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スポーツ 2018.11.8

現代レーサー物語 Vol.2平手晃平(前編)──今を駆け抜ける現役ドライバーが激動の半生を語る!

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平手晃平、32歳。彼は現在、SUPER GT GT300クラスのTOYOTA PRIUS apr GTのドライバーとして参戦中だ。

待ち合わせ場所に颯爽とあらわれた平手晃平は、噂通りの“イケメン”だった。SUPER GTに参戦するレーサーのなかで1、2を争う女性ファンを有するとも言われているのも納得だ。

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そんな平手は、アグレッシブな走りで、国内外の数々の大会で勝利を挙げてきた。

「昔から“負けん気”が強いんです。モトクロスもそれが原因で辞めさせられましたから」

平手がレースの世界に飛び込んだのは1989年、3歳の頃だ。それも、カートではなくモトクロスだった。平手の父親は、彼がモトクロスライダーとして活躍するのが夢だったという。そのため、2歳の平手に補助輪なしの自転車を与え、3歳の誕生日にはモトクロスをプレゼントした。

「父は根っからのバイク好きだったため、自分を一流のモトクロスライダーに育てようと奮闘していました。土木関係の会社を経営していましたが、ボクが3人兄弟の長男であるにもかかわらず、最初から継がせる気はなかったようです」

とはいえ、父親以外の家族は“危ない”と、猛反対だった。平手自身は家族の心配をよそに走るのが楽しくてしかたなかったという。しかも、まだ3歳というのに、すでに“負けん気”も備えていた。しかし、この“負けん気”によって、モトクロスを辞めるのであった。

「乗り始めてすぐの頃、ボクより1~2歳上の女の子とレースをしたとき、“絶対に負けたくない”と思い、無理をしたんです。結果、コケてしまい鼻を骨折してしまって……それでも、ボク自身は楽しかったから辞めたくなかったのですが、さすがに父も“これは危ない”と、思ったのか、辞めさせられました」

怪我を機に、平手はごく普通の少年時代をしばらく過ごす。少年野球に勤しみ、モータースポーツとは無縁の生活を送っていたが、またもや父の影響で転機が訪れる。カートとの出会いだ。

「ボクが小学生になった頃、父の趣味がバイクからクルマにかわったんです。ラリーが好きだった父は、ランチア デルタHFインテグラーレやトヨタ セリカGT-FOURに乗っていました。その傍ら、カートにも乗っていたのですが、サーキットでの話を聞くうち“ボクも乗ってみたいなぁ”と、思うようになったんです」

平手が小学校5~6年生の頃だ。アイルトン・セナに漠然とした憧れはあったが、自身がレーサーになりたいとはこれっぽっちも思っていなかったという。

「はじめてカートに乗ったとき、ボクより小さい子たちに抜かれるのが悔しくて、おもわず泣いてしまったんです。今まで少年野球で泣いたりしなかったのに……。その姿を見て、父は本格的にカート競技をやらせようと決意したようです」

12歳でレーサーの道を歩み始めた平手は、地元のカートチームに所属し、練習に励むようになった。しかも、平手には天性の才能があったのだろう、1年後、全日本ジュニアカート選手権の開幕戦で、いきなり優勝したのだ。

「優勝は思いもよらないことでした。しかも、開幕戦“だけ”の出走予定だったんです」

当初、費用面の問題から、選手権への出走自体、考えていなかったという。しかし、開幕戦が地元近くの「フェスティカーサキット瑞浪」でおこなわれたため、試しに1戦だけ出走したのであった。

「開幕戦では小林可夢偉選手も出走していました。当時、彼の速さは全国でもすでに有名になっていたのですが、そんな彼を差し置いてボクが優勝してしまったんです(笑)。所属チームのオーナーもまさかの優勝に驚き、“サポートするからほかのレースも出ない?”と持ち掛けられ……」

結局、全レースに出走した平手は優勝を重ね、初代シリーズチャンピオンに輝くのであった。

その後も、国内外問わずさまざまなカート大会で優秀な成績を収めていくなか、トヨタ自動車のプロレーシングドライバー育成スクール「フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール」を受験した。

「トヨタのスクールを選んだ理由は受講料が安かったから。ホンダが運営する鈴鹿サーキットレーシングスクールが当時700万円だったのに対し、トヨタはたった10万円でした。とはいえ、最初の書類選考が倍率10倍だったため受かるとは思っていませんでしたが」

これまでのカートの実績が評価されたのか、書類選考は無事にパスし、スクールのある北海道・十勝に向かった。そこではじめて、人生初のMT車に乗るのであった。

「スクールではじめてMTのフォーミュラーカーに乗ったので、クラッチの使い方がまるでわからなかったんです。講義後、乗用車でひとり半クラッチの練習をさせられたほどです」

そんな平手だったが、最終日にはすっかりクラッチ操作にも慣れ、模擬レースでは上位に入る。

「模擬レースの決勝はスタートに失敗し、一気に最後尾まで下がったんです。なんとか上位に食い込めたものの、1位というわけでもなく……にもかかわらずスカラシップのひとりに選ばれたのは驚きでしかありませんでした」

実際は平手よりもはるかに速い選手がいたそうだ。そのなかで彼が選ばれたのは、成長の余地が大きくあったため。クラッチ操作習得の速さなども評価されたという。

「特別速いわけでもなかったので、周囲のやっかみは大きかったですね。練習走行時など、“コイツに何ができるのか”といった声が普通にありましたから。ボク自身は気にせず“お前に勝てばいいんだろう!”と、思っていましたが」

平手の“負けん気”にさらにスイッチが入り、2002年、はじめて出走したフォミューラーカーレース「フォーミュラ・トヨタ」では、開幕戦2位、次の第2戦で1位を獲得した。なお、16歳2カ月での1位獲得は、日本のフォミュラーカーレース史上最年少であり、かつ今なお破られぬ記録である。

平手が本気でプロレーシングドライバーを目指したのは、この頃からであった。

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(GQ JAPAN 稲垣邦康(GQ))

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