一大ブームを巻き起こしたレーサーレプリカの誕生
バイクファンたちが驚愕した掟破りともいえるマシンがスズキから発売されたのは1983年3月。レーシングマシンでしか見たことがなかったアルミ製のフレームに16インチの足まわりをセットし、タイヤは専用開発されたミシュラン製を標準装備。タコメーターを覗き込めば3000回転以下は表示されないという、そのままグランプリに出場できそうな過激さ。
いま思えば、これからますますブームになってくる世界のモータースポーツシーンに早くから着目していた早熟のレースファンはもちろん、世界選手権ロードレースという世界さえまだしっかり認知していないティーンエイジャーの漠然としたバイクファンにとっても、ただただセンセーショナルで、その衝撃はモーターサイクル史にとって、そしてバイクファンそれぞれの心の中でもターニングポイントだった。
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以来、ギリシャ文字など無縁だったバイク好きにとって「ガンマ」という文字だけは特別なものとなった。レーサーレプリカブームの火付け役であり、元祖である。
ライバルと比較しても抜きん出て先進的だった
公道向けの市販車では、ようやく控えめなカウルを付けたモデルが出てきた時代に、最初から見るからに速そうなハーフカウルを身にまとい、さらにオプションのアンダーカウルを装着すればフルカウルにもなるガンマは、時代の一歩先を行くモデルだった。
誰になんと言われようとも脇目も振らずガンマは無我夢中でそのシーンを引っ張り、だからこそ光り輝いた。それはリーゼントが不良たちの定番だった時代に、ギザギザ&ツンツンヘアーのチェカーズが「ギザギザハートの子守唄」でデビューし、ザ・ベストテンで聖子ちゃんより後で歌うことのように衝撃的で84年式がそうだったように「フルカウル」こそ最新スタイルだと世間に知らしめたのだった。
[ アルバム : RG250Γ (GJ21A) 1983 はオリジナルサイトでご覧ください ]
1976~82年にかけてWGP500のメーカータイトルを獲得していたスズキ。1982年チャンピオン、フランコ・ウンチーニはRG250Γの広告塔として登場する。写真は『HB』カラーのRG-Γ。
フロントがスラントしたフルカウルを装着。フレームはリブが入ったMR-ALBOXに進化、フロントブレーキは4ポットになり前後合わせて10ポットあることからデカピストンキャリパーなどと呼ばれる進化を遂げた。乾燥重量も4kg減の127kgへ。
究極のレプリカマシン RG500/400Γが登場!
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排気デバイスというハイテクがやってきた!
排気デバイスというハイテクがやってきた!
3000回転以下はスケール表示しないタコメーターが語っているとおり、初期の2ストレプリカマシンに低回転域での扱いやすさなんて眼中になかった。
しかし3代目250ガンマでは「電子制御排気デパイス」なるものでトルクの谷間を解消し、全開性能だけが速さに繋がるわけではないことをスズキが教えてくれる。45馬力という自主規制値のなかでライバルらに少しでも差を付けようと、各社がさまざまな独自の機構を盛り込み、アピールする時代が到来していたのだった。
いまでこそバイクにもパワーモードやトラクションコントロール、セミアクティブサスペンションなどがつき、電子制御装置が珍しくなくなったが、当時としては排気デバイスでさえもうメカメカしかったから、バイクもハイテク化時代突入と感じたものだ。
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レーシングスピリットをまとった狼RG250Γウォルター・ウルフ仕様
レーシングスピリットをまとった狼RG250Γウォルター・ウルフ仕様
真夏の鈴鹿に人が溢れかえり、ニューモデルのテレビコマーシャルに芸能人が起用されるほどバイクが若者たちにとって人気だった頃、カラーリングも売れるかどうかの大きなファクターとなっていた。
ガンマシリーズもレーサーと同じスポンサーカラーをそっくりそのまま流用し、レーシングイメージを高めた。特に人気だったのがウォーター・ウルフ仕様だ。
カナダの石油王であり、豊富な資金力を活用し70年代後半にはF1でも注目されたことなど、ほとんどのバイクファンにとっては興味なかった。とにかく水谷勝のガンマが走る姿に惚れ、また、全日本選手権などまだ見たことがないバイクファンも、濃紺にゴールドをあしらったカラーに魅了された。
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ゼロハンスポーツ戦争を最後発で過激化させた!
いきなり250や400に乗るライダーの方が少なかった当時は、まず50 ccでクラッチの繋ぎ方を学び、ギアチェンジの意味を知った。レプリカブームは、原付ライダーにも無縁ではなかったのだ。
水冷エンジン&モノショック化という意味では、RZ50やMBX50に先を越されたスズキは、ゼロハンながらに82年12月、WGPレーサーの「ガンマ」の名を50ccに与えてしまう。ガンマという由緒正しきネーミングを市販車で冠したのは、なんと250よりもこちらの方が先。スズキが原付クラスにかける熱い思いを感じずにはいられない。
ウインカーがカウルにビルトインされたビキニカウルや角型フレーム、その意気込みは本物だった。
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125だって手加減なし!それがスズキの流儀
125だって手加減なし!それがスズキの流儀
ビギナーや女性たちが乗り、コミューターとしてだけでなく、スポーツバイクとしてのニーズにもしっかり応えていた当時の125クラス。そこでもガンマは熱かった。
「125だって!」と言わんばかりの大柄な車体に立派なカウルを装着して、1985年にクラス最軽量を誇りデビュー。対向ピストンキャリパーをライバルのRZ125より2ヶ月早く装着するなど、スポーティさで負けない、ガンマらしさ満点の内容だった。
その突っ走り方はハンパない。91年式では250にも負けないレーシングライクな姿に。1軸バランサー、3段階の排気デバイス、倒立フォークなど装備内容もクラスを超えたもの。国内仕様でここまでやったのはスズキだけだ!
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天才の熱い走りに刺激を受け、硬派が思い焦がれた
88年から、ついにVツインへと進化する。そして、ガンマファンが思いを馳せたのは、ペプシカラーに彩られたケビン・シュワンツのワークスRGVーΓだった。
バイクファンが本当に手に汗握ったのは世界グランプリ。88シーズン、その開幕戦日本GPで、ゼッケン34がNSRのワイン・ガードナーに勝つという衝撃を目の当たりにすると、バイク乗りたちはこぞってガンマに乗りたがった。スペンサー以来の天才の登場と攻めの走りを、新型ガンマのその戦闘力の高さにダブらせ追い求めたのだ。
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流行を追いかけない硬派実力は一級品だった
レーサーレプリカブームが盛り上がりを見せる頃、カワサキは4ストエンジンを積むZXRシリーズをデビューさせるまではKRが頼みの綱だった。原型となるKRは78~81年のWGP250、78~82年のWGP350を連覇しているチャンピオンマシン。ロータリー&リードバルブシステムも採用されるとあって期待度も高まる。スリムで強力なタンデムツインは充分な実力があったものの、外観は決して「イマドキ」ではなく、独自の路線を突き進む他なかった。それだけに強烈な個性を今なお放つ。
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