据えて自宅からいちばん近かったからというだけ。自動車工学科があったにもかかわらず化学工学科だったのも、推薦の都合です(笑)」

高校中退と同時に渡伊。期待に胸を膨らませたイタリア生活だったが、想像以上にハードだったという。

「毎日、午前中は英会話スクールに通い3時間のレッスンを受け、昼から夕方にかけてはトレーナーがついてのフィジカル・トレーニングが続きました。しかも、チームではイタリア語も必要で……。おかげで、今でもイタリア語の聞き取りはバッチリです」

当時の目標はF1への参戦。結果を残せなければ、即日本へ帰国というプレッシャーのなか参戦を重ねていく。2006年にはF3ユーロ選手権で日本人として開幕戦初優勝も成し遂げた。当時のF3はオペルとメルセデスで熾烈なエンジン争いがあったものの、圧倒的にメルセデス優位だったという。そうしたなか、オペルエンジンユーザーのチーム(チーム・ロズベルグ)で実績を積んだ平手は、2006年に念願叶ってメルセデスエンジンユーザーのチーム(マナー・モータスポーツ)へ移籍。開幕戦でいきなり優勝し、最終的にはシーズン3位にランクインした。

とはいえ、F1参戦への壁は厚く2008年、日本に帰国した。

「当時、GP2に参戦中でした。最初、日本への帰国を聞かされたときはショックでしたね。トヨタの援助を受けずにGP2参戦を継続できないか、あらゆるチームと接触しましたがそれも叶わず、諦めざるを得なかった」

ただし、この頃になると憧れだったF1に対する思いも変わっていたという。

「子供の頃は、“速ければF1に乗れる!”と思っていましたが実際はそれだけでなく、政治的な力も必要であるのを知ったうえに、ドライバーの腕以上にマシンの性能が物言う時代になり、昔ほど魅力を感じなくなっていたのは事実です」

ヨーロッパでの活動を諦めた平手は、「目の前のレースに真摯に取り組もう」と、気持ちを一旦切り替え日本に帰国。フォーミュラ・ニッポン、そしてSUPER GT 300クラスに参戦する。

しかし、帰国初年のフォーミュラ・ニッポンの第6戦で、大クラッシュに見舞われる。

「これまでの人生でいちばん大きな事故でした。胸椎を圧迫骨折し、医師からは“半年以上、マシンに乗らないように”と、言われました。しかし、シリーズチャンピオンが狙えたうえ、一刻も早くヨーロッパに戻りたかったので、2カ月でレースに復帰にしたんです」

当時、小林可夢偉や中嶋一貴がヨーロッパで活躍しているのが非常に悔しかった、と語る平手。彼らのようにヨーロッパで戦うために、目の前のレースで結果を出す必要があった。したがって、いくら大きな事故に遭ったとはいえ“怖い”などと、弱音を吐く暇はなかったという。平手の“負けん気”はちょっとやそっとじゃビクともしないのだ。

その後、ヨーロッパには戻らなかったものの日本で順調に結果を残していく。2009年にはSUPER GT GT500クラスにステップアップし、2012年には「ZENT CERUMO SC430」のドライバーとして、チームをシリーズ2位に導く。

そして、2013年にはついにシリーズチャンピオンとなった。また、2016年には「DENSO KOBELCO SARD RC F」のドライバーとして、同チームもシリーズチャンピオンに導いた。

SUPER GTで華々しい実績を残してきた平手ではあるが、2017年のシーズン後半、来シーズンのチーム編成に自分の名がないのを知ることとなる。

「ボク自身、至らなかった部分もあったと思うけど、翌シーズン乗れないのは本当にショックでしたね。レクサスの他チームもあたりましたが、すでに自分の入る余地はありませんでした。トヨタから離れ、別メーカーのチームでもいいからGT500に参戦したいと思い、オフシーズンに色々と動いたものの、うまくはいかなくて……」

そんな矢先、平手に声をかけたのがGT300クラスに参戦するaprだった。「チームを立て直してほしい」と、aprの金曽代表より依頼され、チーム入りを決意した。結果として、ほかのメーカーに移籍せず、トヨタに留まることとなった。

GT500からGT300へカテゴリーダウンした今、平手はレースに対し何を思っているのだろうか? その疑問をぶつけると意外な答えが返ってきた。

「悔しい思いもありましたが、いまはモータースポーツを多くの人に広めたいという思いが強くなっています」

平手自身、モータースポーツの普及活動は以前より、精力的におこなってきた。きっかけは、サーキットにいて肌で感じたレース観戦者の年齢層だ。

「若い人が少なくなってきているんです。このままじゃ、観戦者は減少の一途のはず。おそらく多くのドライバーが同じような考えを持っていると思いますが、これを食い止めるべく実際、行動に移している人は、ほとどんいません」

平手は、自らの会社が多少赤字になっても、モータースポーツを広めていきたいという。定期的に自ら主催のカート大会を開催するほか、最近では「水遊び」を企画し、実施した。

「芝生の公園で、水鉄砲を持って遊ぶイベントです。その会場内に、レーシングカーを置きました。子どもたちが水遊びをしつつ、そのマシンや我々レーシングドライバーに少しでも興味を持ってもらえば……と、思い企画したんです。GT300になって色々なしがらみが緩くなって、開催が叶いました」

平手の普及活動への思いは本気だ。身銭を切って企画するのはもちろん、会場の設営なども自らおこなうという。

「カート大会だけではダメ。もっと多くの人が気軽に参加できるイベントを通じ、モータースポーツの魅力を広めていきたいんです。あとは、ボクらを支えてくれる裏方の人たちの存在も広めていきたいです。近年は、メカニック志望者も減っていますから」

モータースポーツの未来を危惧し、自ら動き、今を変えようとする平手の活動には目をみはるものがある。「クルマやバイクは本当に面白いし、その魅力をどんどん伝えていきたい」と、語る彼の熱き思いに筆者も心打たれる。

そんな彼に「この先の目標は?」と、聞くと開口一番「GT500に乗ること」と、返ってきた。

「SUPER GTのトップカテゴリーでまた戦うのが最大の目標です。さらに先の目標として、生涯現役のドライバーであり続けたいですし、自ら得た経験を若手にも伝えていきたいです」

平手ほどの強い“負けん気”があれば、来季、GT500のドライバーとして復活する可能性も大いにあり得るだろう。とはいえ、彼の魅力はレースシーンだけで発揮されるわけではない。モータースポーツを少しでも盛り上げるべく、信念を持ち、地道に活動する姿も大いに魅力だ。

彼のさまざまな思いがこの先、成就することを願いたい。

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(GQ JAPAN 稲垣邦康(GQ))

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